性同一性障害乗り越え 歌手・麻倉ケイトの生き方
初音ミクスタイルで活躍する異色のニューハーフ歌手がいる。奈良県出身の麻倉ケイトだ。カリスマ花嫁モデル、滋賀医科大学の公認アイドルなど複数の肩書きを持つ。これまで長く男性歌手として活動してきたが2009年、自分のファンの多い学園祭で性同一性障害をカミングアウトし、さらに人気が高まった。そんな彼女の波乱万丈の半生を聞いた。
身体は男性、心は女性という「性同一性障害」
大阪・京橋にあるレストラン機能付きのライブハウス『ベロニカ』に出演していた、麻倉ケイトを訪ねた。ステージでは派手なパフォーマンスと独特の高い声で、ファンを魅了して喝采を浴びていた。 そんな彼女は小学2年の時にすでに、身体は男性、心は女性という「性同一性障害」に気づいたという。芸能事務所「レインボーミュージック」(大阪市住吉区)に所属してからも、本心を隠して2002年から男性歌手「KEITA」として活動を開始。2003年、第6回上海アジア音楽祭で優秀新人賞を受賞。その後、2007年になってテレビ出演の際に歌った曲が反響を呼び、それがきっかけで、2009年にカミングアウトした。 2010年には精巣摘出手術を受け、「麻倉ケイト」として再出発。今では人権問題などの講演やトークショー、花嫁モデル、ライブ活動を精力的に行っている。
カミングアウトのきっかけは?
──小学校2年の時に、早くも身体の異常に気づいた? ケイト 小さい頃って、あまり身体のことってわからないし、ただ何となく大人になったらお母さん側の人間に成長できると思ってた。でも、幼稚園に入った時にすでになんか違うなって。小学校に上がったら、ランドセルとか制服の色が決まってるけど、私が男の子の黒ではなく、女の子の赤を希望したら親に怒られた。その頃から好きな子も男の子だった。それを周りに言うと、『おかしいで』って非難されるので、隠さないといけないと思った。これは多分生まれつきのもの。実際、性同一性障害は、先天性のものが有力みたいですしね。 ──カミングアウトのきっかけは? ケイト 10代の頃はダンスに情熱を注いでたんですけど、歌うとステージのセンターに立てるし、化粧もできるじゃないですか。そんな理由から歌手に転向し、自分で作詞作曲をして中性的な歌手としてライブで歌うようになったんです。でも、ずっと悩み続けました。2007年、『24時間テレビ』(日本テレビ系列)の出演時に心の悩みを曲に乗せて歌ったんです。その反響の多さに驚いて、それがきっかけですね。 ──どんな反響があった? ケイト 人に嫌われたらと怖くて本心を言えなかった。そんな自分の弱さをさらけだして生きていくという、自分の理想を書いた曲でした。メッセージ性のあるものを発信したかったし、それは心の叫びでした。そしたらそれが伝わったのか、1000人ほどから事務所にファンレターとか励ましのメッセージをもらったんです。それで、自分も前向きにならないといけないと思って、いずれカミングアウトをしようと。それでも悩んで公表するまで2年もかかった。