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麻原彰晃こと松本智津夫教祖の宣誓書

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 オウム真理教が引き起こした一連の事件を裁く刑事裁判で、麻原彰晃こと松本智津夫教祖が一度だけ、弟子の裁判で証人として宣誓に応じ、証言したことがあるのをご記憶だろうか。1999年9月22日、地下鉄サリン事件の実行犯の1人豊田亨被告(裁判当時)と運転役の杉本繁郎被告(同)の第70回公判(山崎学裁判長)だった。それまでも弟子の裁判に呼ばれては、宣誓を拒否し、証言をしないまま退廷となっていた麻原教祖。自身の裁判でも、不規則発言で弟子たちの証言を妨害し、しばしば退廷させられていた。

宣誓拒否の合理的理由

 裁判の証人には、証言前に「宣誓をさせなければならない」と刑事訴訟法で定められている。通常、証人は宣誓文が印刷された紙を渡されて署名押印し、法廷でそれを読み上げる。

 松本の場合、目が不自由という事情を考慮し、書記官が宣誓文を読み上げ、署名を代筆したうえで、最後に本人が指印をする、という手順を裁判所が提案した。ところが、松本は指印を拒み、宣誓拒否と判断されて退廷させられる、ということを繰り返していた。

 豊田、杉本らの法廷でも、前年12月に証人として呼ばれたが、宣誓拒否と判断されて、証言は行っていない。ただ、この時の松本は、署名を書記官が代筆することに「オーケー」と言うなど、宣誓を拒む態度は見せていなかった。すぐに退廷させた裁判長の判断は拙速だとして、弁護団が抗議。その後も麻原の再召還を求めた。山崎裁判長もそれに応じ、二度目の証人尋問が実現した。

 ところが松本は、すんなり宣誓に応じない。それでも弁護人が教義に言及しながら水を向けると、1人でしゃべり出した。96年に行われた破壊活動防止法の弁明手続きでも、彼は実に饒舌だった。本当は教義の話などをしゃべりたくてたまらないはずだ、と見た弁護人は、入れ替わり立ち替わり、丁寧に話しかけ、「その(教義や修行の)話をもっと聞きたいんですよ」と説得。しかし松本は、「証言はしても構いません」と言いながら、宣誓手続に応じるのは渋った。

 弁護人が理由を尋ねたところ、紙に書かれた宣誓文が読めないため、書記官が読み上げた通りの文章が書かれているかどうか分からないので、そういうものにサインするのは「危険だ」という警戒していることが分かった。当人の立場に立ってみれば、リスクを避けるための合理的な判断と言えよう。

弁護人の機転で自筆の宣誓に

 そこで、杉本の弁護団の1人濱口善紀弁護士が機転を利かせ、こう問いかけた。

「宣誓文を全部あなたが書けば危険じゃないんですか。代読ではなくて」

 松本は即答した。

「そうだね、全部書けば」

 濱口弁護士はすかさず念押しする。

「あなたの手で宣誓文を書き、それから、署名も捺印もすれば、危険ではないのですか」

 松本はうなづいた。気が変わらないうちにと、裁判所がすぐさま白紙を渡し、濱口弁護士が証言台の傍らで書き方を教える。

「最初にまず、『宣誓』という標題を書いてください。それから、『良心に従って真実を述べ、何事も隠さず偽りを述べないことを誓います』と、日本語で書いていただきたいんですけどね。漢字が入っても、ひらがなでも結構ですし、右のほうから、縦書きでお願いします。まず、『宣誓』と表題をお願いします」

 ところが松本は、まずは別の一文を書いた。

〈松本智津夫である私の筆跡以外無効〉

 ここでも、彼の警戒心の強さが伺える。

 続いて、宣誓の本文を書き始めた。彼は、若い頃は弱視で読み書きができたので、字は書ける。しかし、この時期には本人曰く「全盲」となっており、まっすぐに文を書くのは難しかったようだ。濱口弁護士が松本に手を添えて書く位置を教えようとしたが、松本は触れられるのを嫌がり、手を振り払った。

 「(字が)重なっちゃうんですけど」と困惑する濱口弁護士。山崎裁判長は「読めれば結構ですよ」と声をかけた。

 定型の宣誓文では「偽りを述べないことを誓います」となる最後の部分について、松本は濱口弁護士に尋ねた。

「『嘘を述べない』でよろしいか」

 濱口弁護士が応じる。

「『嘘を述べない』でも結構です。『述べないことを誓います』。それで、もう一度名前を書いてもらえますか。それで、最後に指印を押してもらえますか」

 今度は、松本は素直に指印に応じた。そのうえで、「切ったほうがいいと思いますから」と言って、紙に折り目を付けて余白部を切り取った。後から何か書き込まれるのを警戒したのだろう。

 書き終わった宣誓書を渡された山崎裁判長は、松本にこう語りかけた。

「今あなたが書いてもらったものを一応もう一度読みますからね。間違いないか確認してください。宣誓の前に、松本智津夫である私の筆跡以外無効と書いてあって、その後に宣誓と書いてある。良心に従って、真実を述べ、何ごとも隠さず、うそを述べないことを誓います、松本智津夫と、それから指印がありますね。これでいいですか」

 「はい」と応じる松本。これで宣誓が成立した。

 私は、傍聴席でこの場面を見ていた。ただ、松本が書いた宣誓書そのものは見えなかった。それがどのようなものか、ずっと気になっていた。総じてオウム裁判は、時間をかけ、手続きも丁寧に行われたと思う。この宣誓書は、その象徴のようにも思え、ぜひ見てみたいと思った。昨年、確定記録の閲覧により、現物を確認できた。

残念ながらコピーや写真撮影は許可されなかったので、トレーシングペーパーを使って書き写したのが下の写真である。これが白い紙に貼り付けられ、「右は第70回公判において、証人松本智津夫が作成したうえ指印した宣誓書である」と書かれて書記官の名前が記されていた。

閲覧請求で開示された宣誓書を筆者(江川)が書き写したもの。下の小さな楕円は、ここに指印が押されていたことを示す
閲覧請求で開示された宣誓書を筆者(江川)が書き写したもの。下の小さな楕円は、ここに指印が押されていたことを示す

問いをはぐらかす教祖証言

 証人尋問が始まり、冒頭の教義に関する質問に気持ちよく答えていた松本だが、弁護人が松本に聞きたいのは、もちろん事件に関してである。しかし松本は、都合の悪いことにはほとんど答えない。たとえば「ポア」について。

 教団は、通常は「魂を高い世界に引き上げる」という意味で使っていた「ポア」を「殺害」の隠語にしていた。地下鉄サリン事件の実行犯らも、事件後松本から「グルとシヴァ大神とすべての真理勝者に祝福されポアされてよかったね」という”マントラ”を1万回唱えるよう指示された、と証言している。

 ところが弁護人の「あなた自身、ポアできる力を持っていたのですか」「地下鉄サリン事件は、ポアの実践なのですか」という問いには答えをはぐらかし、挙げ句こう言った。

「地下鉄サリン事件とダイレクトに結びつけてもらっては困ります。したがって、私は、地下鉄の地の字の話もしていないと思います」

 その一方で、この”マントラ”を杉本に伝えたことや、「グル」や「シヴァ大神」は「私です」と認めた。

すべては弟子のせい、と主張 

 確定判決によれば、地下鉄サリン事件は、2日前の3月18日未明、教団が経営する都内の飲食店での食事会の後、山梨県上九一色村(当時)の教団施設に帰る教組専用リムジン車の車内で最初の謀議が行われた。

地下鉄謀議は教祖専用リムジン車内で

 松本が家族と一緒に帰ろうとしたところを、井上嘉浩幹部や遠藤誠一幹部らが相談したいことがあると言ってきたので、子どもたちではなく、幹部らが同乗することになった。この辺のいきさつは、松本と井上の証言はほぼ一致する。

 警察の強制捜査が近いことは、教団も察していた。それを妨害しようと、3月15日にはボツリヌス菌の噴霧装置を仕込んだアタッシェケースを地下鉄霞ヶ関駅に置いたが、水蒸気を噴霧しただけで失敗に終わった。

教祖が実行犯を人選した、との井上証言

 リムジン車内でも「Xデー」が話題となった。井上証言によれば、麻原が「何かないのか」と対抗手段を聞いてきたので、井上は「ボツリヌス菌ではなく、サリンならば(強制捜査は)なかったということでしょうか」と聞き返した。すると教団ナンバー2で科学技術部門のトップである村井秀夫幹部が「地下鉄にサリンをまけばいいんじゃないか」と提案。村井と松本の2人で実行犯の人選が行われ、松本は林郁夫幹部(無期懲役で服役中)を加えるように指示した。

具体性ゼロの教祖証言

 これに対して、すべては弟子のせい、というのが松本の主張。自身の法廷では、不規則発言で「井上嘉浩が主犯だ」と言い、被告人としての意見を述べる際にも、「(村井や井上に)ストップを命じた」が「結局、彼らに負けた形になり」などと述べ、自分は弟子の暴走を止められなかっただけ、という主張を展開した。豊田らの法廷でも、自身の関与についての質問には答えをはぐらかし、「井上嘉浩君が持ち込んだ、井上君自身の話」と述べるものの、井上がどんな話を持ちこんだのかについては証言せず、その発言ははなはだ具体性に欠けた。サリン製造については、「遠藤誠一君が、私が厚生省(遠藤がトップの教団内セクション)は駄目だと言ったのに、突っ込んじゃったわけですよ」とも述べ、遠藤の独断であると言いたいらしいが、これもまた具体的な証言はないままだった。

黙り込む教祖

 弁護人から事件に関する厳しい質問が相次ぐうちに、松本の発言は速記官も聞き取れないほど小さな声に。尋問は一回では終わらず、もう1期日をとって続行された。2回目の期日は黙り込むことが多く、答える時には英単語を並べ、そのたびに「日本語で答えて」と注意されるなど、中身のない時間が続いた。

「信者は教祖の現実の姿を見よ」

 最後に、杉本、豊田の両被告人が尋問した。被害者に対してどのように償うか、を繰り返し問うた杉本に、松本はまともに応じようとしない。たまりかねた杉本が、

「あなたね、いい加減にもう目を覚まして現実というものを認識したらどうですか。いつまでも最終解脱者だとか、教祖とかいう幻影におぼれててもしょうがないでしょう」

と諭すと、松本は低い声で「あんまりペラペラと…。おまえ黙ってたほうがいいと思うけどな」とすごんだ。悔恨に苦しむ弟子からの問いにまったく答えない態度に、杉本は

「私自身もあなたを信じて、本当にもう・・・大ばか者だったと思ってるし、そういう気持ちがあなたに分かりますか」と無念な胸の内を吐露し尋問を終えた。

 豊田は、「僕は今日、何も言わないつもりで来たんですけれども、今日のあなたの態度を見て考えが変わりました」として、被害者への気持ちなどと手短に尋ねた後、教団に残っている信者に向けて、こう述べた。

「今、教団に残ってる人、この現実をしっかり見たほうがいいと思います。証人は前回、地下鉄サリン事件は井上と村井に押し切られたと言いました。つまり、彼には弟子を止める力がないわけです。そんなグルに付いていていいんでしょうか。しっかりと現実を見てほしいと思います。これ以上過ちを繰り返さないでください」

 今も後継団体にいる信者たちにも、聞かせたい言葉である。

豊田がサリンをまいたのは、日比谷線東武動物公園行き車両内。28年目の3月20日に、霞ヶ関駅で。
豊田がサリンをまいたのは、日比谷線東武動物公園行き車両内。28年目の3月20日に、霞ヶ関駅で。

 このように事件についての質問を浴びせられ、挙げ句に弟子たちからも厳しい批判を受けて懲りたのか、その後、弟子たちの法廷に呼ばれても、松本は一切宣誓にも応じなくなった。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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