日本の100円ショップに並ぶ雑貨、小物。これはどこからやってくるのか――。源流をたどると、中国の浙江(せっこう)省に行き着く。そこには、日本の業者から「100円ショップの里」と呼ばれてきた街「義烏」(イーウー)がある。この街には、8万近いショップが軒を連ねる極めて巨大な市場が存在する。いま義烏は、中国が経済超大国になったことで変貌を遂げつつある。それまでの中国製品に加え、東南アジア、中東、アフリカから商品を集めるようになった。変化の背景には何があるのか。(ジャーナリスト・高口康太/Yahoo!ニュース 特集編集部)
義烏市は、中国浙江省金華市に属する田舎町だ。上海市から南に300キロ、高速鉄道で1時間ほどに位置する。駅も簡素な造りなら、その周囲にも何もない。街中に出ても、道行く人も立ち並ぶお店も、やぼったい。この小さな街に超巨大な卸売市場が存在する。販売されているのは洗面器などのプラスチック用品、食器、玩具、金物、文具、アクセサリーなどさまざまな小物、日用品だ。国内外から毎日20万人以上のバイヤーが訪れているという。
市内にはいくつものマーケットがあるが、もっとも大きいのが義烏国際商貿城(イーウーグオジーシャンマオチェン)だ。5階建ての巨大な建造物が5ブロックにわたって並ぶ。延べ床面積は約400万平方メートル。東京ドーム85個分に相当する巨大市場だ。市場の中は縦1メートル、横4メートルほどの小さな販売ブースでいっぱいだ。その数は6万2000軒に達する。義烏国際商貿城だけでも巨大すぎるほどだが、すぐ近くには篁園市場(ホワンユエンシーチャン)、賓王市場(ビンワンシーチャン)という別のマーケットがあるほか、隣接するビルには専門店街がある。近隣のマーケットを加えるとショップ数は8万近いという。ひたすらに巨大だ。地元では誇りを込めて、「世界一のマーケット」と呼ばれている。
巨大市場はなぜ誕生したのか
「毎日、巨大な国際展示会が開催されているようなものです」
義烏のマーケットについて研究している伊藤亜聖(いとう・あせい)東京大学社会科学研究所准教授(34)はこう形容している。同氏によると、浙江省の田舎町に世界一の卸売市場が誕生したのには歴史的な経緯があるという。
1949年の中華人民共和国成立後、中国では商活動が規制されるようになった。1978年の改革開放政策まで約30年間にわたる禁止期間があったが、義烏には「鶏毛換糖」(アメや小物と、鳥の羽根や廃品などを交換する行商)の伝統があり、市場経済が解禁される前から商取引が広く行われていた。1970年代半ばには行商は闇市へと発展。義烏市政府は追認する形で、1982年に正式に市場を認めた。
義烏のある浙江省は軽工業が盛んな地域だ。プラスチック製品、衣料品、金物などでそれぞれの産業で有名な街が散在している。そうした商品を一カ所で購入できる卸売市場として義烏は成長していった。次第に浙江省のみならず中国全土から売り手と商品が集まるようになり、さらに2000年代に入ると、世界各地のバイヤーが集まるグローバルマーケットへと成長していく。
実は私たち日本人も義烏にはずいぶんとお世話になっている。伊藤准教授は言う。
「日本の100円ショップの商品、その多くは義烏から買い付けられたものでした。役職のあるバイヤーが何十人もの部下を引き連れてマーケットを歩き回り、その後を商店主が追いかけるさまは、まるで大名行列のようだったとか」
一つの商品を数万から数十万個発注する100円ショップはなんとしてでも取引したいお得意様。目にとめてもらおうと義烏の商店主たちは必死について回ったという。
ただし、このにぎわいはかつての姿だ。今では市場の様相は大きく変わっている。義烏国際商貿城を歩くと、玩具売り場などの一部区画を除いて客はまばらだ。店員が携帯をいじっている姿ばかりが目につく。「世界一のマーケット」を期待して訪れた人が、意外な寂れように驚くことも少なくないという。
市場から人が消えたのには二つの理由がある。第一に「直接取引への移行」だ。100円ショップなど大口発注者の多くは市場から買い付けるのではなく、製造元のメーカーと直接取引するようになった。市場では多くのメーカーを一気に比較できる。そのため似たようなレベルの中小メーカーしかない状況ではとても便利だ。しかし、有力メーカーが育ってくると話は違う。市場で選ぶよりも、メーカーとじっくり交渉するほうが重要となるためだ。細かい仕様を伝えたり品質を管理したりするためには、製造業者と直接取引したほうが仕事を進めやすい。
そしてもう一つの変化が「EC(電子商取引)の普及」だ。かつては中国全土の中小零細事業者が義烏に殺到していた。モノを見て、トレンドを知り、他のバイヤーと情報交換をする。この場所に来ることがきわめて大切だったのだ。ところが今ではネットショッピングが普及している。中国最大のEC企業アリババグループは個人向けのショッピングサイトだけではなく、法人向けのB2B卸売ショッピングサイトも運営している。義烏まで来なくとも、アリババで仕入れられる。ソーシャルメディアなど他のネットサービスによって、情報も入手しやすくなった。義烏まで足を運ぶ必要がないというわけだ。
興味深いエピソードがある。アリババグループの創業者ジャック・マー(馬雲)は、かつて義烏のマーケットに提携を呼びかけたという。義烏の巨大市場をネットショップ化しようという構想だ。話はまとまらなかったが、実現していればインターネットの世界でも義烏は大きな存在感を占めていた可能性がある。
直接取引への移行とECの普及によって、変化を強いられたのは義烏だけではない。中国には商品ジャンルごとに巨大卸売市場が存在したが、時代の変化によって役割を終えたものも少なくない。典型は北京市の中関村(ジョングワンツン)だろう。かつては、パソコン及び関連部品の卸売市場として深圳と並ぶ巨大マーケットだったが、多くのメーカーが直販流通網を整備したこと、ECが普及したことによって衰退。マーケットに仕入れに来るバイヤーは、もはや皆無に等しい。今では、大学街に近く、大手IT企業の研究開発拠点が多いという立地を生かして、ベンチャー企業が集まるビジネス街へと姿を変えた。
中関村と同じく、「100円ショップのふるさと」もこのまま過去のものとなってしまうのだろうか。
義烏は「世界のショールーム」に
「役割は少し変わったかもしれないですが、市場は重要ですよ」
そう話すのは和田太郎さん(38)。義烏市韜鋭進出口有限公司(Yiwu Taorui Imp&Exp co.,ltd、以下「韜鋭」と略記)の総経理だ。義烏に来てまだ4年だが、義烏市場のECサイト「義烏購」の日本館総代理店を務めるなど、現地に根を張っている。
和田さんは中国の復旦大学を卒業後、日本企業に就職。そこで中国での現地事業を手がけてきたという。2014年に独立し、義烏に会社を設立した。中国の商品を義烏から日本に輸入する貿易支援が主要事業だ。
韜鋭が展開する「淘太郎(タオタロウ)」は、中国のショッピングサイトでの個人輸入代行サービスだ。ユーザーは、欲しい商品が掲載されているショッピングサイトのURLを淘太郎に入力し、お金を支払うだけでいい。後は韜鋭が担当し、商品を日本まで送ってくれる。ユーザーに中国語や輸入関連のスキルがなくとも、簡単に中国製品の輸入ができるとあって、ビジネスは絶好調だという。
特に近年では、アマゾンの「FBA」(フルフィルメント by Amazon)を使った個人事業者からの引き合いが多いという。アマゾンにはマーケットプレイスという外部の業者がサイト上に出店できるシステムがあるが、FBAは在庫の保管から発送までアマゾンが代行するサービスだ。韜鋭を通じて中国の商品を日本に輸入する際、個人事業者が契約するアマゾンの倉庫に配送してしまえば、個人事業者は商品を一度も手に取ることなく、ネットショップオーナーになれてしまうわけだ。
「その他にも、商社や大手チェーンストアからの大口発注もあれば、地方の個人ショップからも引き合いがあります。商売じゃなくて、自分用の商品を購入されるお客さんもいますね」
と和田さん。創業から4年で、毎月取引があるクライアントは1000社を超えた。売り上げは年間35億円に達する。淘太郎のビジネスはネットで完結している。市場は要らないように思えるが、「そうではない」と和田さんは言う。
「何かモノを探しているとき、実際の商品が見られる強みは大きいです。私は大口発注も受けていますが、ぼんやりとした注文が多いんです。例えばスポーツ用のグローブが欲しいとか。注文を受けたら、その手の商品が売られているエリアを回って良さそうな品物を探します。そしてイケてる商品を作ってるショップを見つけて、商談に入るんです。注文数が多い場合には工場も視察しますよ。ショールームとしての機能はバカにできません」
ショールームとして義烏の役割が高まってきた今、これまでにはない動きが起き始めているという。それは「中国商品の集積場」から「世界の商品のショールーム」という転身だ。今まで義烏で販売されてきた商品のほとんどは中国製品だったのに、現在では海外の製品が展示されているケースが多いという。
和田さんも市場に日本商品のショールームを持っている。世界のバイヤーに日本商品の魅力を伝えることが目的だ。日本にはすばらしい商品がたくさんあるが、海外で売れるのはその中のごく一部だけ。A社の化粧品は売れるが、同等の機能を持つはずのB社の化粧品はさっぱり売れないということがざらにある。口コミや宣伝で認知されたブランド「だけ」の人気があるという状況だ。
その点、ショールームを訪れたバイヤーに実物を手に取ってもらえれば、知られていない商品でも扱ってもらえる可能性がある。世界中からバイヤーが集まる義烏ならではの利点だ。
「ポイントは世界中から来る点です。中国だけじゃないんです」
実際に和田さんはあるオムツメーカーと契約を結び、義烏を訪れた中東のバイヤーたちに売り込みをかけている。メーカーが中東諸国に進出し、現地の事情について一から勉強するにはコストがかかる。ただ、バイヤーたちが勝手に輸出してくれれば、その手間が省けるわけだ。
「その結果、ある国で売れ行きが好調となれば、正式に進出することもできるわけです。義烏に出展することで、世界を相手にしたマーケティングができるとも言えます」
義烏から目指す「アフリカの工業化」
「確かに義烏はもはや中国製品を売るだけの場所ではありません」
こう話すのは、義烏アフリカ人商会のスラカティ・ティレイラ会長(41)だ。義烏では蘇拉(スラ)という中国名で知られる、アフリカ人バイヤーの顔役的存在だ。スラさんによると、世界中のバイヤーが集まる義烏はアンテナショップ、情報のハブとしての役割を高めているという。
「私たちは、マレーシアのパームオイルやオランダのたまねぎをセネガルに輸出する貿易も手がけています。必要なアイデアやネットワークをもたらしたのは義烏です」
スラさんはセネガルの出身。もとは海外から商品を仕入れて母国で売るバイヤーだった。当初はドバイのマーケットから仕入れていた。売られている商品の多くは中国から来ていると知った。直接仕入れれば安く入手できるはずと、2003年に中国を訪問したという。
最初に訪ねたのは広東省広州市だ。同地は中国輸出産業の中心地の一つ。バイヤーを中心に、20万人ものアフリカ人が住む「アフリカ村」があることでも知られている。広州を皮切りに各所を回ったスラさんは、最終的に義烏を拠点にすることに決めた。今では自らバイヤーを務めるのではなく、義烏に会社を設立し、アフリカ人バイヤーのアテンドや調達支援、物流代行などを手がけている。
「モノだけなら、広州も義烏も大差ない。中国全土から商品が集まっているから。違いは透明性と地元政府の姿勢だね。広州のマーケットは分散しているから、情報も分断されている。その点、義烏は一カ所に集中しているから情報がオープンなんだ。どこの商品が安い、どこの品質が良い、トレンドはなにか。すぐにわかる。情報が分断されて、閉鎖的な場所では情報確認するためのコストが必要になってしまうから、義烏ほど良い場所はないよ」
また現地政府の姿勢も大きな魅力だ。大都市の広州では外国人貿易商の対応など二の次、三の次で、支援など期待できない。この点、義烏にとって外国人バイヤーは経済の柱だ。いいビジネスができるよう、最大限の努力を図ってくれるという。
「これを見てほしい。(スマートフォンのチャットアプリの画面を見せて)このグループには義烏市政府のトップ4人と41人のビジネスマンが参加している。私も含めて外国人企業家が多い。問題が起きたときはここに書き込めば対応してもらえるし、新しい政策があればちゃんと説明してくれる。義烏の発展は外国人に支えられたもの。だからちゃんとコミュニケーションをしてくれるんだ。広州のような大都市ではできないことだ」
今、スラさんは新たなビジネスに乗りだしている。中国企業をアフリカに誘致することだ。
「物流にはコストがかかる。中国で作ったプラスチックのボトルをアフリカに持っていくよりも、現地で作ったほうがもっと安いはずだ。人件費も安いし。私もセネガルに工場をつくった。水道メーターのカバーを作る小さな工場だ。中国人技術者が現地従業員に技術を教えている」
中国企業のアフリカ進出はこれからまだ増えるはずだ。そのためには中国人企業家にアフリカを理解してもらうことが必要だ。私は毎回帰国するたびに中国人企業家を連れていき、紹介しているんだ」
アフリカ側にも課題はある。
「中国人のことを理解しなければならないし、彼らがアフリカに来るのは稼ぐためだと理解しなければならない。アフリカビジネスがもうかるとわかれば、今後も多くの外国人が投資してくれる。外資の進出は雇用を生むし、現地の人々に技術を伝えてくれる」
スラさんはセネガル大統領顧問という肩書も持つ。中国で得た経験とコネクションを最大限に活用し、祖国の発展に力を尽くしたいという。
「次の段階はアフリカの工業化を目指したい」
グローバルマーケットで見る夢
義烏は今、世界中から集まる商品のアンテナショップ、情報のハブという役割を身につけつつある。
「義烏から世界でヒットする日本商品を生み出すこと。これが今の夢ですね」
前出の和田さんの夢は、世界でヒットする日本商品を生み出し、日本メーカーを元気づけることだという。義烏に出品すれば、各国から集まったバイヤーたちの目に触れる。どんな商品なら人々に届くのか、どう売ったらいいのか。彼らは、日本メーカーに代わって考えてくれるだろう。
「思いも寄らないような商品が売れるのではないか。例えばサバ缶とかいけないかなって。日本の缶詰ってびっくりするぐらいおいしいじゃないですか。中国の屋台で、いや世界中の屋台で、サバ缶を火にかけただけのおつまみで酒が飲めるようになったら面白いですよね」
中国製品を世界に売るマーケットから、世界の製品を世界に売るマーケットへ。新しい義烏の夢が始まっている。
高口康太(たかぐち・こうた)
ジャーナリスト、翻訳家。 1976年生まれ。2度の中国留学を経て、中国を専門とするジャーナリストに。中国の経済、企業、社会、そして在日中国人社会などを幅広く取材し、「ニューズウィーク日本版」「週刊東洋経済」「Wedge」など各誌に寄稿している。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社新書)、『現代中国経営者列伝』(星海社新書)
[写真]
撮影:塩田亮吾
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
最終更新:11/5(月) 13:35