「日本列島に匹敵する距離を3か月で完走も」アテネ五輪金メダリスト・野口みずき「スタートラインに立ったとき誰よりも練習してきた自負があった」
女子マラソンの五輪金メダリスト・野口みずきさん。社会人2年目で経験した無職時代が転機となってプロ意識が芽生え、やがてアテネ五輪で金メダルを獲得するまでにつながったと言います。熱中症の選手が相次ぐ過酷なレースを制することができた裏側を聞きました。(全3回中の2回) 【画像】マラソン人生のターニングポイントとなった「無職時代」の楽しそうな野口さん(全12枚)
■社会人2年目で会社を辞めた“ハローワーク時代”が人生の転機 ── 現役時代は「ハーフマラソンの女王」と呼ばれるほど活躍した後、2002年にフルマラソンに転向しました。記録は順調に伸びていったのでしょうか?
野口さん:そうですね。実業団に所属してすぐではないですが、ハーフマラソンもフルマラソンもトラックも全部記録が伸びていきました。そのきっかけとなったのが社会人になって2年目の1998年10月から4か月間、どこにも所属していない“ハローワーク時代”を経験したことです。当時ワコールに所属していたのですが、会社側と監督やコーチの意見が合わず、監督やマネージャー、コーチなどほとんどのスタッフが辞めることになったんです。そこで私も監督についていく形で同期の選手と一緒に会社を辞めました。
その後は所属先を探しながら練習をこなし、さらにスタッフと選手だけで栄養管理をするのが大変でした。企業に所属していれば、栄養士さんが栄養計算をして調理士さんが調理をしてくれたものを食べるだけだったのですが、練習しながら交代で料理をするなど自分たちだけで何とかしなくてはいけなくなりました。その時に、サポートしてくださる方がいることのありがたさや、お給料をいただきながら自分の好きな陸上競技に打ち込ませていただける環境への感謝の気持ちが強くなり、プロ意識が芽生えました。
さいわい4か月後、陸上部を新設するグローバリーという会社に所属できることになったのですが、その恩は結果で返すしかないと決意しました。なので、一緒に移籍した同期も私もどんどん記録が伸びていきました。 ──4か月間実業団を離れ、無所属の状態があったことがマラソンに本気で取り組むきっかけとなったのですね。 野口さん:そうです。あの4か月間は私のマラソン人生の中のターニングポイントでした。そこからすべてが始まったと思います。あの経験がなかったらここまでがんばれただろうか、と思うくらい重要な時期だったと思います。