朝ドラ『おむすび』の侮れなさ、安室奈美恵の曲「TRY ME」の意味とギャルファッションで隠される本心
賛否がはっきり分かれている、2024年度下半期のNHK連続テレビ小説『おむすび』。
2024年9月30日に放送がスタートした同作は、2004年(平成16年)の福岡県・糸島が舞台。米田結(橋本環奈)がギャル4人組と交流を深めながら、実家の農家を継ぐ夢とあらためて向き合い、「食」の大切さに気づいていくもの。
元カリスマギャルの姉・歩(仲里依紗)への反発、阪神淡路大震災(1995年1月17日)の記憶、家族や同級生たちとの関係などを絡めながら、結の心の変化を描いている。
『おむすび』の物足りなさの理由、「平成ギャル」を象徴するカルチャー要素の不足
ニュースメディアでは、視聴者による評価がイマイチだと連日のように報じられている。その理由として、「展開が遅い」と焦れ気味の視聴者がいたり、阪神淡路大震災時のエピソードで6歳のときの結(磯村アメリ)の避難先での“わがまま”に対する疑問の声だったり、ストーリーへの不満が出ているのだという。
しかし筆者は、同作の物足りなさの要因を挙げるなら、「平成ギャル」を象徴するカルチャー要素やアイテムの登場不足だとにらんでいる。多くの視聴者は放送開始前、「平成ギャル」という“ちょっと懐かしい時代”のカルチャーがどのように描かれるのか、その点に興味を持ったのではないか。
現在、テレビでは頻繁に昭和、平成、令和の「世代別カルチャー」をテーマにしたバラエティ番組が放送され、堅実に人気を集めている。好評の理由は、視聴者に「自分もそのアイテムを使っていた」「この曲、聴いていた」などと思い当たらせ、懐かしさからくる高い共感性で番組に引き込んでいくところにある。
ドラマ『ブラッシュアップライフ』(2023年/日本テレビ系)、『不適切にもほどがある!』(2024年/TBS系)が毎回放送後、SNSを中心に話題になったのも、ストーリーのおもしろさもさることながら、“ちょっと懐かしい時代”をあらわす、音楽、テレビ、アイテムなどがたくさん出てきていたところである。それらが物語とどんな風にリンクしているのか、という考察を膨らませることもできた。
ぱーてぃーちゃんのきょんちぃ、信子が語っていた「ギャルになったきっかけ」
そう考えると、『おむすび』は当時のギャルカルチャーに関する情報量が圧倒的に少ない。
1990年代以降、ギャルたちがいろんなガジェットを使いこなして時代を切りひらき、さまざまな物事を前進させていったにもかかわらず…だ。同作は、ギャルファッションへの言及はほとんどなく、ギャルの登場人物がやることと言えば、プリクラを撮り、パラパラをがんばる程度。登場する少女たちが、かつてカリスマギャルだった歩への憧れだけでギャルにこだわる様子は、やや説得力に欠ける。
たとえばギャル芸人としてブレーク中のお笑いトリオ、ぱーてぃーちゃんのきょんちぃ、信子は自分たちがギャルとして見られるようになったきっかけや、ギャルにのめりこんだときのことをこのように回想している。
ギャルは、音楽、雑誌ほか、いろんなアイテムをきっかけに目覚め、発展を遂げるもの。このインタビューではその背景が、具体例をもって分かりやすく伝えられている。「平成ギャル」を強く打ち出した『おむすび』の物足りなさの理由は、こういった具体的な情報があまりに欠けているからではないだろうか。
安室奈美恵「TRY ME 〜私を信じて〜」と物語のリンクについて
しかし一方で、とても興味深い展開も見られた。それは10月31日放送回。10代の歩(高松咲希)が、安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sの楽曲「TRY ME 〜私を信じて〜」(1995年/作詞:鈴木計見、作曲:HINOKY TEAM)に感化されるところである。
神戸で暮らしていた歩は中学生のとき、仲良しの真紀(大島美優)と一緒に安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sの曲を聴いていた。ただ1995年1月17日、阪神淡路大震災によって真紀は命を落としてしまう。落ち込む歩は、祖父母がいる糸島へ引っ越しても心の傷が癒えないでいた。そんなとき、思い出の安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sの曲を聴く。流れているのは「TRY ME 〜私を信じて〜」。そして歩は、髪を金色にするなどギャルのような格好で高校に通い始める。
「TRY ME 〜私を信じて〜」のリリース日は1995年1月25日。震災の約1週間後である。タイミング的な意味でも、この曲は彼女にとって切っても切れないものとなった。曲を聴くと、歩はそのときのことを反射的に思い出してしまうのではないか。
また同曲には、<新しい世界のドアを開く勇気><TRY ME 違う明日の 夢をあげる>といった歌詞がある。この歌詞を物語とリンクさせるならば、「TRY ME 〜私を信じて〜」は、歩にとって「自分なりに悲しみを乗り越える手段となるアイテム」であり、「新しい世界のドアを開く勇気=違う自分になること=ギャルになること」を後押ししたものであるとも読み取れる。
なにより安室奈美恵は当時、ギャルのカリスマだった。安室奈美恵のファッションを真似る女の子たちは「アムラー」と呼ばれ、女子高校生のギャルのことを指す「コギャル」とともに日本独自のギャルカルチャーが築き上げられた。それは社会現象となり、1996年には「アムラー」という言葉がユーキャン新語・流行語大賞のトップテンにも入った。
『おむすび』の侮れなさ、派手なギャルファッションは歩にとって好都合なもの
真紀は、安室奈美恵がブームになる前から「きっと人気になる」と予言していた。ただ真紀は、安室奈美恵が本格的にブレークする姿を見ることができなかった。歩が突然ギャル化したのは、若者を引きつける安室奈美恵の姿やムーブメントを天国の真紀に届けるためだったのではないだろうか。
だから歩には、俗に言う「ギャルマインド」は備わっていなかった。大人になった歩は、当時の自分のことを「ギャルじゃなかった」「自分はニセモノ」と言う。「アムラー」や「コギャル」になりたくてそういう格好をしていたのではなく、「真紀のため」という理由だったからだ。
ただ、歩にとって金髪、ガングロなどのギャルファッション、ギャルメイクは好都合なものでもあったのではないか。派手に装うことで、自分の芯の部分にある悲しみ、寂しさをまわりに悟られないで済むからだ。なんならそうすることで、自分で自分の本心も誤魔化せる。それは、結が仲良くなるギャル4人組にも当てはまり、彼女たちもまた派手な見た目でしんどい現実をボヤかしているように映る。
お笑いコンビ、エルフの荒川はギャルの格好をすることについて「アゲにつながるんです」(出典:日テレNEWS 2022/9/7(水)より)と気分が高揚すると答えていた。歩らの場合もある意味、ギャルファッション、ギャルメイクで「アゲ」を自己演出し、本心を隠していたのだ。
このようにいろいろ紐解いてみると、決して芳しいとは言えない評価の『おむすび』も、なかなか侮れない朝ドラのように思えるのではないだろうか。