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ジョンソン首相が地滑り的大勝 英国のEU離脱は次のフェーズに

木村正人在英国際ジャーナリスト
EU離脱を主導し、地滑り的大勝利を収めたボリス・ジョンソン首相(筆者撮影)

[ロンドン発]12日投開票の英総選挙で、欧州連合(EU)離脱を主導するボリス・ジョンソン首相の与党・保守党が地滑り的な大勝利を収めました。

これで離脱後の英国とEUと新たな自由貿易協定(FTA)交渉はようやく緒に就きますが、課題は山積しています。

この日、英国各地の4万カ所の投票所には長い行列ができました。今回の総選挙は英国の未来を大きく左右するからです。

開票の結果(残り1議席)、ジョンソン首相は364議席を獲得する見通しです。

保守党にとっては376議席を獲得した1987年のマーガレット・サッチャー元首相以来の大勝利です。

労働党は203議席で、1983年の209議席を下回る大敗です。英下院の定数は650ですが、議長や副議長を除いた事実上の過半数は320議席なので44議席も上回っています。

ジョンソン首相は強硬離脱派、穏健離脱派、残留派に分裂していた保守党を完全に掌握しました。

【各政党の獲得議席】

保守党364議席(317議席)

労働党203議席(262議席)

スコットランド民族党(SNP)48議席(35議席)

自由民主党11議席(12議席)

()内は前回総選挙

有権者が明確にジョンソン首相にEU離脱を任せる意思表示をしたことで、2016年6月の国民投票以来、迷走を続けてきた英国のEU離脱はようやく港を出ることができます。

労働党の強硬左派ジェレミー・コービン党首は辞任することになるでしょう。

電気・ガス、水道、郵便、鉄道や一部ブロードバンドの国有化を宣言、民間企業の株式の最大10%を従業員が集団で所有する包摂的所有基金案を掲げるコービン党首が退場すれば、英国にとって最悪のシナリオは消去されます。

しかし2回目のスコットランド独立住民投票を訴えるSNPが2015年総選挙の56議席に次ぐ勝利を収めたことで中央政府とスコットランド自治政府の政治的な緊張は高まるのは必至です。

今回の総選挙を一問一答形式で振り返ってみましょう。

――保守党の地滑り的勝利と労働党の大敗の理由は何でしょう

「EU離脱は保守党内の主権主義者の反乱が震源でしたが、労働党が抱えていた問題の方が深刻でした。1980年代にサッチャー元首相が主導した新自由主義革命で不採算セクターになった炭鉱は閉鎖されました。炭鉱街は連帯が強いため、多くの人は移動せずに地域にそのまま残りました」

「労働党のトニー・ブレア元首相らニューレイバー(新しい労働党)がサッチャー路線を引き継いだため、旧炭鉱街のスコットランド、イングランド北部・中部、ウェールズ南部のオールドレイバー(古い労働党)支持者は政治的にも経済的にも完全に取り残されました」

「ブレア元首相のイラク戦争やアフガニスタン戦争で若者の夥しい血が流されました。ニューレイバーが加速させたカジノ金融資本主義の破綻で公的資金がグローバルバンクに注入され、失業者や低所得者層への社会保障が削減されました」

「2015年の総選挙でスコットランド労働党が崩壊。今回の総選挙では『赤い壁』と呼ばれるイングランド北部・中部の旧炭鉱街で労働党が次々と敗北を喫しました。オールドレイバーの支持者が労働党を罰するために、死ぬほど嫌っていた保守党に投票したのです」

「激戦区であるイングランド中部の旧炭鉱街にある選挙区を取材で訪れましたが、オールドレイバーの怒りは相当なものでした。『コービンに期待したが、働いてもフードバンクで食料をもらわなければ暮らせない労働者の怒りを分かろうとしなかった』と憤っていました」

「労働党は北のスコットランドから順次、崩壊しています。イギリスのEU離脱は“炭鉱の呪い”を解く意味もあるのです。EUからの離脱を望むイギリスの有権者は、EUは新自由主義の牢獄と思っているのです」

――この総選挙の結果を受けて、今後どのように動いていくのでしょう

「保守党が単独過半数を確保しました。しかもマジョリティーが大きいのでジョンソン首相に今後のFTA交渉でフリーハンドが与えられた格好です。とりあえずジョンソン首相がEUと電撃合意した離脱協定書は英議会で承認されるでしょう」

「海外の目から見れば残留すれば良いのにと思うのですが、私たちが思っていた以上に英国民の離脱派の意思は固かったようです。しかしジョンソン政権の課題は山積しています。オールドレイバーの痛みにどう答えるかが一番大きな問題です」

「19世紀に資本主義が発展していく中で、行き過ぎた市場主義を制限し、社会問題を解決していこうというワン・ネーション・コンサバティズムという考え方が出てきました。ジョンソン首相はワン・ネーション・コンサバティズムを実践できるかが問われています」

「ジョンソン首相はロンドン市長時代に生活賃金(人間らしい生活ができる賃金)を拡充しました。今回の総選挙ではマニフェスト(政権公約)で全国一律の法定生活賃金を時給10.5ポンド(約1500円)に引き上げることを約束しています。国内の痛みを和らげることが大きな課題です」

――イギリスが抱える課題は

「ジョンソン首相はGet Brexit Done(EU離脱の完遂)をスローガンに掲げましたが、これは始まりの終わりに過ぎません。EUと新たにFTAを結び直すための移行期間が来年末までなので、移行期間を延長するかどうかを来年6月に判断しなければなりません」

「今後の新たな通商交渉が大きな問題ですが、時間があまりありません。ジョンソン首相はアングロサクソン経済圏のアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドと同時並行でEUと交渉を進める見通しです。EUがこれまでのFTA交渉に要している期間は3~5年。韓国とのFTAは実際に動き始めるまで9年もかかっています」

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「イギリスはもう半世紀近くEUの中にいるので、貿易交渉を担当できる専門家がいません。はっきり言って人材難。これに対してEU側はミシェル・バルニエ首席交渉官を筆頭に百戦錬磨のベテランぞろい。3年で貿易全体の80%をFTAでカバーするとぶち上げましたが、前途多難です」

――日本にはどんな影響がありますか

「帝国データバンクの調べでは英国に進出する日系企業は1298社。ソフトバンクの半導体設計大手のアーム買収に象徴されるように日本はここ数年、英国への投資を拡大させてきました。しかし、これまでのEU離脱の迷走で不確実性が膨らみました」

「厳しくなる環境対策、ディーゼル・スキャンダルで嵐に見舞われる自動車業界。ホンダは英国から撤退、日産自動車もスポーツ多目的車(SUV)の次期モデルの生産計画を取りやめました。EUとのサプライチェーンが寸断されると製造業の撤退が相次ぐ恐れがあります」

「金融街シティーとEUとの関係がどうなるのかも心配です。ロンドンの体制を縮小する邦銀も少なくなく、筆者も、解雇されそうになっている方から相談を持ちかけられたこともあります」

「失業率は1970年代以来、最低水準ですが、今後、全国一律の法定生活賃金を引き上げていくと、失業率が上昇してくるかもしれません。これからがまさにジョンソン首相の正念場です」

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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