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このままでいいはずがない…東海オンエア騒動に見る炎上のコンテンツ化とSNSの限界

谷田彰吾放送作家

 ここ数日、ある超大物YouTuberグループがX(旧Twitter)を中心に"公開大喧嘩"を繰り広げ、大きな話題となっている。

 騒動の主役は、チャンネル登録者数699万人を誇る東海オンエアのリーダー・てつや、メンバーのしばゆー。そして、しばゆーの妻でYouTuberのあやなん。この3名だ。

 東海オンエアといえば、日本で最も成功しているYouTuberグループと言っても過言ではない。動画を公開すれば100万再生は当たり前。浮き沈みの激しいYouTube界において、実に10年に渡って高い人気を維持し続ける稀有なグループだ。だが、10周年というメモリアルイヤーにグループ最大の危機が訪れ、"崩壊オンエア"などと揶揄される事態となってしまった。

 事の発端は、あやなんのSNS投稿だった。16日深夜から17日にかけて、インスタグラムのストーリーズやXなどで夫のしばゆーやてつや、東海オンエアへの怒りと不満をぶちまけた。「(夫や自分の人生が)だんだん変わってきて歪んできて 良いこともそりゃああったけど それは一過性のものに過ぎなくて その中で我慢してきたことが全て ダムの壁が欠壊して水が流れ出すように もう限界になりそう」「多額の慰謝料請求して絶対に離婚してやる」と宣言した。

 三者の関係は非常に複雑だ。てつやとしばゆーは高校の同級生で、お互いを親友と呼ぶ仲。一方で、しばゆーとあやなんは夫婦、二児の親でもある。だが、てつやとあやなんは犬猿の仲で、しばゆーは板挟み。猛烈に忙しい人気YouTuberとしての自分と家庭での自分、二つの立場がかなり負担になっていたようで、本人によればパニック障害を患ってしまったという。そして、あやなんの離婚宣言を機にしばゆーのSNSは荒れた。あやなん、てつやに溜まっていた感情を爆発させ、さらには一般の第三者にまで当たり散らし、一大騒動に発展した。ファンはもちろん、野次馬も多数参加し、「○○が正しい」「○○に謝れ」といった個人の感想や主張、ここでは書けないような口汚い罵詈雑言がXのリプ欄を埋め尽くしている。

 この記事で問題提起したいのは、憎悪が憎悪を生むSNSの地獄のスパイラルと、YouTuberのメンタルヘルスについてだ。三者の喧嘩に踏み込んで、誰が正しいとか、私の倫理観を押し付けるようなまねをしたいわけではないので、どうかご理解いただきたい。

 一連の騒動を見ていて痛感したのは、SNSの限界だ。Twitterが誕生して17年、SNSは新しい価値観や職業、カルチャーを生み出した。一方で、人が人を叩く言葉の暴力、個人情報の晒し上げなどが問題になっている。多くの有名人が叩かれ、脅迫され、殺害予告され、心を壊して死を選んだ。そんなニュースを見るたびにSNSの功罪を突きつけられてきた。

 今回の騒動で、三つの違和感を覚えた。一つ目は、「SNSで○○が叩かれている」というニュースに、世間が慣れっこになっていることだ。今回の騒動を見ていても、第三者が当事者に対して平気で誹謗中傷を浴びせている。何人もの有名人が自殺に追い込まれ、誹謗中傷すれば犯罪になることもあると報道されていても、おかまいなしだ。まるでSNSは"公開処刑場"。「いつものことでしょ」というムードすら感じる。

 そして、残念なのは喧嘩が第三者にも広がっていくことだ。今回のケースは、あくまで三人の喧嘩だったはずだ。しかし、第三者の一人が「俺はこう思う」と言えば、別の第三者が「は?お前何もわかってないな」と因縁をつける。本来関係のない者たち同士の新たな喧嘩がそこらじゅうで起きている。ひとつの憎悪が次なる憎悪を生んでいく地獄のスパイラルだ。

 これがSNSの限界なのではないか?人が人を攻撃することに慣れ、有名人が心を病もうとも「有名になったんだから叩かれても仕方ないでしょ」とでも言わんばかりに追い詰めていく。そして悲しい事件が起きても、すぐに忘れ去られ、次なる炎上と痛みが生まれる。炎上の消費速度はどんどん上がり、炎上の重さは軽くなっている。

 二つ目の違和感は、もはや喧嘩や炎上が"コンテンツ化"しているということだ。今回は本人たちがSNSというオープンな場を"決闘場"として選び、第三者に絡まれることを前提にやり合っているから尚更だ。昔から"人の不幸は蜜の味"と言うように、ユーザーにとって成功者たちのトラブルはたまらないのかもしれない。でも、こんなことが繰り返されていけば、世間はもっと強い刺激を求める。いったいどこまでいけばいいのか?こうやって人間らしい感覚は麻痺していく。

 三つ目の違和感は、こういった負の騒動であってもSNSでは稼げてしまうことだ。今回の騒動は、当事者たちが収益を目当てにやっているものではないだろう。しかし、一連の投稿を合計すればとてつもないインプレッション数となり、収益は発生するはずだ。そして、収益欲しさに野次馬たちも乗っかって、リプでどんどん焚き付ける。自分のインプレッションが上がって、得をするからだ。こうして炎上は大きくなっていく。主な舞台となっているXの運営サイドからすれば、世間の注目を集めることができて願ったり叶ったりかもしれない。それがプラットフォーマーというものだ。だが、本当にこれでいいのか?

 YouTubeでも、迷惑系YouTuberの騒動が後を絶たない。これも同じ原理で、人の注目を集めれば収益が発生する。人に迷惑をかけようが、そんなことは関係ない。動画が再生され広告が流れれば収益が発生するし、生配信なら投げ銭もある。プラットフォーム側も対策を施しているだろうが、SNSの根本的な構造に限界を感じる。

 最後にもうひとつ気がかりなのが、YouTuberのメンタルヘルスだ。今回は私情のもつれが大きな原因かもしれないが、そもそもの背景にはYouTuberという職業の過酷さがある。毎日のように動画を作り、その出来を世間に評価され、心をすり減らす生活。そのストレスは生半可なものではない。私は以前、自分が手伝っていたYouTuberが病んでいき、活動できなくなるのを見たこともある。SNSは、こういった人たちが命を削った末に成り立っているものであることを、もう一度考えなくてはならない。

 SNSは、現代人の生活になくてはならないものとなった。だが、同時に限界も見えてきた。このままでいいはずがないのだ。2020年代は"ポストSNS"を考え、生み出す時代になるのではないか。"安心安全で誰も傷つけないインターネットを作ろう"、などと聖人君子のようなことを言うつもりはない。でも、今よりもう少しマシな世界がきっとあるはずだ。

放送作家

テレビ番組の企画構成を経てYouTubeチャンネルのプロデュースを行う放送作家。現在はメタバース、DAO、NFT、AIなど先端テクノロジーを取り入れたコンテンツ制作も行っている。共著:『YouTube作家的思考』(扶桑社新書)

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