握りのセットが2,800円から! 「すし宗達」の創業者が自ら握る魅惑の町寿司、初台に現る
〈秘密の自腹寿司〉
高級寿司の価格は3~5万円が当たり前になり、以前にも増してハードルの高いものに。一方で、最近は高級店のカジュアルラインの立ち食い寿司が人気だったり、昔からの町寿司が見直され始めたりしている。本企画では、食通が行きつけにしている町寿司や普段使いしている立ち食い寿司など、カジュアルな寿司店を紹介してもらう。
今回は、連載「森脇慶子のココに注目」でおなじみ、フードライターの森脇慶子さんに、最近お気に入りの一軒を教えてもらった。
教えてくれる人|森脇慶子
「dancyu」や女性誌、グルメサイトなどで広く活躍するフードライター。感動の一皿との出合いを求めて、取材はもちろんプライベートでも食べ歩きを欠かさない。特に食指が動く料理はスープ。著書に「東京最高のレストラン(共著)」(ぴあ)、「行列レストランのまかないレシピ」(ぴあ)ほか。
町寿司界のヒーローが付け場にカムバック!「すし 乾山」
いったいいつ頃からだろうか――。“町寿司”という言葉が頻繁に使われるようになったのは。私が子供の頃、父親に連れて行かれる寿司屋は大抵が地元の寿司屋。今でいう町寿司だった。昭和40年代頃の話である。当時は、今よりもっと町寿司が身近だった。確かに、銀座辺りでは、「久兵衛」「奈可田」「きよ田」に「ほかけ」、そして京橋「与志乃」といった高級有名寿司店がしのぎを削っていた。けれども、それらはもっぱら芸能人や文化人、そして接待の場としての立ち位置だったように思う。
庶民は、地元に根付いた幾つかの寿司屋の中でお気に入りの店を見つけてはのれんをくぐる。それがいわゆる世間並みの寿司ライフだったのではないだろうか。
「うちはそれほど裕福でもなかったので、たまに行く町寿司の握りがおいしくて。今でもあのウキウキとした思いは忘れられませんね」と語るのは、町寿司界のヒーロー新田真治さん。子供の頃に感じたこの高揚感が、寿司職人としての新田さんの原動力であり、また、目指す寿司屋のあり方なのだ。
北海道小樽生まれの新田さんがボクサーを夢見て上京したのは14歳の時。だが運悪く怪我で断念。18歳で寿司職人への道を歩きはじめた。最初の修業先は久我山の町寿司「光悦」(現在は閉店)。ここで5~6年みっちりと寿司のいろはを学んだ後、麻布や浅草、築地など3~4軒の寿司店で更に研鑽を積み、28歳で独立。初台に「すし宗達」を構えたのは2016年のことだ。