NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で注目!松永久秀ゆかりの地へ
1月10日(日)に放映されたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、ついに松永久秀が自害するという場面となった。大和国(現在の奈良県)の統治を織田信長から奪われた形となった久秀はついに信長に反旗を翻し、その結果、城に籠って壮絶な最期を遂げることとなったが、その舞台として登場するのが信貴山城だ。
標高433mの信貴山雄嶽を中心とした山城で、築城は天智天皇の時代に遡り、中世には大塔宮護良親王や楠木正成も一時この城に入ったという。戦国時代には木沢長正や松永久秀によって大改修され、大きく発展を遂げたが、天正5(1577)年に松永久秀が信長の攻撃を受けて50日間籠城の末に落城し、その後は廃城となった。
こちらへは朝護孫子寺の本堂手前から空鉢護法堂(天守跡と推定)を目指してさらに階段を約20分上ると到着する。
そこから10分ほど坂を下ると木々の間に松永屋敷跡が見えてくる。信貴山北側に延びる主尾根には、土塁を配して門が取り付いていた広い郭の土台が現在も段階的に並んでいることから、この辺りが松永久秀の居館施設であったと推定され、その規模は天守エリアを上回っているほどだ。
信貴山城跡、朝護孫子寺を後にすると、北葛城郡王子町にある達磨寺にも立ち寄りたい。こちらには、敵方であった筒井氏によって造られたとされる松永久秀の墓があり、「松永弾正久秀墓 天正五年 十月十日」との文字があるようだが現在は風化している。
また近くの生駒郡三郷町には松永弾正顕彰碑も立っており、久秀とその家臣たちの慰霊を今もなお行っている。
三好家の家臣として成り上がり、一時はその主家をも凌ぐ権力を機内に築いた久秀。信長の侵攻によって信長の配下となり、2度裏切っても信長から許されたという唯一の武将。3度目の裏切りも天下の名宝とされた「平蜘蛛」(茶釜)さえ差し出せば、命は助けるとまで打診されたが、久秀は反抗し、最期は死を選んだ。
通説では平蜘蛛ともども爆死したなどと伝えられるが、今回の大河ドラマでは平蜘蛛は光秀が預かるという異例の展開。平蜘蛛を手にするものは、その誇りと信念を貫ける武将でないといけない。挫折した久秀からその想いを託された光秀がいかなる答えを出すのか。いよいよクライマックスにさしかかった「麒麟がくる」から目が離せない。