緊急事態宣言が発令されるまで 上:「初動期」
緊急事態宣言の発令
4月7日19時、首相官邸大ホール。普段とは違う会見の場所である。記者席がソーシャルディスタンスを保ち離れて置かれている。19時過ぎに首相が会見を始めた。
「何よりも国民の皆様の行動変容、つまり、行動を変えることが大切です。」
首相はこう力説する。18時前に安倍首相は新型コロナウィルス感染症対策本部で新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条に基づき緊急事態宣言を発令したばかりだった。
緊急事態宣言が発令されたことで、指定地域の都道府県知事は外出自粛の要請や営業の停止などを求めることが可能になった(但し、罰則はない)。
この記事では日本で新型コロナウィルスによる感染症が拡大し、緊急事態宣言が発令されるまでの経緯を振り返りたい。宣言が出るまでの流れは3つの時期に分けることができる。
第1期は初動期である。武漢で新型コロナウィルスによる感染症が拡大してから3月13日にインフルエンザ等対策特別措置法を改正するまでの期間である。この期間に安倍内閣はイベントの自粛要請、一斉休校など感染拡大抑制策に踏み込む。
第2期は足踏み期である。措置法改正の後、内閣としての方針がこれまで同様感染拡大抑制に注力するのか、一部見直すのかはっきりしなくなる。国民の緊張が解け、人の動きが以前よりも活発になる。
第3期は緊迫期である。春分の日を含む三連休後、感染者数の拡大のペースが早まる。小池百合子都知事がロックダウン(都市封鎖)の可能性に触れ、東京都での感染者拡大に警戒感を露わにする。安倍首相も緊張感を強め、緊急事態宣言を決断する。
紙面の関係で本稿では初動期を振り返る。
初動期
武漢で
管見では日本で感染症について初めて報じられたのは昨年12月31日である。この日、共同通信と時事通信が中国武漢市で27人が原因不明のウィルス性肺炎を発症していることを発表している。その後、1月9日までに中国の専門家グループが肺炎がコロナウィルスであることを解明する。11日には武漢で最初の死者が出る。武漢での感染者は急拡大し、17名が死亡、570人の感染者が確認される(『朝日新聞』 2020年1月23日)。23日未明に武漢市は都市封鎖を決定、10時以降航空便と鉄道の運行を中止する。その後、中国では感染者が急増し、1月末で1万1791人(『日本経済新聞』2月1日)、3月上旬には8万人を超え、死者も3000人を超える。
初期対応
日本では1月15日にコロナウィルスの最初の感染者が確認される。最初の感染者は中国・武漢市への渡航歴があった(『日本経済新聞』 1月16日)。1月28日には武漢滞在歴のない奈良県のバス運転手が感染していることが判明する(『日本経済新聞』 1月29日)
安倍内閣の初期対応は迅速だった。1月16日に武漢への渡航歴がある日本人の感染が確認されると関係省庁会議を開催、1月21日には関係閣僚会議を立ち上げている。1月28日に新型コロナウィルスを指定感染症と検疫感染症とすることを閣議決定、入院措置を講じられるようにしている。
また、1月31日には中国湖北省からの入国を拒否する方針を水際対策として打ち出す。対策のため、出入国管理及び難民認定法を最大限柔軟に解釈した。すなわち湖北省滞在歴のある外国人および湖北省発行の旅券を持つ中国人は同法5条1項14号が定める「日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」と認定し、安全保障上の理由によって入国を制限した。このため、1月31日には国家安全保障会議を開いている。その後、中国や韓国における感染状況を踏まえ、安倍内閣は2月26日に韓国大邱市などからの入国禁止、さらに3月5日には中国と韓国全土からの入国制限を実施する。
さらに1月30日に首相を本部長とする新型コロナウィルス感染症対策本部を立ち上げることを閣議決定する。同日第1回会合が開かれている。
2月1日にはコロナウィルスによる肺炎を感染症法上の「指定感染症」と定める政令を施行する。これにより患者に入院勧告や強制入院を行うことが可能になった。
入国制限や指定感染症への指定以外に安倍内閣が迫られたのは武漢封鎖によって取り残された日本人を日本に帰国させることだった。安倍内閣は1月28日から2月15日までに5便にわけて武漢・湖北省から日本人を帰国させるためにチャーター便を送る。総勢828人が帰国する。帰国者は発症し、直ちに入院した者以外、ホテルや国の施設に2週間ほど滞在することを求められた。
ダイアモンド・プリンセス号への対応
次に安倍内閣が対処を迫られたのはクルーズ船ダイアモンド・プリンセス号における集団感染である。同号は東アジア沿岸をクルーズしたのちに2月3日に横浜に入港した。だが、入港前に途中香港で下船した乗客が感染していたことが判明する。同船はすでに那覇港で検疫を終えていたが、厚労省は横浜であらためて検疫を行い、検疫中は下船を認めない方針を採る(日本経済新聞 2020年2月19日)。多くの国が自国の乗客をチャーター便で帰国させる一方、厚労省は2月19日から下船を認める。乗客の下船は2月27日までに完了し、乗員の下船も3月1日が下船する。クルーズ船からは最終的に672人の陽性反応者が出る。多くの船内感染者が生じた。このことについては海外メディアを中心に安倍内閣に対する強い批判を招いた。しかしながら、安倍内閣の目的は水際での感染拡大阻止であり、その目的を貫いたと言える。
イベント自粛・一斉休校へ
2月13日には感染症対策本部は「新型コロナウィルス感染症に関する緊急対応策」を取りまとめる。これが安倍内閣がまとめる総合的対策の第一弾となる。その柱は武漢からの帰国者支援、クルーズ船ダイアモンド・プリンセス号の乗員・乗客の生活支援、国内感染対策の強化、観光業に対する雇用調整金の特例措置であった。
2月23日に国内の感染者が100名を超えていることが判明すると安倍内閣は次々と対応策を打ち出す。
ます2月25日には感染症対策本部が「感染症対策の基本方針」を決定する。感染が広がっている地域における外出自粛への協力要請、一般医療機関で感染を疑う患者を受け入れることなどが盛り込まれる。続いて、26日に首相は新型コロナウイルス感染症対策本部で「この1、2週間が感染拡大防止に極めて重要である」と発言、2週間のイベントの中止、規模縮小を要請する。27日には対策本部で「1、2週間が極めて重要な時期であります。」と繰り返し、「子どもたちの健康・安全を第一に考え」3月2日から春休みまで全国の小中学校、高校の一斉休校を求める。この時点で感染による死者は1名に過ぎず、人の移動の抑制策としては踏み込んだものだった。また感染拡大に対応するための法整備を行う方針も示す。
インフルエンザ等対策特別措置法の改正
対策本部は3月10日には感染症に関する緊急対応策の第2弾を取りまとめる。対応策の中には臨時休校のため保護者休暇取得支援するための助成金制度を創設、雇用調整金助成金の特例措置の拡大、インフルエンザ等対策特別措置法改正案を盛り込む。特例措置の拡大された結果、厚生労働大臣が地域する地域についての手当や賃金の助成率の上乗せなどが行われた。
同じ日にインフルエンザ等対策特別措置法改正案を閣議決定、13日に成立させる。これによりコロナウィルスによる感染症が拡大した場合に首相は緊急事態宣言を発令することが可能になった。
クラスター感染の拡大防止
この一方、2月下旬から内閣はクラスター感染拡大防止を重視するようになる。2月29日の専門家会議はクラスター間の感染拡大を防止することの大切さを強調する。特に具体例としてスポーツジム、屋形船、ビュッフェスタイル、雀荘、スキー・ゲストハウス、密閉された仮設テントを具体的な例としてあげる。その後、専門家会議はより条件を明確に示す。すなわち3月9日の専門家会議では「新型コロナウイルス感染症対策の見解」を提示し、クラスター感染の条件について詳しく説明している。その後3密として知られるようになった3条件である。具体的には、(1)換気の悪い密閉空間、(2)人が密集していた、(3)近距離での会話や発生が行われた、という条件が重なる場合に、感染する危険性が高まることを強調する。
また、3月5日に安倍内閣は4月に予定されていた中国の習近平国家主席の来日延期を発表する。
(下篇の緊急事態宣言が発令されるまで 下:「足踏み期」・「緊迫期」に続く。)