田川基成

私はムスリムになることを選んだ――日本人女性たちの決断

6/8(木) 10:17 配信

イスラム教徒(ムスリム)は世界で約16億人。キリスト教徒に次いで多い。日本でも、ムスリムの外国人旅行者が増え、空港に礼拝室を設けたり、ハラル対応の飲食店が増えたりするなど、「おもてなし」の機運が高まる。一方で、海外で頻発するイスラム過激派によるテロにイメージを重ねる人もいるだろう。そんななか、日本社会で暮らしながら、改宗して、ムスリムとしての生活をスタートさせる日本人もいる。
(ノンフィクションライター・中原一歩/Yahoo!ニュース 特集編集部)

東京・御徒町にあるモスクの金曜礼拝の様子(撮影:田川基成)

最後のサムギョプサル

兵庫県神戸市に暮らす渡辺舞さん(35)は、リビア人のアーデル・スレイマンさん(29)との結婚を機に改宗し、ムスリムになった。宗教には縁のない家庭に育ったので、信仰を持つこと自体が初めての経験だ。

舞さんは、海外旅行を手がける会社に勤務し、旅行の企画や現地手配を行っている。中東の国々も何度も旅した。リビア人の父と日本人の母のあいだに生まれたアーデルさんは、リビアの高校を卒業後、18歳で来日した。アーデルさんが、舞さんが働く旅行会社でアルバイトをしていたことが出会いのきっかけだった。

舞さんと娘のリーナちゃん。「リーナ」はコーランにも登場する「小さなヤシの木」という意味(撮影:田川基成)

舞さんが、自分がムスリムになることを意識したのは、交際を始めて数年後、彼と交わしたなにげない会話だった。

「もし結婚することになって、舞がムスリムになるとしたら、何か気になることあるかな?」

「えっ?」

そのとき、「そうか、彼と結婚したら私はムスリムになるんだ」と思った。「ムスリム」はアラビア語で「帰依者」を意味する。唯一神、アッラーの教えを拠りどころにして生きる。彼と結婚して家族になる、そのことはうれしかったが、信仰を持つという実感がわかなかった。

アーデルさんの母・弘子さんは、リビアに嫁いだ日本人女性。舞さんにとって心強い存在(撮影:田川基成)

毎年ラマダン月(イスラム暦で第9月)に行われる断食。日の出から日没までのあいだ、飲食を断つことが義務づけられる。体を清め、欲望を断つことで、神に帰依する喜びを再確認する。欠かすことのできない年中行事だ。

「(交際中に)彼の断食に付き合ったことがあったんです。真夏に水を飲めないので脱水症状を起こしてしまって……。それに、神様の存在を、やっぱり、どこかで信じることができなかったんです」(舞さん)

リビアの一般的な家庭料理。唐辛子やにんにくを使った香辛料はすべて自家製(撮影:田川基成)

原則として、ムスリムはムスリムとしか結婚できない。男性の結婚相手にはユダヤ教徒・キリスト教徒も許されているが、女性の結婚相手にはイスラム教徒しか許されていない。

「彼との人生」と「信仰」のあいだで揺れる舞さんの背中を押したのは、やはりアーデルさんの一言だった。

「信仰とは、『神様をただ信じる』のではなく、『自分の意思で人生をつかみとっていくかどうか』だと僕は思う。いつかその答えがわかればいい」

ムスリム専用アプリ「Muslim Pro」。1日5回の礼拝の時間を知らせるアラーム機能付き(撮影:田川基成)

アーデルさんは、「大人になればよき伴侶を見つけて結婚し、両親はもちろん、年老いた家族を敬うことは、ムスリムとしての生き方の根本」だと言う。

「改宗の無理強いは絶対に禁物です。たとえば、ムスリムがなぜお酒を飲まないのか、結婚するまで性交渉は許されないのか、豚肉を食べてはならないのかなどの理由を、時間をかけて説明する必要があります。それができなければ、2人の関係はそれまでということ。そのプロセスが重要なのです」

結婚式の日。舞さんは、アバヤと呼ばれるアラブの民族衣装を着て、ヒジャブ(スカーフ)を巻いた(写真:渡辺舞さん提供)

2013年、神戸にあるモスクで2人は式を挙げた。舞さんは、集まった両親、きょうだいらの前で、アッラーの名のもとに結婚宣言を行い、イスラム法のもとで舞さんはムスリムになった。

挙式の数日前。舞さんは、友人らに誘われてサムギョプサル(韓国料理で豚バラの焼き肉)を食べに行った。イスラムでは豚は禁忌だ。豚肉を食べるのもこれが最後かと思うと、涙が出るほどおいしく感じた。「豚肉の焼ける芳ばしい匂いと友人たちとの笑い声が今は懐かしい」と舞さんは言う。

舞さんとアーデルさんが式をあげた神戸ムスリムモスク。1935年に建設された、日本初のモスクだ(撮影:田川基成)

オーストラリアから取り寄せたハラル粉ミルク

結婚して最初のラマダン月。西暦の7月で、舞さんは添乗の仕事の真っ最中だった。行き先は北欧。

「(ラマダン中は日没後しか食事がとれないが)白夜なので太陽が沈まないんです。仕事で来ているのですし、飲まず食わずというわけにもいきません」

日本にいるアーデルさんに相談すると、思わぬ返事が。

「添乗しているあいだは国から国へと移動するわけでしょ。正当な理由があって、国境をまたいで移動する者は、ラマダンはしなくていいんだよ」

デーツ(ナツメヤシ)はアラブ諸国では馴染み深い食材。種を取り出し、ブシーサ(数種の豆を乾燥させて粉末にし、蜂蜜と練ってペースト状にしたもの)をはさんで食べる(撮影:田川基成)

本来、こうした信仰の解釈の正当性はイスラム法学者が決める。しかし、国や地域によって解釈は異なり、最終的な判断は個人に委ねられていると、アーデルさんは教えられて育った。この自由な判断と個人の裁量がイスラムの寛容性だと、舞さんは感じている。

結婚して2年目に女の子を授かったが、子育てをする上で苦労したのが食べ物だ。

「ハラル粉ミルクを探すのが大変なんです」

ハラル食材を扱う商店では、世界各国からやってきたムスリムと出会う(撮影:田川基成)

イスラムには「ハラム(禁じる)」と「ハラル(許す)」という考え方がある。食べ物の場合、豚と酒は「ハラム」。それ以外の野菜・果物・魚、イスラムの儀礼の下で処理された牛や羊などは「ハラル」。

「ミルクそのものには入っていなくても、日本の場合、乳化剤や梱包材の原料に豚由来の成分が使われていることが多いんです」

結局、粉ミルクは海外から取り寄せるしかなかった。

オーストラリアから取り寄せた貴重なハラル粉ミルク(撮影:田川基成)

子育ても初めてならば、ムスリムとして母になることも初めて。心強いのは、アーデルさんの母・佐藤弘子さんの存在だ。弘子さんは40年前、結婚を機にリビアに移住し、3人の息子を育て上げた。

「アラブ諸国では、社会そのものが信仰を中心に動いています。ラマダンも、日中はつらいけど、日没後はいっせいに賑やかになり、お祭りのよう。とても楽しいんです。日本では自分以外は信仰と関係ありませんから、モチベーションを持ち続けるのが大変なんです」(弘子さん)

「他者に優しい」イスラム社会に惹かれて

日本におけるムスリムの現状に詳しい早稲田大学の店田廣文教授によると、日本で暮らすムスリムは約11万人。外国人が約10万人、残りが日本人だ。そのうち、舞さんのように、結婚によってムスリムになった日本人は約9000人。大半が女性と推定される。

自らすすんでイスラム教に改宗した日本人も約2000人いる。東京都内に住むアタライ由希さん(31)はそのひとりだ。

モスクで礼拝にのぞむ由希さん。普段からスカーフをまとっている(撮影:田川基成)

由希さんは23歳のときに中東に渡った。

「思春期の頃から、自分は何のために生きているのか悶々と考えていました。ぽっかりと空いた心の隙間を埋めてくれたのが信仰だったんです」

きっかけはテレビのドキュメンタリー番組だった。北アフリカのモロッコ。「なんて美しい国なんだろう。いつか行ってみたい」。美しい光景に惹かれるうちに、人々が信仰するイスラム教の存在を知り、興味を覚える。

御徒町にあるモスク(撮影:田川基成)

あるとき、地元の福岡でスカーフをしたムスリムらしき女性を見かけた。「話がしたいと声をかけました。彼女は日本語学校に通うマレーシア人で、私が人生で初めて出会ったムスリムでした。日本にいながらイスラムの教えを実践している彼女を通じてもっと勉強がしたいと思って、上京することにしたんです」

その後、アラビア語圏への留学の夢が募り、バイトで貯めたお金で中東へ。そこで、信仰と生活が一体となった本物のイスラム社会を知る。

アザーン(礼拝時刻を告げる呼びかけ)を唱えるムスリム(撮影:田川基成)

「ムスリムの社会ほど他者に優しい社会はない。それに、人に対する優しさにまったく見返りを求めないんです。そうしてコミュニティーは成り立っている」

由希さんは2度目の渡航で訪問したシリアでイスラム教に改宗。貿易関係の仕事に就く夫と友人の紹介でお見合い結婚した。

その後、日本に帰国した由希さんのいちばんの不安は就職できるかということだった。

「礼拝の問題など以前に、スカーフなど身なりで判断されるのではないか心配でした。外国人であれば受け入れられても、日本人の、しかも女性となると、話は別じゃないかと思いました」

金曜礼拝にはトルコ人、インドネシア人、マレーシア人、パキスタン人、バングラデシュ人と国籍豊かな人々が集まる。言語や民族は違っていても、誰もがイスラームの同胞、兄弟姉妹だという(撮影:田川基成)

最初に仕事が見つかったのは、当時住んでいた街の国際交流センターに併設されたカフェだった。そこにはたくさんの外国人が出入りしていて、スカーフをつけていても自分だけ浮いた存在になることはなかった。逆に客から「あなたはどちらのお国?」と真顔でたずねられ、「いや、福岡ですよ」と返すと驚かれ、会話もはずんだ。

スカーフは「私が私であるための証」

4月のある日曜日。由希さん一家は、日本で暮らすムスリムの仲間らと、都内の公園に出かけた。家族連れで賑わう休日の公園には子どものはしゃぎ声が響く。

突然、数人の男たちが人目をはばかることなく、何やら口ずさみながら、大地に頭を垂れ、祈りを捧げ始めた。

「アッラーフ アクバル アッラーフ アクバル」(アッラーは偉大である)

「アシュハド アン ラー イラーハ イッラッラー」(アッラーは唯一の神である)

彼らはパキスタン、トルコ、バングラデシュなどからやってきた人々と、由希さんら、日本人ムスリムたちである。国籍や母国語が異なっても、ムスリムであることでつながる。

お祈りをする方角は、世界のどこにいても、サウジアラビアにある聖地メッカの方向と決まっている(撮影:田川基成)

由希さんは現在、都内のモスクに勤務し、日本社会で暮らすムスリムの生活相談に乗っている。

「欧米ではムスリムに対する差別、嫌がらせは日常です。日本でも、スカーフをはぎとられるなどの嫌がらせを受けたと相談してくる女性も稀にいます。そうした相談にはなるべく親身になって話を聞くのですが、そもそも、日本人のムスリム女性が相談できる窓口が極端に少ないのです」

由希さんは、「スカーフをつけて歩いていると、不思議そうな顔で見られることもあります」と言う。それでも、「スカーフをまとうことは、私が私であるための証」だと話す。

(撮影:田川基成)

しかし、イスラム教徒を取り巻く世界情勢が厳しいのも現実だ。テロ事件の犯人の信仰がイスラム教というだけで同一視されることに、由希さんは不安を覚えるという。

「彼らの行動は明らかにイスラムの教えに反する行動です。シリアで日本人のジャーナリストが(イスラム国の)人質となって殺害された事件(2014年発生)のとき、日本中のイスラム教徒が悲しみにくれました。非難されてもおかしくない状況で、どうなるんだろうと不安になる自分もいました。そんなとき、モスクに『大丈夫だよ』とメッセージが添えられた花束が届いたんです。ムスリムを隣人として認めてくれた日本社会に希望を感じました」

毎日、その日の礼拝の時刻を壁のボードに書き出す(撮影:田川基成)

前出の店田教授は、「イスラムに対する関心は、日本国内でも高まっている。それはとても良いこと」だと言う。一方で、「国籍や民族よりも、信仰を拠りどころにする生き方は、宗教信仰に関心が薄い多くの日本人には馴染まないのではないか」と言う。

「イスラムを『信仰』ではなく、『異文化』として関心を持つ人々は増えているようだが、信仰の対象として考えている人は多くないように思う。もちろん相互理解は重要だが、まずはイスラムの信仰を尊重する態度が重要ではないでしょうか」

日本語とアラビア語に堪能な由希さんは、日本に暮らすムスリムのよき相談相手でもある(撮影:田川基成)

舞さんとアーデルさんが結婚した日本で最古のモスクが建設されてから80年余り。ムスリム・コミュニティーは日本に根をおろしつつある。

舞さんとアーデルさんは、娘が大きくなって自我が芽生えたとき、スカートがはきたいと言い出したらどうするか、いつも議論をする。

「ムスリムの女性は極力、肌を露出させてはいけないんです。彼は、私には一度も強制したことはありませんが、娘にはズボンをはかせると今から宣言しています。でも、日本で生まれて、友だちがスカートをはいているのに、自分だけズボンだと生きづらいんじゃないかなとか、女の子の目線でいろいろ考えてしまいます」(舞さん)

現在、日本全国に90カ所のモスクが開設されている。観光で日本にやってきたムスリムが礼拝に参加することも多くなっている(撮影:田川基成)


中原一歩(なかはら・いっぽ)
1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに、雑誌や週刊誌をはじめ、テレビやラジオの構成作家としても活動している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』など。最新刊『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』。

[写真]
撮影:田川基成
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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