【九州三国志】肝付氏のはじまりとその盛衰 平安から近代へ、歴史に刻まれた一族の物語
華盛頓Webライター
肝付氏の起源は平安時代、伴氏を本姓とする伴兼行が薩摩掾に任命され下向したことに始まります。
その子孫たちは、大隅国肝属郡で勢力を拡大し、肝属(肝付)を名乗るようになりました。
南北朝時代には南朝方として活躍し、戦国時代には島津氏との争いで一時はその力を圧倒するほどでした。
特に、第16代当主肝付兼続の竹原山の戦いでの活躍は名将として語り継がれています。
しかし、島津氏との長い戦いの末、肝付氏は衰退の道を辿ることになります。
その後、肝付氏は島津氏の一家臣となり、大名としての歴史は幕を下ろしました。
しかし、庶流の一部は薩摩藩士として存続し、近代には肝付兼行が海軍中将や大阪市長を務めるなど再び歴史に名を刻みます。
また、庶流の末裔には声優の肝付兼太氏もおり、肝付氏の物語は現代にも連綿と続いています。