見解個人的な思い出として、米国に住んでいた時、親に連れられて日本食品の買い出しにリトル・トウキョーに行き、帰りにドジャースの試合を見るというパターンがあった。実感的に言えば、この日系人街は、遠い日本の情報や物品に触れることができる窓であった。 しかし、日本食品は他のアジア系の店舗などで購入できるようになり、情報も入手が困難で無くなり、そして日系人が一ヶ所に集中して住む必要も無くなった。 渡米する日本人の特徴として、米国社会に溶け込もうとする傾向があるように思う。かつて中国や韓国の友人と、米国におけるアジアコミュニティの話をした時、彼らには、同胞と密着し、密接な関係を築け、という「教訓」があると聞いたことがある。実は、かつて米国に移民した他の欧州系の民族集団でも同じ傾向が見られた。 「数は政治力の源泉」と理解し、民族の一体性を重視することは、日本人の最も苦手とするものなのかもしれない。
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コメンテータープロフィール
岡山県出身。一橋大学大学院修了(博士・法学)。防衛庁防衛研究所主任研究官(アメリカ研究担当)より拓殖大学海外事情研究所教授。専門は、国際関係論、安全保障、アメリカ政治、日米関係、軍備管理軍縮、防衛産業、安全保障貿易管理等。経済産業省産業構造審議会貿易経済協力分科会安全保障貿易管理小委員会委員、外務省核不拡散・核軍縮に関する有識者懇談会委員、防衛省防衛装備・技術移転に係る諸課題に関する検討会委員、日本原子力研究開発機構核不拡散科学技術フォーラム委員等を経験する。特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の自律型致死兵器システム(LAWS)国連専門家会合パネルに日本代表団として参加。