大坂なおみが訴える「黒人の虐殺」「数え切れないほどの怪物」の正体とは
「私はアスリートである前に黒人女性です」
[ロンドン発]米中西部ウィスコンシン州ケノーシャで黒人男性のジェイコブ・ブレークさん(29)が背後から警官に7回撃たれ、下半身不随になった事件でテニスの大坂なおみ選手は26日、「私はアスリートである前に黒人女性です(本文:私はアスリートになる前は黒人女性です)」とツイートしました。
「黒人女性としては、テニスをしているのを見るよりも、すぐに気をつけなければならない重要な事柄があるように感じます。警察の手で黒人の虐殺が続いている。黒人に起こった権利剥奪、人種差別、その他の数え切れないほどの怪物は、私の胃を病気にさせます」
大坂選手は抗議のため全米オープンテニスの前哨戦「ウェスタン&サザン・オープン」準決勝をいったんは辞退しました。しかし大会側は27日の全試合を延期したことを受け、大坂選手は28日の準決勝に「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」と書かれた黒色Tシャツを着て出場して快勝し、決勝進出を果たしました。
大坂選手は試合後「私はもっと声を上げる必要があると感じた。もし大会を棄権すれば世間の関心が集まるだろう、それが私がなすべきことだった。私に勇気があるのではなく、しなければいけないと感じたことをしただけ」と話しました。
そして「私たちの世代のテニスプレーヤーは自分が思ったことを口にすることをそんなに恐れないようになるのかもしれない」と付け加えました。
米ミネソタ州ミネアポリスで白人警官による黒人男性ジョージ・フロイドさん暴行死事件が起きた際も、大坂選手は「沈黙は決して答えではない」との投稿をリツイートし、「あなたには起こっていないからと言って何も起こっていないことを意味しない」と行動を呼びかけました。
大坂選手はハイチ出身の父と日本人の母の間に大阪市で生まれ、3歳からはアメリカで暮らしています。大坂選手のアイデンティティーの半分は間違いなく「黒人」です。
米警官の発砲・暴行による死者は毎年1100人前後
人種差別撤廃運動「ブラック・ライブズ・マター」はSNSを通じて世界中に広がりました。人種差別撤廃というメッセージは世界共通でも、黒人差別問題のコンテキストはそれぞれの国によって異なります。アメリカのコンテキストを見ておきましょう。
警官の発砲・暴行による死者をデータベース化している米サイト「マッピング・ポリス・バイオレンス」によると、死者は毎年1100人前後で推移しています。99%のケースは不起訴です。
死者数では黒人より白人の方が多くなっています。黒人の死者数はほぼ横ばいで、バラク・オバマ前大統領からドナルド・トランプ大統領になって急に黒人の死者が増えているわけではありません。
人口100万人当たりで見た人種別の死者数は、黒人は白人の約3倍。しかし武器を持っていないケースに限ると、この差は約1.3倍にまで縮まります。
警官の発砲・暴行・制圧行為による死者数は、「ブラック・ライブ・マター」運動を受けて警察改革が進められた都市部では減少しているものの、郊外や地方では逆に増えています。
「マッピング・ポリス・バイオレンス」によると、警官の発砲・暴行で死亡した黒人の6~8割近くが銃やナイフなどで武装していたとみられています。14年には武装率は60%だったのに19年には78%まで跳ね上がっています。
「ブラック・ライブズ・マター」はオバマ時代に始まった
「ブラック・ライブズ・マター」運動はオバマ前政権下の2014年に始まりました。黒人男性が警官に射殺される事件が相次いだからです。この年、警官の発砲・暴行で死んだ黒人は277人にのぼります。トランプ大統領になってからは276人、259人、277人とさほど変わりません。
2014年4月、ウィスコンシン州ミルウォーキーでドントレ・ハミルトンさんが警官に射殺される
7月、ニューヨーク市でエリック・ガーナーさんが警官に禁じられているチョークホールドで押さえつけられて窒息死。「ブラック・ライブズ・マター」に火がつく
8月、ミズーリ州ファーガソンでマイケル・ブラウンさんが警官によって射殺される
8月、オハイオ州ビーバークリークでジョン・クロフォードIIIさんが警官に射殺される
8月、カリフォルニア州ロサンゼルスでエゼル・フォードさんが警官に射殺される。
10月、イリノイ州シカゴで17歳のラカン・マクドナルドさんが警官に射殺される
11月、ニューヨーク市でアカイ・ガーリーさんが警官に射殺される
11月、オハイオ州クリーブランドで12歳のタミル・ライス君が白人警官に射殺される。「ブラック・ライブズ・マター」が拡大
12月、ミズーリ州バークレーで18歳のアントニオ・マーティン君が白人警官に射殺される
アメリカはすでに警察国家としての機能も失っています。しかしトランプ大統領は「原因」ではなく、機能不全に陥ってしまったアメリカが生み落とした「結果」です。状況をさらに悪化させたトランプ大統領をいくら批判したところで根本的な問題は何一つ解決しないでしょう。
SNSで警官による発砲・暴行が瞬時に白日のもとに
筆者は2002~03年、米ニューヨーク市に留学していましたが、友人、知人のほとんどが黒人や中南米系移民、そしてリタイアした白人高齢者でした。現役の白人エリート層は英語が下手な日本人を相手にしてくれるほど暇ではありませんでした。
しかし1950~60年代の公民権運動を経て、アメリカの人種差別は随分和らいでいるように感じました。そうでなければオバマ大統領の誕生も、白人主体のエリート・スポーツだったゴルフのタイガー・ウッズ選手やテニスのウィリアムズ姉妹、大坂選手の活躍もなかったはずです。
イラク戦争や世界金融危機が起きる前のアメリカはまだ「豊かな国」でした。しかし01年の米中枢同時テロでイスラム系移民へのヘイト(嫌悪)が強まり、08年の世界金融危機で1%対99%という貧富の格差が顕在化しました。
SNSの普及で警官による発砲・暴行がどのような形で行われているのか、瞬時に白日のもとにさらされるようになりました。そしてジョージ・フロイドさん暴行死事件のような衝撃的なケースがSNSを通じて世界中に拡散するようになりました。
しかしフロイドさんの事件は警官に殺された黒人の象徴的なケースになっても典型的なケースではありません。
「ブラック・ライブズ・マター」で全ては解決するのか
「ブラック・ライブズ・マター」と唱えて抗議活動を展開すれば、問題は解決するのでしょうか。米政権が、人種間の緊張を煽るトランプ大統領から民主党のジョー・バイデン副大統領に代われば問題は雲散霧消するのでしょうか。筆者はそうは思いません。
アメリカは世界最大の銃社会。警察を弱体化すれば治安は悪化するでしょう。警察に殺される人が多いのは、警察は容疑者が銃で武装していることを前提にしているからです。職務質問に抵抗すれば黒人、白人を問わず警察に殺される確率が跳ね上がるのがアメリカ社会の現実です。
そして犯罪とヘイトの背後には格差と貧困問題があります。バイデン氏との大統領候補指名争いに敗れたバーニー・サンダース上院議員が唱えるような所得格差、教育格差を解消する政策がアメリカには不可欠です。そうでないと根本的な問題は解決しません。
人種差別や偏見はどこの国、どの社会にも根強く残っています。これは絶対に許してはなりません。白人男性が圧倒的優位に立つ社会構造も変えていく必要があります。しかし今、目の前で繰り広げられているアメリカの惨状は果たして肌の色の違いだけによるものなのでしょうか。
筆者は競争だけにフォーカスし過ぎて壊れてしまったエリート・システムの問題だと考えます。トランプ大統領が再選すればアメリカは完全に崩壊してしまうでしょう。しかしバイデン氏が大統領になっても人種的な緊張の緩和、格差解消など極めて困難な問題が山積しています。
(おわり)