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全米女子オープン最終日、渋野日向子の敗因は、プレー以前に、すでにあった

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 2位に1打差の単独首位で全米女子オープン最終ラウンドに臨んだ渋野日向子に日本の大勢のファンが期待を膨らませていた。

 そのまま逃げ切って優勝したら「良かったね」と祝福を贈り、勝利を逃す結果になったとしても「頑張ったね、惜しかったね」と声を掛ける展開になることを願っていた。

 終わってみれば、勝利を掴んだのは、この日、スコアを4つ伸ばして通算3アンダーで先にホールアウトした韓国のキム・イェリム。2バーディー、5ボギーで3つスコアを落とした渋野は通算1アンダーで4位に甘んじた。

 韓国人選手による全米女子オープン制覇はこの16年で10度目。今大会ではトップ10に韓国勢が4人、タイが2人、米国が3人、そして日本人は、渋野ただ1人だった。その意味では、渋野は大健闘だったと言えるわけで、「頑張ったね」と言ってあげたい。

 しかし、厳しい言い方になってしまうのだが、彼女を応援したいからこそ、あえて苦言をここに記そうと思う。

 「惜しかったね」という言葉は、今回の渋野には当てはまらない。「惜しかった」わけではなく、4位とはいえ、完敗だった。なぜなら、最終日の渋野の敗因は、ティオフする前から、すでに存在しており、その敗因を生んでしまったのは他の誰でもない渋野自身だったからだ。

【プレー前に敗北していた?】

 悪天候で月曜日に持ち越された最終日。渋野のショットは出だしから方向が定まらず、判断も定まらず、あたふたしたゴルフで発進した。

 1番はパーを拾ったが、2番はセカンドショットを木に当ててボギーを喫した。

「クラブ選択が曖昧だった。すごく悔いが残る」

 そんなふうに、あたふたしたゴルフになった原因が、緊張ではないことは、あからさまに見て取れた。そう、その原因は明らかに寒さのせいだった。

 いや、正確に言えば、渋野の薄着のせい。もっと正確に言えば、防寒対策が甘かったことが、彼女の最大の敗因だったと言わざるを得ない。

 他選手たちがニット帽を被り、耳当てを付け、セーターの下にはタートルネックのアンダーシャツなどを着こみ、セーターの上にはダウンのベストなどを重ね、さらには脱いだり着たりが楽にできるたっぷり目のジャケットなどを羽織る選手もいる中で、渋野の出で立ちは、あまりにも薄着で無防備だった。

 4番ティ付近で簡易カイロらしきものを受け取っていたが、優勝争いの真っ只中で、そんな付け焼刃の緊急対策をしていたこと自体、準備不足を露呈していた。

 手を温めるためのミトンがあったことは大いなる救いになっていたのだろう。だが、ショット間に、赤いセーターの上に羽織っていた白いジャケットは、見るからに薄手で、これを羽織っても、なお彼女は寒さで震えていた。

 そのままスイングできるダウンのベストのようなものを用意していれば、ショットのたびに脱いだり着たりする手間は不要だったはずだ。あの白いジャケットの脱ぎ着の動作を1ラウンドで何十回も繰り返した手間とエネルギーが、寒波による極寒の空気とあいまって、彼女の集中力やパフォーマンスに大いなる悪影響をもたらしたことは、彼女自身が痛感していた。

「寒さで飛距離が落ちて、、、いや、飛距離どころか、自分のスイングもできずに18ホールを終えてしまった。最後まで取り戻すことができなかった」

 そう、最終日の渋野は、ゴルフをプレーする以前に、その準備段階で、すでに勝利を逃がす方向へ自ら向かってしまっていた。

 その結果、「自分のゴルフができない」「パーオンができない」「チャンスに付けるゴルフができなかった」という展開になった。すべては、防寒対策の不足が誘発した負の連鎖だった。

【メンタル・コントロールで完敗】

 それに加えて、この日の渋野は怒りをコントロールできなくなっていた。ナイスセーブができたときやバーディーパットを沈めたときは彼女らしい笑顔を見せたりもしていたが、ミスするたびに怒りを露わにする様子は、彼女が優勝から遠ざかっていくことを示しているかのようだった。

 最終組でともに回り、2位タイになったエイミー・オルソンは、前日に義父の突然の訃報を聞かされ、現地に来ていたオルソンの夫は、急きょ、自宅のノース・ダコタに引き返したそうだ。

 それでもオルソンは初優勝を目指して戦うことを選び、悲しみや勝利への渇望や欲望をすべて胸の中にしまい込み、表情一つ変えることなく、淡々と18ホールを戦っていた。

ホールアウトした瞬間、堰き止めていた感情が溢れ出し、涙も溢れた。

 そんなオルソンの姿に心を動かされたファンは少なくなかったのではないだろうか。

 逆転逃げ切りで勝利を掴んだキムは、4日間72ホールのすべてをマスクを付けたまま戦い通した。キムも表情を変えることなく、淡々とクラブを振り、黙々と歩き、終始「自分のゴルフ」に徹していた。

 上がり3ホールでバーディーを奪い、通算3アンダーの単独首位で先にホールアウトして、後続選手たちがプレーを終えるのを待っていたキムは、自身の優勝の可能性が濃厚になったとき、ようやく安心したのか、思わずコーヒーをこぼして「あたふた」していた姿が初々しかった。

 溢れ出す感情をどこまで制御できるのか。メンタル面をコントロールする戦いにおいても、残念ながら渋野はキムやオルソンに完敗だったと言わざるを得ない。

【来年、再来年、、、】

「悔しいけど、これが今の自分の実力。受け止めるしかない」

 全米女子オープンを制するために、渋野の今の実力が不足なのだとすれば、その不足には「まだ世界を知らない」という知識の不足、経験の不足も含まれるはずだ。

 大きく激しく目まぐるしく変化するアメリカ大陸の気候の恐ろしさを、渋野はまだ知らなかったからこそ、防寒対策、事前準備を怠ってしまったのだ。

 私は米国でゴルフ取材に赴く際は、ほぼ毎週、巨大なスーツケースの3分の2ぐらいのスペースに、日焼け防止グッズからレインギア、傘、長靴、ダウンジャケットに至るまで、暑さ対策も風対策も寒さ対策もすべて万全に行ない、ほぼ全天候に対応できるよう、オールウエザーのグッズを、あれこれ必ず持ち歩いていた。

 米ツアーの選手やキャディとなれば、それ以上の準備を絶対に怠らない。だからこそ、急激に寒くなった最終日、どの選手もしっかり防寒対策を行なうことができ、だからプレーそのものに全神経を注ぐことができた。それができなかったことが、渋野の最大の敗因だった。

 だが、それは彼女の歩を止めるものではない。なぜなら、彼女はもう二度と同じ失敗を繰り返すことはないだろうから――。そういう学びの積み重ねが、良き経験となり、糧となる。

「来年、再来年、もっと強くなって、その姿を見せられるように励みます」

 渋野のメジャー2勝目は、必ずや、その先にある――。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、長崎放送などでネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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