【知られざる欧州コースマーシャルの実態(1)】国際ライセンスを所有、ドイツ中心に各地で旗を振る。イタリアだけは“特別区”?
毎年6月、ル・マン24時間レースの開催されるサルト・サーキット。常設トラックと一般道を組み合わせた1周13km超のロングコースには多くのマーシャルポストが点在しており、当然ながらそこでは相当数のコースマーシャルが仕事に就いている。 その中のひとりが、ドイツ人のカーステン・ヴェルナー氏だ。長年ル・マンをはじめ、MotoGPなどでコースマーシャルに従事してきたヴェルナー氏とザビーネ夫人に、ナゾに包まれた世界最高峰の24時間レースの仕事体制やコースマーシャルの舞台裏について、彼の勤務先でもあるDEKRAラウジッツリンクで聞いた。 ■マーシャル歴は40年。求人広告きっかけでル・マンへ ──ヴェルナーさんはラウジッツリンクのご勤務ということですが、普段はどのようなお仕事をなさっているのですか? ヴェルナー:DEKRAは試験検査機関で、私はそのテストドライバーとして働いています。あらゆるメーカーのバイクから大型トラックまで、消費者センターやさまざまな機関から依頼されるテスト項目に沿って私はドライブし、評価する役割を担っています。同じくコースマーシャルをしている妻は障害者の就労施設で働く会社員です。 ──コースマーシャルになられたきっかけは? ヴェルナー:まだ東西ドイツが分かれていた頃に、私の出身地である旧東ドイツのケムニッツ近くの小さな町のサーキットでは年に一度、クルマとバイクのレースが開催されていました。当時、叔父がレースのオーガナイザー側で働いており、人手不足で駆り出されたのがきっかけで1984年から現在に至るまで40年もの間、コースマーシャルを務めています。 ザクセンリンク、そして現在はDEKRAの所有となっているラウジッツリンクのコースマーシャルとして、一方でドイツ国内のバイクの選手権ではレースディレクターとスポーツコミッショナーを務めています。 (筆者註:アレックス・ザナルディがチャンプカー・ワールドシリーズで両脚を失った事故当日も、コースマーシャルとしてラウジッツリンクで従事していたそうだ) ──東ドイツを中心にコースマーシャルをされているヴェルナーさんが、どうしてル・マンへ行くことになったのですか? ヴェルナー:ル・マンではポストごとに班長がいるのですが、後に私がル・マンで従事する際の当時のポストのフランス人班長は流暢なドイツ語を話す方でした。インターネットもない時代ですから、当時はその班長がドイツの新聞の求人広告に、ル・マンのコースマーシャルを募集したのです。偶然にもそれにラウジッツリンクの同僚のひとりが応募し、一緒にル・マンへ行かないか? と誘われて、ル・マンに通い始めて20年になります。 ■親子2代でマーシャルに。講習会では立場が逆転 ──コースマーシャルのライセンスはどのような制度になっているのでしょうか? ヴェルナー:私はドイツのDMSB(モータースポーツ協会)が発行するインターナショナルのライセンスを所有していますので、ル・マン/WECやMotoGP、F1でコースマーシャルの任務に就くことが可能です。実は私の妻もコースマーシャルのインターナショナルライセンスを所持し、MotoGPやWECといったレースで、夫婦で一緒にポストに立っています。 インターナショナルライセンスは、4輪、2輪ともに有効で、このタイプはドイツでも約15年前から発行されているものですが、各国でライセンスについての内容は若干違うようで、4輪と2輪レース用のライセンスが分かれている国もあるようです。 余談になりますが、子どもたちもある程度の年齢になった頃からは、ル・マンに一緒に連れて行っていました。最初は『ベーカリー・サービス』、いわゆるコースマーシャルの食事の準備の手伝い等をしていました。 その影響か、長女もコースマーシャルのインターナショナルライセンスを18歳で取得し、最初の国際レースデビューはMotoGPで、その次がル・マンでした。幼少期からの体験で長女はモータースポーツの世界に魅了され、大学を卒業後にオッシャースレーベンのサーキットへ就職し、コーポレートコミュニケーション部門の責任者として、プレスオフィサー、PR・マーケティングに従事する一方で、オッシャースレーベンのレースマーシャルの代表を務めています。 いまは仕事が多忙で一緒にコースサイドで旗を振る機会がなかなかありませんが、DMSBのコースマーシャルのライセンス更新の際には、オッシャースレーベンで開催される講習会で娘の講義を夫婦で受けていますよ(笑)。 ──ル・マンは年に一回ですが、シリーズ戦のMotoGPのコースマーシャルをされる場合、どこのどのレースに派遣されるのでしょうか? ヴェルナー:MotoGPはレースごとに自身で応募してコースマーシャルとしての任務に就きます。私たちは地元ドイツのザクセンリンクをはじめ、シルバーストンやバルセロナ等、さまざまな地で旗を振っていますが、イタリアではまだ叶っていません。ご存知のとおり、イタリアのMotoGP人気は相当なもので、イタリアのサーキットはコースマーシャルをイタリア人だけで固めたいようで、残念ながら外国人が入る余地はありません。 ──ル・マン以外では4輪の国際レースには今年はどこかに? ヴェルナー:今年のル・マンの前には夫婦でWECのスパでコースマーシャルをしましたし、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)のラウジッツやザクセンリンクへも参加しています。 ──ということは、WECスパのあの長い赤旗中断をコースマーシャルとしてご経験でしたね。ポストにいたマーシャルのみなさんはどんな様子だったのでしょう? ヴェルナー:私たち夫妻はラディヨンのアウトサイドを担当していましたが、状況や経過はまったく知らされていませんでした。ただ、19時にレースを終了しなければならないという、地元行政との取り決めがあり、その時間がネックとなって主催者側と地域行政との話し合いが続いていたというのは知っていました。ですから、レース再開が決まって急に慌ただしくなったのは私たちも同じで、長時間何の連絡もなかったのですが、突如無線が入り、再開準備開始! と言われたので、あの日にスパにいた観客やチーム関係者等、誰もが全員大変だったと思います。 * * * * * インタビュー後編(近日公開)では、気になるル・マンでのマーシャルの人数やその勤務体制、報酬などについて話を聞く。 [オートスポーツweb 2024年12月23日]