「日本列島に匹敵する距離を3か月で完走も」アテネ五輪金メダリスト・野口みずき「スタートラインに立ったとき誰よりも練習してきた自負があった」
── 不安はなかったのでしょうか? 野口さん:なかったです。一緒に会社を辞めた同期ともすごく仲がよくて姉妹のように過ごしていましたし、練習以外ではバカなことばかり言い合ったりして寂しくはなかったです。二人とも結果がどんどん伸びていたこともあり、チーム自体が注目されて新しい選手が入ってきて、2001年の淡路島女子駅伝では初出場で優勝するまでになりました。翌月の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会(岐阜県)では5位に入賞するほど強いチームになりました。ただ、急成長の裏側でケガをする選手も増えて、私はマラソンに専念しようと決めました。
■アテネ五輪では「誰よりも練習してきた」ことが自信に ── その後、2004年にアテネオリンピック女子マラソンで見事、金メダル獲得。酷暑の中でラスト10kmはヌデレバ選手の猛烈な追い上げがあり、ゴール後は具合も悪そうでした。そんな過酷なレースを制することができたのはなぜですか? 野口さん:自信があったからです。参加選手の中で誰よりも練習をしてきた、という自信はありました。元々あまり緊張するタイプじゃないんですが、さすがにオリンピックという舞台でスタート前は少し緊張していました。でもスタートラインに立った瞬間「絶対に私はこの中で一番練習してきた」 と思えて、ピストルが鳴ったらもう前に飛び出していました。
ゴール後、具合が悪くなったのは軽い熱中症になっていたからです。本当は最初の10~15kmくらいですでに気持ちが悪かったんです。でも先頭を走っているので、目の前に大きなトラックに乗った各国のカメラマンが私のほうにカメラを向けてくれていました。もしここで吐いたりしてしまったら、世界中に気持ち悪い映像が流れることになる!我慢しなくちゃ!と言い聞かせていたらスーッとラクになりました。その後、気がついたらスパートをかけるタイミングがあってゴールしていました。ゴール後はさすがに緊張の糸が切れて、ホッとした瞬間に気持ち悪くなっちゃいました。