「死刑執行」記者や学生が“参観”していた時期も? “様子”伝える新聞記事も数多く残るが…「密行主義」になった理由とは
「なぜ、死刑執行は秘密なのか?」 死刑執行に関する法務大臣の命令書や決裁文書といった行政文書の情報公開請求事件で代理人を務める江村智禎弁護士(あかり法律事務所)が25日、第二東京弁護士会が主催するセミナーで講演し、情報がほとんど公開されない中で行われている日本の死刑執行の現状と問題点を指摘した。 【写真】刑場が設置されている「東京拘置所」 法務省は現在、死刑執行にかかる情報について、実際に死刑が執行された後、執行を受けた者の氏名、生年月日、犯罪事実、執行場所を公開するにとどめている。いわば“密行主義”とも言える状況は国際的にも問題視され、2023年に開かれた国連人権理事会「普遍的定期的審査」(国連全加盟国の人権状況を定期的に検証する制度)では「秘密処刑(secret executions)をやめよ」と勧告されている。
かつては新聞記者や学生が死刑執行を「参観」していた
歴史的に見れば、日本における死刑執行は密行主義が続いてきたわけではない。 関西大学法学部・永田憲史教授がまとめた報告書(「死刑執行に関する情報開示の変遷」刑法読書会『犯罪と刑罰』第33号(2024))によれば、明治14年(1881)以降は「刑法附則2條但書」(死刑を行うときは執行に関する者のほかは刑場に入ることができないが、立ち合い官吏の許可を得た者はこれに限らないとしたもの)などを根拠に、新聞記者や学生が刑場に入って執行を参観することが許可されていたという。実際に、執行の様子を伝える新聞記事も数多く残っている。 記者の参観は、明治41年(1908)に監獄法(現在は廃止され「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(刑事収容施設法))が施行されて以降、困難になった可能性が高いというが、執行にかかわった職員への取材をもとに、執行の様子を伝える報道は続けられた。太平洋戦争が始まった昭和16年(1941)以降は見受けられなくなったものの、昭和30年(1955)11月に、確認できる限りで最後の新聞記事があるそうだ。 なお、当時の新聞記事には「刑場や被執行者の様子、最期の言葉、遺体の状況などが詳細に記載されていた」(江村弁護士)という。