本田圭佑にとって、2016年は試練の1年だった。イタリアの名門ACミランでは1月からレギュラーの座を掴んだものの、夏にモンテッラ新監督が就任すると出場時間が減少。試合勘が鈍ったと見られ、日本代表でもサウジアラビア戦で先発から外れた。だが、それでも本田は「そんなの悩みのレベルに入らない」と言い切る。本田の不屈の精神力に迫る。(文・写真=木崎伸也/Yahoo!ニュース編集部)
ACミランのトレーニング施設「ミラネッロ」は、ミラノ市内から車で約1時間の小さな山の上にある。クラブカラーの赤と黒で統一された2階建てのクラブハウスは別荘のような佇まいで、実際、全選手に個室部屋が用意されていて泊まることができる。
12月上旬、訪れた日は1日2回の2部練習が組まれていた。敷地外から様子を伺うと、午前中はトレーナーの指示のもと、選手たちがジムの中で器具を使ったフィジカルメニューを行なっていた。各メニューが終わるごとにコーチが手元のリストにチェックを入れている。
だが、その最中、1人の選手がピッチに姿を現した。背番号10、本田圭佑だ。本田はストップウォッチを片手にコーンを並べ、スプリントメニューをやり始めた。ダッシュを繰り返し、白い息が吐き出され、遠目からも追い込んでいるのが伝わってくる。計10本、ピッチを往復し終えると、本田は再びクラブハウスに吸い込まれた。トレーナーが用意したメニューは一切やることがなく——。
午後練はミニゲームを主体とした通常の練習で、本田もチームメイトともにピッチを駆け回った。ウォーミングアップのボール回しでは、キャプテンのアバーテや若手のロカテッリとふざけ合う。輪を乱している存在でも、孤立している存在でもない。だが練習後、再び1人で黙々と走り始めた。明らかに特別行動が許されている。
2部練が終わって日が沈みかけた頃、本田を乗せた車がミラネッロの門から出てきた。手を上げて呼び止め、率直に疑問をぶつけた。なぜ、本田圭佑だけチームと別行動をとっているときがあるのか?
本田は「今さら、その質問?」と笑い飛ばした。
「ミランに来てから、ずっとそうですから。最初はトレーナーがいろいろ言って来たんですが、僕と話しているうちにこっちのメニューに理論的な根拠があることが伝わり、フィジカルに関しては自分のやり方でやらせてもらえるようになった。なんでもかんでも言われた通りやればいいというものではないでしょ。いったい本田圭佑を何年取材しているんですか(笑)」
苦境でも媚びない、本田圭佑
筆者は2010年W杯後から本田の取材を始め、2016年11月には『直撃 本田圭佑』(文藝春秋)を上梓した。試合に向けたメンタルトレーニング、非エリートの流儀、コミュニケーション論など、踏み込んだノンフィクションを書いたつもりだった。だが本人いわく「それは俺の一部にすぎない」。ミランという名門クラブで、ここまで自由に振る舞っているとは想像していなかった。
「へりくだって受け入れてもらうやり方もあるかもしれない。でも、自分はそれをしない。どこにいようと本田圭佑でありたい。それだけのことです」
今、ミランで置かれている立場は決して好ましいものではない。夏にモンテッラ監督が就任して以降、スペイン人のスソに右FWのポジションを奪われ、出場機会が減っている。その影響で、日本代表でもサウジアラビア戦で先発から外れてしまった。状況を好転させるために、もっとモンテッラ監督の機嫌を取ろうとしてもいいはずだ。
それでも本田は媚びようとしない。逆にモンテッラ監督にとって耳の痛い進言をしているほどだ。たとえば試合後のロッカールームで、「今日勝てたのはたまたま。勝利は嬉しいがチームの練習が足りないのは明らかで、今後も勝ちたいならもっとやるべき」と監督に伝えた。
「負けた試合の後には言わないですよ。でも勝ったときはみんな聞く耳を持つから、厳しいことを伝えるチャンス。もちろん試合に出たい。でも弱いミランではなく、強いミランでこそ、ポジションを奪い取る価値がある。何より僕は人にアドバイスをするのが好きなんですよ」
――助言によって、仲間がいいプレーをしたら嬉しい?
「嬉しいね。僕の言葉を受け入れてくれて、その人のターニングポイントになったら、自分の喜びになる。FKを蹴ることだけでなくて、アドバイスも自分のスキルだと思っているんで。日々考えるわけですよ、どうしたら本田圭佑がオンリーワンの存在になれるか。もちろん、それは簡単ではない。サッカースキルだけじゃほぼ無理なわけです。でも諦めたくなくて、考えて、考えて、考えて、絶対に譲れないというものが1つ見つかった。何やと思いますか?」
何だろうと考えていると、本田が言葉をかぶせた。
「僕がたどり着いたのは根性なんです。僕って祖父母に育てられたんですね。めちゃくちゃ厳しい、昭和のど真ん中の教育です。団塊世代の人たちが受けたような教育じゃないかな。そこに父親や兄とサッカーというツールを通じて、男として強く生きるための多くを学ぶことができた。今の30歳で、こういう環境で生まれ育った人間はほとんどいないと思う。これまでいろんな経験をしてきて、少なくとも自分の身の回りで、根性で僕を上回った人間は1人もいなかった。サッカー選手で俺以上に根性あるやつは見たことがない」
――根性が一番試されるのはどんなときだろう。
「一番違いが出るのは、心が傷ついたとき。とにかく苦難に直面しているときにこそ、根性の真価が問われる。自分にとっての最大の苦難は死で、それ以外はどんな失敗や困難に陥ったとしても、次の挑戦に向かう自信があるし、それらの困難はちっぽけだと考えることができる。どんな困難であってもというのが大事なんです」
――ピンチほど燃えるというのは、究極の天邪鬼と言えるかも。
「なんでなんですかね、自分でも分析できない。ただ、命ってすごく儚いなって日々思う。明日には移動の飛行機が落ちてしまうかもしれない。それを想像すると、時間の尊さをものすごく感じる」
「毎日落ち込んでるよ」の言葉の意味
――落ち込むことはある?
「落ち込むことも、傷つくこともある。それは事実。ただ、考える視点が1つじゃないねん。自分だけの目線で考えないという習慣が身についている。多方向から物事を見るということが、トレーニングで身についている。これは誰でも身につけられること。大事なのは人のことをわかってあげようとか、他者の気持ちを想像すること。何か自分が落ち込むことがあったときに、ちょっと待てよと。自分ばっかり不平等なことが起こっていると思っていていいのかと。あの人だって辛いことがあるんじゃないかとか。傷ついていいんだけど、落ち込んでいいんだけど、引きずらずに自問自答して欲しい。もしかしたら、ちっぽけなことなんじゃないかなと。そうしたら落ち込んでいる時間がもったいなく感じてくる。それが俺の言うポジティブかな」
――最近、落ち込んだことは?
「毎日、落ち込んでいるよ。自分ができることが限られているのをわかっているつもりでも、やっぱり悔しい。選手としても、人としても。無力さを痛感している。いつ夢半ばで途絶えることになるかもしれないと思うと、自分が偉そうに努力やら情熱やら、日本代表で世界一とかいろんなフレーズを使っていることがホンマちっぽけやなって。地球の一部分でイキがっているだけ」
――無力だと感じたときに、そこからどうやって気持ちを盛り返すのか。
「後悔せんとこ、っていうことかな。やりたいことをやろうと。成功とか失敗とか、どっちでもええやん、そんなもんと。そんなことを考えてたら、次々に壮大なアイデアが浮かんでくるんです」
プロスポーツの世界は残酷だ。成功と失敗のボーダーがはっきりしており、努力では越えられない身体能力の壁がある。だが、それでも本田は頂点へ駆け上がることを諦めていない。2017年も根性をガソリンに燃え続ける。
木崎伸也
1975年1月3日、東京都出身。2002年W杯後にオランダへ移住し、'03年からドイツ在住。現地のフットボール熱をNumberほか多くの雑誌・新聞で伝えてきた。'09年2月1日には帰国し、海外での経験を活かした独自の視点で日本のサッカージャーナリズム界に新風を吹き込んでいる。著書に「2010年南アフリカW杯が危ない!」(角川SSC新書)、「サッカーの見方は1日で変えられる」(東洋経済新報社)、「世界は日本サッカーをどう報じたか」(KKベストセラーズ)がある。2016年11月には『直撃 本田圭佑』(文藝春秋)を上梓した。