矛盾する米国の対日期待――日本のゆくえは?
日本の安保法制整備の是非は、日本国内における議論を通して決定されるべきところ、日米首脳会談が先行してしまって、日本国民が置き去りにされている感がある。その危機感と、矛盾する米国の対日期待を考察する。
◆順番が逆
考察を進める前に、まず今朝がた公開したコラム「日本は新しい1頁――米国のたそがれと中国主導のAIIB」を書いた意図に関して説明を加えることをお許しいただきたい。安倍首相が使った「歴史の新たな1頁」という言葉を皮肉を込めてもじったつもりであり、筆者が言いたいのはあくまでもその「1頁」に対する「危機感」であって、決して「期待感」ではない。それくらい大きな変化が、いま日本で起きようとしていることを言いたかった(表現が不十分であったことをお詫びする)。
この危機感と自覚を明確にして、われわれ日本国民は何を選択すべきかを考える一助になればという思いから、再度、考察を加えたい。
そもそも集団的自衛権など、武力行使を(限定的にではあっても)認めるか否かに関わる問題は、憲法の根幹と関わってくるため、日本の国会で議論され、日本国民の意思を問わなければならない重大なテーマだ。
しかし、今朝がた夜半の日米首脳会談では、アメリカのあまりに強い要望に応える形で、あたかもすでに、日本の国会で決議され日本国民の賛同を得ているかのような形で、日米首脳共通認識が宣言されている。
重要影響事態法や国際平和支援法など、武力行使の限定的容認や行使地域範囲の拡大に関しては、憲法改正か憲法解釈の変更が必要となってくる。
その結果、何が起き得るのかに関して、日本国民に十分にして正確な説明がないまま、日米首脳会談が、まるで既成事実のように合意してしまった。これが撤回され、日本国内で否定されることが可能だろうか?
アメリカが日本敗戦直後に日本に制定させた平和憲法と、52年にサンフランシスコ平和条約と抱き合わせで提携させた日米安保条約は、明らかに矛盾している。平和憲法は、日本の武装放棄を徹底させ不戦を誓わせるものでありながら、日米安保は警察予備隊であれ自衛隊であれ、ともかく日本に何らかの形で「武力」を持たせることを期待したものである。日本に東西冷戦時におけるアメリカの極東軍事基地としての役割を期待したからだ。
今般の日米首脳談会談は、あの52年以来の日本が抱えてきた法的矛盾を、「武力」を増強させる方向で埋めようとする試みであり、これは52年の日米安保締結に匹敵する大きな変化なのである。その変化がもたらす結果が、これから日本にやってくる。
その「歴史の新しい1頁」を、日米首脳会談はめくってしまったのである。
この是非を決定するのは日本国民でなければならないが、安倍首相が言った通り、少なくとも「歴史の新しい1頁」はめくられたのだ。この認識だけは、強く持ちたい。
◆中国と日本に対して矛盾する期待を抱いているオバマ大統領
アジア回帰したいオバマ大統領にとって、中国の強大化とAIIB(アジアインフラ投資銀行)の誕生は大きな脅威だ。
だから日米同盟を、これまでになく強化して、中国に対抗したい。
その一方で、習近平国家主席と最も親しくしようとしてきたのは誰か――?
互いをほめ合い、安倍首相を軽視して習近平国家主席との首脳会談をことのほか重要視してきたのは、ほかならぬオバマ大統領である。
アメリカは絶対に中国を「敵」に回したくない。中国と事を起こしたくないのである。
中国にとって、ここは「うま味」だ。
新型大国関係を掲げて、世界の両横綱としての位置づけを自らに許している。
アメリカの国益を優先したアジア回帰(リバランス)というオバマ大統領の対中政策は、その習近平を讃え、「習・オバマ」関係を崩したくない。
だからこそ、日本が歴史認識問題で中国や韓国との間に軋轢(あつれき)を抱え、中国や韓国が日本を攻撃する事態になると、日米同盟を強化しようとしているオバマ大統領としては、非常に困るのである。
あの「紅い皇帝」習近平が、このうま味を存分に使いまくろうと思わないはずはない。
オバマ大統領を困らせるために、「思いっきり」日本の歴史認識を叩きまくるのである。
4月27日付本コラム「歴史認識、米高官要請の背景――中韓ロビー花盛りの米政界」で書いたように、アメリカの25名から超党派議員団が、歴史認識に関する安倍首相に対する抗議書簡を公開した。その翌日にはローズ大統領補佐官までが歴史を正視するよう、安倍総理に釘を刺している。
つまり、オバマ大統領は、中国のご機嫌を損ねるような行動を安倍首相にしてほしくないのだ。
それでいて、海洋進出を強め、強大化する中国の脅威に対して、できるだけ武力的にアメリカばかりが前に出るのではなく、日本が(も?)前面に出ることをオバマ大統領は望んでいる。
オバマ大統領は中国の強大化を牽制したいと思いながら、中国とは仲良くしていたい。
だから日本の安保法制の整備を促進したい。
その原因の一つを作っているのはアメリカが尖閣諸島の領有権に関して「中立」の立場を譲らないからなのに、原因を作っておきながら日本の武力行使を可能ならしめる方向に、日本には動いてほしい。
それでいながら、中国や韓国に歴史問題に関して日本が非難されることによって、日米同盟を結んでいるアメリカの立場が弱くなることを恐れて、歴史問題に関して日本に釘を刺す。
まるで「二面相」だ。
一方、アメリカがこんにちまで世界中で仕掛けてきた多くの戦争に、アメリカ国民はいや気がさし、アメリカ国内には嫌戦(厭戦)ムードが蔓延している。おまけに景気の減衰によりアメリカは国防費の削減を余儀なくされた。
だから、アメリカがこれまで果たしてきた世界の警察としての役割の一部を、日本に肩代わりさせたい。そのために安倍首相を国賓あつかいし、日本が安保法制整備に関して新たな一歩を踏み出すことを強烈に後押ししているのである。
そのために「踏み外してはならない(であろう)一歩」を、いま日本は踏み出そうとしているのではないのか。
不戦の誓いがどれくらい本気で、どれくらい本当に「戦争には進まない(あるいは戦争には巻き込まれない)歯止め」をかけることができるのか、日本国民にも、日本のゆくえを決定する選択が迫られている。
日米安保条約によって日本が守られてきたのは確かだ。ただし、沖縄における米軍基地という大きな犠牲を沖縄県民に負担してもらっていることによって保障されてきた。
今後は新しい日米ガイドラインのもと、「平和国家としての日本の歩み」を、どのようにすれば保証することができるのか。それがほぼ不可能になりつつあることを、日米首脳会談の「歴史の新しい1頁」は、示してしまったと、筆者の目には映った。その衝撃が、半世紀前に中国の天津で受けたショックと重なり、夜中に一気書きをしてしまった。
これが杞憂にすぎないことを祈るのみだ。