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【九州三国志】父祖伝来の地を守り抜くために!城井正房と長房親子、豊前に散った誇りの軌跡

華盛頓Webライター
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豊前国城井郷を本拠とした城井氏は、鎌倉時代に宇都宮氏の分流として始まり、豊前守護職として一時は九州にその名を轟かせました

しかし、南北朝期を境にその勢力は衰え、戦国時代には大内氏の支配下に入り、細々と命脈を保つ存在となったのです。

それでも、武門の意地と誇りは失わず、城井正房は足利義稙の前で「艾蓬の射法」という秘伝の弓技を披露し、その技量を讃えられました

城井正房の子・長房は、父祖伝来の地への執着を持ち続けた人物でした。

下野宇都宮宗家との関係を深く保ち、関東での家督争いにも介入し、宗家存続に尽力。

自身の領国では長房の息子・鎮房が政務を執り、城井氏は父子二代にわたって領国経営を支えました

しかし、豊臣秀吉による天下統一が進むと、城井氏にも試練が訪れます。

伊予国への加増転封を命じられるも、長房は豊前への愛着から朱印状を返上

これが秀吉の逆鱗に触れ、黒田孝高・長政親子が豊前の新領主として赴任すると、城井氏はこれに反旗を翻したのです。

山岳地帯の地の利を活かして徹底抗戦したものの、最終的に和議に応じることとなります。

だが、黒田家は城井氏を潜在的な脅威と見なしており、天正16年(1588年)、鎮房を暗殺する策を実行

さらに黒田軍は居城に攻め入り、一族郎党もろとも長房を滅ぼしました。

正房から続く武門の誇りと、父祖伝来の地を守ろうとした親子の執念は、豊前の山々に散ったのです。

城井親子の最期は、時代の波に抗い、信念を貫こうとした者たちの一つの結末として今も語り継がれています。

Webライター

華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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