【キャリアの分岐点】なぜ高校中退したギャルが起業・妊活・子育てを経て、40歳で3回目の起業をするのか
コロナ禍が働く人々の人生観や仕事観に影響を及ぼしたと感じる社会人は多い。中でも女性の働き方はこれまで結婚・出産期にあたる年代に一旦労働率が低下し、子育てが落ち着いた時期に再び上昇するいわゆるM字カーブは大きく描かれていたが、近年はそのカーブも浅くなってきている。とはいえ、結婚や出産、子育てといったライフイベントからより大きな影響を受けるのが女性であることは変わらないため、女性の方がより強くコロナ禍の影響を受けたという声は少なくない。
そこで今回取材するのは結婚・出産・育児を経験しながら3回目の起業に挑戦する小杉裕美さん(40歳)。これまで多くのライフイベントを経て、コロナ禍で3回目の起業に挑戦する彼女の働く価値観、キャリアの分岐点に迫る。
――学生時代はどんな学生でしたか?
小杉さん|私の学生時代の青春は安室奈美恵さん、浜崎あゆみさん達で、いわゆるギャルの流行時代です。その時代の波に私はしっかり乗っていて、高校生の時は毎日渋谷に通っていましたし、わかりやすく109が大好きなギャルでした。見た目はとにかくガン黒で派手な服に派手なメイクに金髪メッシュ、そしてお約束のルーズソックス…(笑)
世間の偏見を見返したい想いが力に
そんなギャルな私は世の中・高校になじめずに高校1年で中退をします。その頃はまだギャルが高校中退をするとなれば、世間の目は冷たく、親にも迷惑をかけました。そこで、せめても大学は出て欲しいという親の願いと世間を見返してやるという強い想いで高校2年の夏に大学入学資格検定を取得。その後、親の援助のおかげで、都内の大学に進学することができて、無事卒業して就職することもできました。
――社会人1年目で起業経験をしたのはなぜ?
新卒で入社した会社はタイミングとしてはインターネットが普及して様々な分野で成長していた大手IT企業(上場企業)でした。やる気満々だった私ですが、後輩ギャル(ギャル社長で有名な藤田志穂さん)に起業の誘いを受けて、わずか4か月で退社。そのまま起業参画をしました。新卒で入社した会社に不満はなかったのですが、どこか自分らしくない感覚はあって、起業の誘いで吹っ切れ今思えば、そこがひとつキャリアの分岐点だったように感じます。
ギャルのイメージを払拭したい
起業当時、私は23歳でした。元ギャルという中で世間からのギャルのイメージを払拭したい!ギャルでもできることを証明したい!という強い想いでギャルマーケティング会社を設立して副社長となりました。
机は段ボール!でも得意を仕事に!
起業当初、大きなことを掲げてはいましたが、お金もないので最初はオフィスもなく間借りスペースで、机は段ボールでした。勿論、何から始めていいか正直わからない状況でしたので、とにかく仲間集めをしました。人集めはギャル時代から自分の大得意分野!ギャルの仲間を集めて、ブログで情報を発信していると、いろいろな問合せが入ってくるようになり仕事が回るように成長していきました。
気付くと設立1年くらいで、109は勿論、アパレル・化粧品・お菓子などの企業からイベントや企画・マーケティング・PRのお仕事を頂けるようになっていました。
会社のブランディングも強くギャル=社長というインパクトもあり沢山のメディア取材やTV出演などをさせていただくことで、会社は急成長することができました。
――会社の成長期で独立したのはなぜ?
初めての起業から5年後、まだ若かった自分達には精神的な強さが足りない部分や、他役員メンバーとの方向性の違いもあり、私が独立する形となりました。私のキャリアにおいて1回目の挫折…ですかね。今となっては、良い学びになりましたし、あの頃の仲間との関係も今は良好なので、良い経験、思い出となっています。
1人になった私は女性のマーケティング、サイネージ広告(サイネージ広告はご縁があって新規参入)などを手掛ける会社を設立しました。ここで人生2回目の起業になりますが、きっかけは私の独立のタイミングで、これまで培ってきた経験を自分の力でアウトプットしたいと思ったことです。
働きすぎで体を壊しても頑張らないといけない
おかげさまで色々とお仕事を頂ける環境にはありましたので、とにかく朝から夜まで仕事をする毎日で、事務所で寝るような働き方をしていました。その頃から体調を崩したり、生理が止まったり…正直体がボロボロの状態でした。でも頑張って働いてくれる社員もいるし、自分が頑張らないといけないという苦しい時間でした。
とはいえ、30歳を機に自分の人生を見直すことができて、当時お付き合いしていたパートナーと結婚をしました。
結婚後も仕事は中心ではあったものの、頭の片隅に子供はいつでもできるだろう!と楽観的に考えていましたが、1年2年たっても中々子宝に恵まれず、焦りを感じました。
不妊治療、2度の流産、夫婦間の問題、2回目の挫折
33歳の時、私は不妊治療という壁にぶちあたり、その時に初めて、不妊治療の心と体のストレスを身をもって体感しました。夫婦で頑張った末に1人目に恵まれた後も継続して妊活を頑張っていましたが、2人目を出産するまでに2度の流産も経験し、家族、子育て(特に生後3か月の子供を保育所に預けなければいけない自分の働き方)を考え、精神的にも肉体的にも両立することが困難になり、大切だった会社を売却する選択をしました。
――会社を売却するのは難しい決断だったのでは?
当時、売却による利益は得たものの、10年間自分が築いた会社(居場所)をまた手放すことがこんなにも孤独や不甲斐なさに感じるのだと、2回目の挫折となりました。
キャリアの分岐点になったアドバイス
本当に悩み、苦しい決断でしたが、古くからの親友や主人に言われたアドバイスがあります。
起業できること、環境、人脈は欲しくても叶わない人がほとんど。やりたくてもできないんだよ。当たり前でない人生を進んでいるかもしれないけど、自分が選んだ人生にもっと自信をもって欲しい。自分らしく頑張って欲しい。
このような言葉をもらい、今本当に自分がやりたいこと・やるべきことを考えた結果、難しい決断でしたが、一旦仕事はセーブして(必ずまた挑戦する)、子供との時間をしっかり作りたいと決めました。
――3回目の起業に挑戦する背景は?
ようやく下の子も3歳を迎えようとしているので社会復帰をしたいなと思い久しぶりに色々な方に連絡をとってみたり会ってみたりした時に、女性の社会進出が増え、仕事で活躍されている方も多いなと感じる反面、健康面・精神面ではまだまだ辛さを抱えている人が多いなと感じました。
社会人生活を始めてから現在までの私の女性としての悩みや仕事背景、挫折が何か経験として生かせるかも!私は今何が出来る?何をしたい?私が社会に貢献できることは何か?少しでも私の経験したことを社会に還元できたらと漠然と考えていました。
私はまだ子育て中ではありますが、40歳の節目です。ギャル時代から30代前半はとにかく友達とたわむれていたかったように思います。仲間が多ければ多いほど強く、エネルギーもみなぎっていました。それは今でいうSNSのフォロワー数に近い感覚です。
共感よりも自分を信じたい
ところが、女性としての仕事・結婚・出産・子供・家族という多くのライフイベントを経験する中で、いつからか周りに合わせるのが苦痛になり、共感より自分の経験・価値観を信じたいと変化してきました。
正直今では、映えやフォロワー、SNSなどとは距離を置きたくて…心が疲れる、嫌いという感情になる時もあります。そこで、最近は新たに感じているのが私、ひとりでいる時間が好きという感情です。
ひとり時間が大切
家族はいる身ではあるから”ひとり”という言葉ではないかもしれないけど、たまに訪れるひとりの時間。
ひとりご飯、ひとり銭湯、ひとり酒、ひとり映画、ひとりショッピングが今、本当に新鮮に感じられます。それは、周りとの共感ではなく、自分と向き合う大切な時間だと感じています。
自分(自分の時間)を大切に出来るのは、自分の気持ちやレベルをあげることであり、誰かの為に…人からの共感…ではなく自分のため。私らしくいきる人生に幸せをプラスしたい!
そんな想いがつのり、運がいいことに素敵な仲間にも恵まれ、また起業することを決意しました。
是非、企業理念に共感いただける方、私とお仕事してくださる方はご一緒してください!
――注目されるフェムテック業界について
私の女性としての悩みや仕事背景、挫折を何かのカタチにすることで社会に貢献したいと考えている時にフェムテック業界に出会いました。
FemTech(フェムテック)とは、Female(女性)とTechnology(テクノロジー)をかけあわせた造語とされていて、生理・月経、妊活・妊よう性、妊娠期・産後、プレ更年期・更年期など女性のライフステージにおける様々な健康の課題をテクノロジーで解決できる商品やサービス全般のことを指し、2025年までに5兆円規模の市場になると言われています。
3回目の起業は自分が楽しいと感じたい
フェムテックという表現ができた2020年。女性の社会的問題(仕事・結婚・出産・家庭)は日本全体で解決すべきです。
女性が当たり前に我慢していたことを当たり前と思わない。
誰の人生でもない自分の人生を「私らしく」生きる。
「ひとりひとり」が自分を大切にする。
ひとりの思想・時間・空間を楽しませる。
そしてHAPPYを提供する会社でありたい。
みんなと一緒じゃなくていい。
私が楽しいと感じたい。
自分勝手ではなく、自分に素直に生きる。
そんな想いを込めて3回目の起業に挑戦・スタートしました!
キャリア(人生)の分岐点
コロナ禍で多くの人の働く・生活の価値観が変わりキャリアや起業に対しての考え方も変化した。その中で特にジェンダーレスという言葉をテーマにした話題が多かった印象で、テレワークの普及により女性の働く環境やライフイベントとのバランスにも変化があった。今回取材をした小杉さんのように多くのライフイベントを経験しながらも何度も挑戦できる環境や周囲の支援があったことはキャリアの分岐点を演出している。
まだまだ女性が当たり前に我慢していることは社会には多く、女性の社会的な課題、問題はいよいよ変革の時代がやって来るのかもしれない。小杉さんの3回目の起業にあたるmanoaは、そんな日本の社会・働く環境にインパクトを与えるかもしれない。引き続き、小杉さんの活動やmanoaを通じた新たな価値に注目したい。
はたらくを楽しもう。
【小杉裕美さんプロフィール】
出身:東京都
2005年4月 IT系企業入社(新卒)
2005年8月 シホ(有)G-REVO(SGR)副社長就任
~ギャルでも出来ることを証明するため、ギャル会社へ~
2009年6月 2回目の起業
2014年 妊活開始
2016年6月 第1子出産
2019年9月 2回目の会社売却
2020年9月 第2子出産
2023年5月25日 株式会社manoa 設立
~女性のおひとり時間をウェルビーイングする~
【manoaについて】
manoaは小杉さんが好きなハワイで虹が一番きれいにみえる場所の名前。
綺麗な景色は人の心をあたたかくするように、manoaが携わる事で希望や夢がうまれる。そんな意味も込められた社名がmanoa。
問い合わせ:info@manoa-inc.com