なぜラグビー元日本代表の五郎丸は22歳で決めた「35歳引退プラン」を貫いたのか?
濃密なラグビー人生にはさまざまなマイルストーンが刻まれている。例えばキックだけで2003年の第5回ワールドカップ得点王に輝き、イングランド代表を初優勝に導いた英雄ジョニー・ウィルキンソンに、大学1年だった2004年の夏に受けた指導はヤマハ加入後も五郎丸を支え続けた。 「世界のトップの選手が、ここまでキックにこだわってプレーするのかと刺激を受けました。ウィルキンソンさんの姿を自分の目で見られた機会を通じて、キックに対する姿勢も大きく変わりました」 翌2005年に大学生ながらデビューを果たした日本代表に、しかし、なかなか定着できない。2007年と2011年のワールドカップ出場を逃し、五郎丸本人をして「本当に縁がない人間でした」と言わしめた、ワールドカップとの距離を一気に縮めさせたのが、2012年4月に日本代表のヘッドコーチに就任したエディー・ジョーンズ氏との出会いだった。 「縁あって素晴らしいヘッドコーチに呼んでいただき、過酷なトレーニングを4年間しっかりと耐え抜いたことで、自分が3歳から続けてきたラグビーを子どもたちにとっての憧れのステージに上げられたことを、本当に嬉しく思っています。長くラグビーをしていると一番の思い出を選ぶのは難しくなりますけど、日本のラグビーの歴史を変えた南アフリカ戦はやはり心のなかに残っています」 イングランドで2015年秋に開催された第8回ワールドカップ。終了間際の逆転劇で優勝候補から世紀の大金星をもぎ取った南アフリカ代表との初戦を含めて、グループリーグの4試合で五郎丸はトータル58得点をマーク。帰国したときには自身を取り巻く状況が一変していた。 キックを蹴る前に両手を顔の前で組み集中力を高めるためのルーティーンが「五郎丸ポーズ」として老若男女が真似するトレンド入り。新語・流行語大賞のベスト10に「五郎丸ポーズ」が入り、テレビCMにも続々と起用される状況に、五郎丸は「違和感がありました」と苦笑する。 「ラグビーは誰かヒーローが出るのではなく、チーム全員が自分の仕事をまっとうした上で勝利が見える競技性をもっています。なので、私一人にフォーカスされる状況には非常に違和感がありました」 もっとも、子どもたちが野球でもサッカーでもなく、楕円のボールに興味を抱く光景はエディージャパンに名前を連ねた選手たちが願ってやまなかったものだった。時代が大きく変わろうとしているなかで、誰かが旗手を担わなければいけないと思うと、不思議と違和感は消えていった。 「ラグビーという競技がこの日本で広がっていない以上、ラグビーの魅力を広げていくことが私に与えられた使命だと感じてきました。考え方を変えれば素晴らしい機会をいただいたと思いますので、あのポーズからラグビーを好きになった、他の選手を好きになったという方が一人でも多くいらっしゃれば、私がラグビーを続けてきた意味があるのかなと」