なぜ五輪で不完全燃焼だった川崎Fの三笘薫は英プレミアのブライトン移籍を決断したのか…「プロとしての向上心とチャレンジ精神」
プロサッカー選手になる前から抱いていた夢に、不完全燃焼の思いを募らせた東京五輪のリベンジを加えて、稀代のドリブラーが戦いの舞台をヨーロッパへ移す。 J1の川崎フロンターレは10日、東京五輪代表MF三笘薫(24)が英プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンへ完全移籍すると発表した。 契約期間は4年。今シーズンはイギリスの労働許可証が発給されないため、ブライトンのオーナー、トニー・ブルーム氏が2018年に買収したベルギー1部リーグ、ロイヤル・ユニオン・サンジロワーズへ期限付き移籍して武者修行を積む。
53年ぶりのメダルを逃す無念の4位で、東京五輪を戦い終えてからわずか4日。サガン鳥栖からベルギー1部のシントトロイデンへの完全移籍を8日に発表したFW林大地に続いて、三笘も戦いの舞台をJ1リーグからヨーロッパへと移す。 「フロンターレはサッカーだけではなく人として成長させてくれたクラブであり、さまざまな思いがありますが、プロサッカー選手として常に向上心とチャレンジの想いを持っているために今回の決断となりました」 川崎を通じてブライトンへの完全移籍を決意した胸中をファン・サポーターへ伝えた三笘は、新天地のクラブ公式ウェブサイトで感謝の思いと抱負を綴っている。 「海外でプレーするのが僕の夢でした。僕に対して最初に興味を示し、オファーをくれたブライトンには本当に感謝しています。今シーズンはベルギーでプレーするのが楽しみですが、最終的には世界最高のプレミアリーグでプレーすることを目指していきます」 7月上旬の段階でブライトンへの完全移籍と、サンジロワーズへの期限付き移籍が一部メディアで報じられていた。しかし、目の前に迫る東京五輪にすべてを集中させたい思いから、三笘は「現時点で僕から話すことはありません」と明言を避けていた。 「ただ、常に上を目指してやってきたことに変わりはありません」 こんな言葉もつけ加えていた三笘は不安を抱えながら、東京五輪に臨むU-24日本代表に合流していた。ウズベキスタンで集中開催されたACLグループリーグで違和感を覚えた右太ももが癒えないまま、別メニュー調整を余儀なくされていたからだ。 当然ながらコンディションは上がらず、U-24南アフリカ代表とのグリープリーグ初戦でベンチ入りメンバーから外れる。U-24メキシコ代表との第2戦で後半34分から途中出場するも、U-24フランス代表との最終戦はリザーブのまま終えた。