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孟翔羽

中国「失独家庭」100万の怒り――「一人っ子政策」が悲劇を生んだ

2016/05/27(金) 12:05 配信

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中国・北京の政府機関前に4月中旬の3日間、約2000人もの男女が集まり、抗議の声を上げた。ほぼ全員が中高年。いずれも昨年まで40年近く続いた「一人っ子政策」の下、たった一人のわが子を亡くした親たちだ。彼らのことを中国では「失独家庭」「失独者」と呼ぶ。「約束を果たせ」と政府に迫る彼らは、いったい何を訴えているのか。全国に100万世帯以上いると言われる「失独家庭」に迫った。(Yahoo!ニュース編集部)

「誰が面倒をみてくれますか?」

中国の人口政策を担う「国家衛生・計画出産委員会」の建物前は、ものものしい雰囲気に包まれていた。

警官隊が群衆を取り囲む。シュプレヒコールのような大声こそないものの、中高年の失独者たちは、口々に何か言葉を発している。中国全土から集まった彼らは、やがて強制的にバスに収容された。少し抵抗する姿、泣いている顔も見える。

失独者のデモに参加した女性。警官に取り囲まれ、困惑している

北京から車で2時間ほどの港湾都市・唐山市から来た60代女性のヤンさんは、こう言った。

「私たちは失独者になり、自分たちを養ってくれる人を失いました。今は自分で身の回りのことができますが、それができなくなったら、誰が面倒をみてくれますか? 失独老人が孤独死し、誰も気づかずに体が腐敗していたケースは結構あります。(一人っ子政策を推進していた)当時、政府は『一人っ子政策を守れば、老後の面倒をみる』と約束した。それなのに約束を果たしていないばかりか、私たちのデモ活動も阻んでいます」

デモに参加した失独者の女性は「介護してくれる人がほしい」と話す

「もしも2人目を産めていれば」

実は、失独者による抗議活動は、これが初めてではない。ここ数年、事あるごとに全国から北京に人が集まり、大小さまざまな活動が続いている。こうした抗議活動を中国の報道機関が大きく報じることはほとんどないが、当事者たちはインターネットも使いながら情報交換を続けており、活動は広がりを見せている。

この日、中国中部の湖南省から来た夫妻も「ネットを通じて集まった」と話す。求めているのは、政府による老後の介護と医療サービスの提供だ。「もし子どもを2人産めていれば、老後の不安はなかった。国家の一人っ子政策のせいで、私たちは1人の子しか産めませんでした」

子どもを失った湖南省の男性は老後の不安を口にしていた

心臓に問題を抱えているという東北地方の失独者の女性は「一人っ子政策のために、4人の子どもを中絶した。政策を守ったのに、政府に捨てられました」と訴えた。

中国が一人っ子政策を導入したのは1979年だった。爆発的に増えると予想されていた人口を抑制するためで、翌年には「晩婚」「晩産」を盛り込んだ新しい婚姻法も成立。政策に反して2人以上の子どもを産んだ場合、年収を上回る罰金を課す仕組みなどもでき、多くの中国国民が政策に従った。

毎年10万世帯生まれる「失独家庭」

人口問題に詳しい米国ウィスコンシン大学の易富賢(イ・フウセン)研究員は、「失独」問題にも早くから着目してきた。

易氏によると、子どもが1人しかいない家庭は現在、1億5000万から2億ある。その子どもの5%は25歳までに死ぬ可能性があり、毎年およそ10万世帯の失独家庭が新たに生まれている。このままでいくと、20年後の失独家庭は数百万に達するという。

北京市内で暮らす子ども。中国では「一人っ子政策」が長く続けられてきた(撮影:孟翔羽)

易氏はこう話す。

「失独家庭が急に増えてきたのは、2000年に入ってからですが、ずっと前から中国の一部の人民代表は問題に気づいていました。しかし、国家衛生・計画出産委員会はそれに関連する報道を禁じていました」

中国の失独家庭の問題の背景には、国策として40年近く続けられた「一人っ子政策」がある。この政策の廃止が発表されたのは、昨年だ。

中国でも2000年代に入ってから少子高齢化の流れが出始め、将来人口の頭打ちが予測できたにもかかわらず、なかなかこの政策をやめなかった。その間、政府は「一人っ子政策は良い。政府が老後も面倒をみます」といった宣伝を続けていた。

「失独家庭」は中国全土に存在している(撮影:孟翔羽)

「不吉な家族」と呼ばれ、転居した

4月下旬、北京郊外の失独家庭を訪ねた。夫の張さん(66)はバスの元運転手。妻の楽さん(65)=仮名=は元工場勤務。2人合わせて、日本円で月10万円ほどの年金があり、それで何とか暮らしている。

専門学校を出て電車の運転士になった息子は1998年、不慮の事故で他界した。20歳だった。1人息子の話になると、妻の涙は止まらない。

「あまりにも突然すぎて、受け入れられませんでした。救急車で病院まで運んでもらったが、間に合わなかった。こんなにいい子なのに、あまりにも悲し過ぎて。今も写真は見ない。子どもの物も今の家に持ってきていない。思い出すと何日間も悲しみが続くから、本当は思い出したくないし、話したくないんです」

一人息子を失った悲しみを語る楽さんと張さんの夫婦(撮影:孟翔羽)

中国では、知人や親戚が集うと、すぐ互いの子どもの話になる。一方で、子を失った親は「前世で悪いことをした報い」と言われたり、「不吉な家族」とみなされたりする。「断子絶孫」(血筋の絶えた人)という悪罵を投げつけられることもある。夫妻もそうした目に遭い、知人のいない今の町に引っ越してきた。「プライドなんかなくなった」と言う。

「私たちは第一期の一人っ子政策を受けた世代です。(息子が他界した)1998年には失独者という言葉を知らなかった。失独家庭も少なかったです。私たちが心を閉ざしていたのは、他の失独者が見つからなかったためです」

楽さんの一人息子は20歳のときに突然、亡くなった(撮影:孟翔羽)

そんな日々に変化が訪れたのは、ネットで「失独者」の情報を得るようになってからだった。

ネットで連絡を取り合う失独者たち

妻の楽さんはネットで情報交換しながら、2012年に失独者のグループを立ち上げた。「暗い生活を離れて皆が前に向かって進むためです。先日も1人入りました」。北京を中心に今は100人余りがメンバーに加わっている。

楽さんたちのグループもその他のグループも「自分たちは国策の貢献者だ」と言う。それはどういう意味なのだろう。

楽さんは「失独者」のグループを立ち上げ、同じ境遇の人たちと情報交換している(撮影:孟翔羽)

全国失独者グループ連絡会の関係者らに北京で会うことができた。代表の男性はこう話す。

「世界では子どもが亡くなる家庭がたくさんある。なぜ中国だけで大問題になるのか。私たちが、国策の下で生まれた特殊な人たちだからです。一人っ子政策は強制的で、従わないと罰金もあった。だから自らの老後、将来を顧みずに、国の政策に従ってきました」

失独者たちを「一人っ子政策特殊貢献家庭」と認定してほしい。中国はこんなに経済的に栄えているのに、国策の貢献者が救済されないのはおかしい――。男性はそう訴える。

楽さんの夫・張さんは病気を患っていて、健康面の不安が大きい(撮影:孟翔羽)

「だれが病院に連れて行ってくれるの?」

中国には、「親の面倒は子どもが見る」という古くからの文化が今も根強く残っており、身の回りの世話から経済面まで、わが子による支えは欠かせない。病院での手術など日常的に肉親の「署名」が必要なケースも多く、子どもがいないと、そうした手続きすら宙に浮いてしまう。日本のような高齢者施設も数が少ないうえ、施設の入所にも「署名」が必要だ。

中国政府もこの間、「ゼロ回答」だったわけではない。2008年から失独者に1回限りの「慰撫金」を払うとともに、毎月「補助金」を支給するようになった。この4月からは、地域によってばらつきがあった補助金の金額を全国一律、月340元(約6000円)にすることを決めた。しかし、失独者グループが求めている「世話人の確保」「緊急時の連絡体制の整備」などについては、具体策を示していない。

子どもを失った夫婦は、老後をどう過ごしていくのか(撮影:孟翔羽)

楽さんはいま、夫と自身の健康、それに将来のことが気にかかって仕方ない。2人とも70歳が目前だ。

「(ただでさえ数が少ない)老人ホームに入るとしても保証人が必要です。誰がなってくれるのですか? 病院に行く時は誰が連れて行ってくれるの? 中国ではそんなことまでしてくれません。夫の体調は日ごとに悪くなっています。今は私も動けますが、今後このままでいられますか?」

※冒頭と同じ映像

[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:孟翔羽