アメリカ車っぽいのにはワケがある!? 派手なワンオフモデルのアバルト208 A
戦後間もない頃、アメリカの自動車市場は活況を呈し、世界で最も派手なスタイルを有していた。進行中の宇宙開発競争に大きな影響を受け、ほぼ毎年、ロケットや飛行機を模したリアテールフィンを持つ車が投入されていた。シボレー、ポンティアック、キャデラック、フォードといったメーカーは、明るく刺激的なツートンカラーの外装色と相まって、1950年代のアメリカンドリームを体現していた。最近、アメリカでさえもモノトーンな外装色が増えたのは、“勢い”に欠けているのだろうか? 【画像】アメリカでのプレゼンスを高めるために誕生したワンオフモデル、アバルト208 A(写真15点) アメリカでのプレゼンスを高めるべくヨーロッパのいくつかのメーカーは、アメリカ勢と同じような先鋭的な宇宙時代のスタイリングを持つコーチビルドのワンオフ・デザイン・スタディやコンセプトカーを作った。大西洋の向こう側をターゲットにしていることから、スティーロ・トランスアトランティコ(大西洋横断スタイル)と呼ばれていた。イタリア人にとって、このスタイルはアメリカとイタリアの自動車デザインの長所を融合させたもので、最もよく知られた例はアルファロメオの3台のB.A.T.(ベルリネッタ エアロディナミカ テクニカの略で日本語に訳すと“空力技術のクーペ”)だろう。 1949年に設立されたばかりのアバルトは母国イタリアだけでなく、海外にもその名を轟かせようと躍起になっていた。そして、スティーレ・トランスアトランティコの長所を生かした少量生産の車をデザインすることで、顧客を獲得できると考えた。レーシング志向のスパイダー(207 A)、クーペ(209 A)、そして今回、RMサザビーズの“プライベートセール”に出品されているスパイダー(208 A)である。207 Aは10台が製造され、209 Aと208 Aはワンオフモデルである。2台のワンオフカーは、1955年のトリノ・モーターショーで207 Aとともにお披露目された。 カロッツェリア・ボアーノが手掛けた208 Aは、ジョヴァンニ・ミケロッティがデザインしたものでアメリカ市場ウケを狙っていたが、中身は紛れもないイタリア車であった。超軽量シャシー、小排気量ながらパワフルなエンジンを搭載し、正確かつ繊細なハンドリングを実現させていた。ハードウェアはサスペンションや1,089ccの4気筒エンジンなど、多くがフィアット1100からの流用だった。ツイン・ウェーバー・キャブレターとカスタム・エキゾースト・ヘッダーで構成されたアバルトのチューニングによって、このエンジンの最高出力は66bhpにまで引き上げられていた。 208 Aは、1950年代にニューヨークでアバルトをはじめとする多くのイタリアン・ブランドの輸入代理店を務めていたニューヨークのトニー・ポンペオによって輸入された。最初のオーナーは、デュポン家の兄弟だった。そう、あの化学品メーカー、デュポンの創業一族である。デュポン兄弟は熱烈なレース愛好家で、彼らが走らせた小さなアバルトはさぞかし世間から注目を浴びたことだろう。やがて208 Aはデュポン社で航空機整備士として働く人物に売却後、1970代初頭に同じくデュポン社で航空機整備士だったビル・ヘイル氏に譲られた。 2007年、無名のスポーツカーとして知られるようになった「エッチェテリーニ」のコレクター、エラッド・シュラガがビル・ヘイル氏の208 Aを見つけた。熱心に2年間も説得を続け、2009年夏に208 Aはエラッド・シュラガの手に渡った。車両は多少、ボディに凹みがあったが、驚くほどオリジナルの状態が保たれていた。あえてフルレストアを施すのではなく、必要最低限な板金作業、そして走行にまつわる機械部品のリフレッシュにとどめられた。 208 Aは2013年、エラッド・シュラガによってアメリアアイランド・コンクール・デレガンスにて一度だけ披露されたことがある。208 Aは、その希少性、歴史的重要性から、多くのコンクール・イベントやラリーで歓迎されることは間違いない。数年前、現オーナーに売却され、最近3万ユーロ以上を費やして母国イタリアにて、コラード・ロプレストの手によってオリジナル・カラーへ再塗装が施された。 プライベートセールは一般的なオークションのように広い会場にて大勢が競るのではなく、出品者とオークション会社で取り決めした「希望販売価格」が提示される。もっとも、208 Aの価格は「お問い合わせ」。なお2020年、B.A.Tは3台セットでオークションに出品されたことがあるのだが、そのときは1,484万ドルで落札された。 文:古賀貴司(自動車王国)
古賀貴司 (自動車王国)