ティモンディ高岸「僕はポジティブではない」自分を追い込みすぎてイップスになった過去 #今つらいあなたへ
プロ野球選手を諦め“野球”は無かったことに
――イップスや肘の故障があって、大学3年時にプロ野球選手になる道を断念したわけですね? ティモンディ高岸: 肘は限界でもう投げられないし、練習もできない。あと、少し別の話になってしまいますが僕自身、裕福な家庭ではなかったので、親に負担をかけるわけにもいかない。だったらここは野球から離れて、アルバイトをしてでも自分で学費を稼がないと卒業もできなくなるなと……。最後の1年間はアルバイトをして、プロ入りではなく「大学卒業」を目標にやるしかないなと思いました。 ――とはいえ、子供の頃から打ち込み続けた野球を諦めるのは、そんなに簡単なことではないですよね? ティモンディ高岸: そうですね。だからもう、野球は全部忘れてしまおうと。とにかく大学卒業だけを考えて、「僕の人生に野球なんて無かった」と思い込もうとしました。野球部の仲間たちと野球の話をするのも苦しいくらいだったので、自分の中から野球を切り離していました。 ――ご両親には「野球を辞める」と伝えたんですか? ティモンディ高岸: はい、これも強がりじゃないですけど、「野球、辞めたわ」って軽い言葉で伝えたのを覚えています。「別にそんなに思い入れなかったし」ぐらいの感じで。両親も僕の気持ちは分かっていてくれたと思うので、「自分で決めたのなら、それでいいよ。お疲れさま」と言ってくれました。今思うと、本当に助かったというか、僕を変わらずに信じてくれていたのは大きかったです。
自分は今も“ポジティブ”ではない
恵まれた才能を有し、惜しみない努力をしたにもかかわらず、子供の頃からの夢を諦めざるを得なかった高岸さん。その大きな“挫折”を知っているからこそ、高岸さんの言葉には多くの人を勇気づける力があるのかもしれない。芸人となった現在の高岸さんのメッセージが、学生時代の高岸さんのように自分自身を追い込んでしまっている人にこそ届いてほしい。 ――野球に全てをかけながら、大きな挫折を味わった高岸さんですが、なぜ今のように“ポジティブ”になることができたのでしょうか? ティモンディ高岸: 僕は別に、今もポジティブではないですよ(笑)。色々な人と話す中で「そういう考え方があるのか」とか「この人には敵わないな」と思うことはたくさんありますし、全てを楽観的に捉えられるわけでもありません。自分の中で不安に思うことも、弱い部分もあるんです。子供の頃から不器用で、野球を始めた頃もまともにキャッチボールすら出来ませんでした。その頃からずっと「みんなには敵わない」という思いが根本にあると思います。芸人としても応援の言葉をかけたときに「この言葉で相手に伝わるんだろうか」「もっと良い言葉選びができたんじゃないか」と反省することも多いです。今でこそ、ダメだったらどうすればもっと良くなるのかをすぐに考えられるようになったので“ポジティブ”に見えるかもしれませんが、要所要所、一瞬一瞬ではけっこうネガティブな部分もあります。 ――学生時代の自分に、今だから言えることはありますか? ティモンディ高岸: 僕自身は「こうじゃないとダメ」という思い込みが強すぎたんだと思います。狭い世界でしか自分を見ることができなくて、「これ以外は間違い」「これだけが正解」と決めつけていた。でも、世の中にはいろんな人がいて、いろんな生き方があって、いろんな性格、個性がある。それでいいんだと思います。僕は今でもポジティブになったとは思っていないですけど、それでも当時の自分に声をかけてあげるとすれば「自分のペースでやっていい」「周りと比べる必要はない」「せっかく好きで始めた野球なんだから楽しくやってほしい」と伝えたいですね。 (聞き手・文:花田雪) ※この動画記事は、ラブすぽとYahoo! JAPANが共同で制作しました