「青春に文科省も厚労省も関係ないのに……」車椅子での高校生活から見えてきた学校での介助をめぐる問題
浸透しない「当事者主体」
「介助員との関係性の課題」については、調査によって次の四つの問題が明らかになってきたという。 「一つ目は『本人の意思を聞き入れてもらえず、望む介助が得られない』という問題。二つ目は『他の生徒と同じように学校での授業や活動に主体的に参加できない』という問題です。介助というのは、これまで自立生活運動の中で様々な理論や実践が積み重ねられてきていて、『当事者主体』であることの大切さが深く認識されているのですが、これが学校の介助では浸透していない。 そもそも障害のある子の希望が軽く扱われていたり、無碍(むげ)に扱われていたりするケースがたくさんありました。自分の望む形で授業を受けたり、体育祭とか文化祭に参加したりすることができなかったというケースがあることもわかりました。『介助員は学校からの指示に従うばっかりで、自分がこうしてほしいという希望は聞き入れられなかった』。そう話してくれた方もいました」 「三つ目は『友人との自然な関わりができない』という問題です。障害のある人にとって介助員がいることは本当に大事ですが、大人がいることで周りの友達と距離ができてしまう。また、インタビューをしていて『これは問題だな』と思ったのは、障害がある子が『友達だけで過ごしたいからちょっと介助員さん離れておいて』と言っても対応してもらえなかったという例があったことです。 本来、介助者にどういう動きをしてほしいか、というのは障害当事者が決めていい。たとえば『ここの場面ではちょっと近くにいてください』とか『この場面では離れた場所で待機しておいてください』とか。場面に合わせて、介助者の動きを本人が指示していいはずなのです。 でも学校での介助の話を聞いていると、本人の意思が聞き入れてもらえていない。たとえば『学校から言われるので』とか『安全のために離れられません』などと言われて、障害のある子の意思に反して介助者がべったりついてしまって、友達とうまく関われない。そんな声もよく聞きました」 「四つ目は『ひどい場合には、虐待に近い事案もある』ということです。今回のインタビューに答えてくださった方の中にも、虐待を受けたということを教えてくれた方がいました。その方は『虐待を受けていたものの、その介助員がいなくなってしまうと学校に通えなくなる。だから我慢するしかなかった』ということでした。虐待があることも問題ですし、その状況や被害を言い出しにくい環境に当事者が置かれていることも深刻な問題です」 ちなみに、ハンドブックではこれらのことを踏まえて、次のようにまとめられている。 「そもそも介助関係において、介助される側は、介助する側の価値観や都合に左右されがちです。さらに、学校という環境の閉鎖性や、『障害者であり、子どもでもあること』という社会的な立場の弱さが重なり、本人の意思が置き去りにされ、本人も声をあげられない状況に置かれることから、学校の介助をめぐっては、まだまだ明らかになっていない問題があると考えられます」