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WHOが宣言した新型コロナウイルス肺炎への「緊急事態」とは(追記:31日に宣言)

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
厳戒態勢(写真:ロイター/アフロ)

 正確には「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」。国連の専門機関であるWHO(世界保健機関)憲章(条約)に基づく国際保健規則(IHR)で定めていて「原因を問わず、国際的に公衆衛生上の脅威となりうる、あらゆる健康被害事象」を対象にします。IHRは法的拘束力を持ち、各国の検疫の基準ともなるのです。

2005年に役割を大きく広げる

 宣言すべきかどうかはWHOの緊急委員会に諮り、勧告を受けて事務局長が宣言します。「国際的な公衆衛生上の脅威となり得る」かどうかが大前提で具体的には「事態が深刻か」「予測不能ないしは異常事態か」「国際的に広がる可能性があるか」「交通や貿易などを制限すべきか」などのリスクで評価します。

 かつてはコレラ、チフス、黄熱の3疾病に限定されていましたが、今世紀に入って新しい感染症やいったん克服したはずの病が薬剤耐性などを持って復活してきたケース、また自然発生ではなく生物兵器としてのテロ対象も含まれ2005年から前述の定義(「原因を問わず……」)へと拡大したのです。

 転換点となったのが2002年末から主に中国で猛威を振るった重症急性呼吸器症候群(SARS=サーズ)の発生。今回と同じコロナウイルスの新型が原因でした。航空旅客が感染地と遠く離れて発症したケースも確認されWHOは封じ込めへやっきになるとともに、05年にIHRの対象拡大を採択したのです。SARSはもとより同年頃、流行が確認された高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)、ウイルス根絶を目指すポリオ(小児マヒなど)、根絶宣言したものの兵器化が懸念される天然痘などを対象としました。多剤耐性を持つ結核菌のような再興感染症にも意を配ります。

 宣言がなされれば加盟国の政府担当部局(日本だと厚生労働省)から届けられる人的、物的支援に司令塔として連絡調整に関わります。宣言自体が支援をうながす号砲にもなり得るのです。それは軍隊のような実力組織であったり、金銭であったりとさまざま。出入国制限などの勧告もできるのです。現在ではNGO(非政府組織)とのコミュニケーションも大きな役割。

過去5回のケース

 以後「緊急事態」はこれまで5回宣言されていました。今回の事態でも「早々に宣言すればいい」との声を聞くのですが、経緯を観察するとどうやらそう簡単でなかったようで。

【1回目】評価は「空振り」「偽り」と散々

09年 新型インフルエンザ(H1N1亜型)のパンデミック宣言

 WHOは最終的に度合いが最も深刻なパンデミック(感染爆発あるいは世界的流行)を宣言しました。すべての人類の脅威とまで警戒され、一時騒然。しかし結果的には毎年のように発生する季節性のインフルエンザと被害が大差なく「空振り」はまだいい方で「偽り」果ては「製薬会社と組んだ自作自演」まで疑われる始末でした。これが以後「緊急事態宣言」を出すトラウマになったと指摘する向きも。

【2回目】撲滅計画への疑義

14年 野生型ポリオの国際的拡大

 ポリオはWHOが根絶を目指している病気の1つ。そのプロセスに重大な障害になり得る事態が発生しているという疑念が宣言に結びつきました。南アジアから中東を経てアフリカに至る一帯で拡大が認められて根絶計画に大きな脅威となるとしたのです。

 すなわち計画失敗に結びつきかねないという意味で「事態が深刻」に該当し、さらに一帯の一部で内紛が起きているなどの不安材料が認められて「国際的に広がる可能性がある」にも当てはまりました。

 このように「緊急事態宣言」とは「死に至る病があれよあれよと世界中に飛び火する」というイメージとは遠い状態でも出されるのです。このケースだと撲滅作戦に支障をきたす心配があるという意で用いられました。

【3回目】評価は「遅れ」「受け身」

14年 西アフリカにおけるエボラ出血熱流行

 薬もワクチンもなく致死率も極めて高いエボラ出血熱への対応。13年末から大発生し「国境なき医師団」などNGOが「前例のない流行」「制御できない」と悲痛な報告をしていたにもかかわらず緊急委員会は8月まで開かれませんでした。すでに約千人が死亡していたと推測されています。

 この問題をWHO自身が検証すべく外部識者によって構成された独立調査委員会などを設けます。結果は「重大で正当化しようのない遅れ」「受け身」と厳しい内容でした。09年の「勇み足」とは正反対の、しかしマイナスという点では一致する組織の課題が浮き彫りになったのです。

【4回目】生命の危機以外での宣言理由

15年 ジカ熱の世界的流行

 エボラの教訓もあって「素早く動こう」と予防的な見地で出したとみられる宣言でした。

 ジカウイルスによって引き起こされるこの病気は主にヒトスジシマカなど蚊が媒介して伝染します。薬もワクチンもありませんが、感染者のほとんどが発症すらせず、出ても微熱や発疹程度。病の重さ自体は「緊急事態」にあたりません。

 それでも宣言したのは感染が確認されたブラジルがリオデジャネイロで夏季五輪を控えていて急激な人の行き来が思うだにしない感染拡大につながりかねない心配を抱えていたからです。より深刻なのは脳の発育が先天的に不十分な小頭症の赤ちゃん出生との関連。因果関係が医学的に解明されているとはいえない段階でしたけど妊婦へのリスクは否定できないとの観点から警告し、ボウフラの発生源を減らしたり蚊をよける対策(長袖着用や虫よけスプレーなど)を徹底したりといった意識の喚起に努めました。

【5回目】続行中

19年 コンゴ民主共和国におけるエボラ出血熱流行

 前年から発生。19年に入って隣国との国境地帯で感染が確認されて拡大への不安から宣言しました。まだ解除に至っていません。

【6回目】今回

20年 新型コロナウイルス肺炎

因果関係が不確かでも予防的措置が発動できる強み

 過去のケースからわかるようにWHOの緊急事態宣言は必ずしも文字通りの「緊急事態」を指さないという点に注目したいところです。今回の新型肺炎も中国に限定すれば間違いなく「緊急事態」なのですけど「国際的な拡大」(中国以外への広がり)や国際協調の必要性まで条件がそろうかというと意見が分かれるところです。

 言い換えると条件がそろえばジカ熱のように病状一般が軽くても宣言されます。該当するかどうか見極めるのに時間がかかると遅すぎると、重大性を強調して結果的にさほどでもないと空振りと非難されるから専門家集団とはいえ緊急委員会もつらいところ。

 それでも宣言の有る無しが重要なのは因果関係が科学的に証明されていなくても予防的見地から発せられる相当に強制力がある措置だからです。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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