カナダが“アジア系と共生する道”を選んだ経緯 アメリカよりも欧州、なかでも北欧に似ている
さらにフランス文化と切り離せないのがカトリック。プロテスタントの多い英国の影響も大きいのですが、フランスの影響があるからこそ、アメリカのような「プロテスタントの国です!」という主張にはならず、2つの宗派が均衡しています。 社会的な礎は白人のキリスト教文化ですが、それ自体が言語的、宗教的に2つに分かれているので、多文化共生を育む土壌となったと言えます。 さまざまな価値観を認める多文化共生であれば、「うちの国が一番!」というナショナリズムは育ちにくい。したがって右派ポピュリズム政党は生まれにくいようです。
■「先住民同化政策」の過ちをプラスに転じる カナダが多文化共生となった要因はフランス文化だけではありません。私の仮説その2は、先住民に対する非道な振る舞いへの反省です。 カナダにはアメリカ同様に先住民が暮らしていましたが、その扱いはひどいものでした。 「キリスト教も知らないし、英語も話せない? 動物と同じ下等な人間じゃないか」 キリスト教文化を中心に国家としてまとまろうとしていた19世紀のカナダにとって、独自の文化、宗教をもつ先住民は邪魔者だったのでしょう。差別や暴力事件も多く、なかでも特筆すべきは国家主導の「子ども同化政策」。先住民の子どもを親から引き離し、キリスト教徒として教育し直すために強制的に寄宿舎学校に入れました。その数は15万人以上とも言われています。
民族独自の言葉や風習を禁じ、彼らの信じる精霊や神を否定し、英語でキリスト教教育を施す。人間のアイデンティティを根こそぎ奪う仕打ちは、これだけでも人権蹂躙そのものですが、子どもたちは精神的、肉体的、そして性的に虐待されていました。 先住民への人権侵害は、カナダ建国の19世紀末に始まり1980年代(諸説あり)まで続きました。この負の歴史は語られることも少なく、半ば封印された事実でした。 しかし衝撃的なニュースが報じられたのは2021年。ブリティッシュコロンビア州、オリンピック開催地として日本人にも馴染み深いバンクーバーとカルガリーの間にある「カムループス寄宿学校跡地」で、215人もの先住民の遺骨が発見されたのです。