「ゲームで遊んでお金を稼ぐ」を実現した元テレ東局員 企画を通せない非エリートが仮想通貨を上場するまで
新生活が始まった4月。新社会人もさることながら、転職や独立をした人も多いだろう。実は今、テレビの世界でも局を辞め、新たな職場に進む人が急増している。フジテレビが早期退職者を募集したのは記憶に新しい。テレビの衰退は何度も報じられているが、テレビ局は今も華やかな職場だし、高給も約束されている。それでも局員の肩書きを投げ捨てた人たちは、どんな仕事をしているのか?そんな「ヤメ局さん」を追いかけることで、新たなエンターテインメントとテレビの現在地を読み解いていくシリーズ企画第1弾。
「Play to Earn」
こんな言葉を聞いたことがあるだろうか?最近、ゲーム業界で話題沸騰中の用語で、「ゲームで遊んでお金を稼ぐ」という意味になる。”そんな虫のいい話あるわけがない…” そう思う方も多いだろう。しかし、ゲーム業界では今、現実となっている。親から「ゲームなんて時間の無駄」と口酸っぱく言われた世代にとっては、衝撃的な世の中になったものだ。
そんな中、1月末、日本のゲーム業界にビッグニュースが駆け巡った。Play to Earnゲームに使用する仮想通貨(正式には暗号資産と呼ぶ)が、日本で初めて上場したのだ。しかも、それをリードした中心人物は、金融やIT出身の人間ではなく、あのテレビ東京で番組を作っていた元プロデューサーだ。しかも、ゲームや金融とはかけ離れた演歌番組などを手がけていたというから驚きである。彼はいったいどんなキャリアを経て今の仕事にたどり着いたのだろうか?
今回は、元テレビ東京プロデューサーにして現Digital Entertainment Asset Pte. Ltd(以下、DEA社)共同代表の山田耕三さんを取材した。
■「企画が通らなかった」局員時代
「僕の取材で記事になりますか?佐久間氏とか呼んできた方がいいんじゃないですか(笑)」
取材の冒頭で山田さんはそう言った。佐久間宣行プロデューサーは、『ゴッドタン』などの深夜番組をヒットさせ、テレビ局員でありながら『オールナイトニッポン0』のパーソナリティとなった元テレビ東京の名物社員。彼と同年代で仲の良かった山田さんだが、華々しく活躍する佐久間Pとは対照的な局員人生を歩んできたという。
「2002年に入社して、希望どおり制作局に入りました。最初に配属になった番組は、当時のテレ東の大人気番組の一つだった『愛の貧乏脱出大作戦』。その後は音楽班に転属して主に演歌やJ-POPなどの音楽番組を担当しました。総合演出を務めた『木曜8時のコンサート』の視聴者は70歳オーバーが多く、今やっている事業とはまるでターゲットの違う仕事をしてました。どんな局員だったか? 一言で言えば「典型的なサラリーマン」です。言われたことはそつなくこなすけど、自力で企画を通すタイプではなかった。当時はそれが大きな悩みで、編成の企画募集で毎回たくさんの企画を提出するのですが、まるで通らなかったんです。それこそ佐久間氏は入社3年目に企画が通って、プロデューサーデビューしてATP(全日本テレビ番組製作社連盟)の新人賞まで獲ってます。一方の僕は約10年間、企画が通らなかった。自分がおもしろいと思っていることがズレているのかと悩み、もがいてました」
番組を作る制作局のテレビ局員にとって、企画募集は出世の大事な足がかりだ。テレビ局では年に数回、今後レギュラー番組になる可能性を秘めた企画を発掘すべく、局員たちから企画書を募集する。いわば「新商品開発」だ。提出される企画書の数は1000にも2000にものぼり、採用されて番組になるのは毎回10 本程度。採用されればどんなに若くてもプロデューサーや演出などの重職につくことができ、好評ならばレギュラー化、人気番組になれば局内でのポジションは上がっていく。そうなれば自力で企画を通さなくても大きな番組を任せてもらえるようになる。逆に通せなければ、いつまでも同僚の番組の歯車の一部となって働くことを余儀なくされる。サラリーマンとはいえ個の力が重視されるクリエイティブな職場なだけに、山田さんにとっては悩みの種だった。
そんな中、もがく山田さんにチャンスが訪れる。
「2011年に企画募集とは別のルートで運よく自分で企画できる深夜枠をいただくことができたんです。初めての企画プロデューサーということで、自分のやりたいことをやろうと思い、ネットで活躍するクリエイターたちを紹介・応援する『ドリームクリエイター』という番組を立ち上げました。この番組はニコニコ動画と連動していて、ニコニコのクリエイターや視聴者と一緒に番組作りをするスタイル。毎日1時間「番組構成会議」という位置付けで僕自身がニコニコで生配信をしました。視聴者とコミュニケーションを取って番組内容に反映させたり、オンエア前に収録の内容を配信しちゃったり、好き放題やらせてもらいました。今、コンテンツの制作過程を売る「プロセスエコノミー」という手法が流行っていますが、その実験版のような番組でしたね。この企画を思いついたきっかけは、音楽番組をやっていた時に調べたボーカロイドの初音ミク。ネットではものすごい人気なのにテレビではあまり取り上げられておらず、ネットコンテンツをテレビに持ってくる手法に鉱脈があるのではと思ったんです。おかげさまで好評をいただき、2年半続く番組になりました」
今、テレビではフワちゃんを筆頭に、YouTuberやTikTokerなどネット発の人気者が毎日のように出演している。だが、2011年当時は皆無。電通が調査した広告費の割合で見てもテレビ30.2%に対しネットは14.1%と半分にも満たない時代だった(ちなみに2020年にはテレビ26.9%、ネット36.2%と逆転している)。地デジ完全移行の年でもあり、「ネットとの連動」はまだほとんど無かった頃に新しい仕掛けに挑戦したことが、山田さんにとって大きな財産となる。
「やっぱり自分の企画が番組になるのはおもしろかった。でも企画募集だと相変わらず通らない。ならばいっそのことスポンサーを連れてきて成立させてしまおうと考えて、営業に異動しました。そこでテレビのビジネスモデルをちゃんと理解できたのは今思えば大きいですね。その後は2015年に子会社の制作会社に出向という形で制作現場に戻って、ネット連動型の番組をたくさん作りました。それは『ドリームクリエイター』で知見や経験をため込めたからこそ。ネットの仕事は数も予算もどんどん増えていたので、これなら独立してもやっていけると思い起業を決めました」
■退職金をはたいて体験したカルチャーショック
2018年にコンテンツ制作会社を設立。当初はネット動画や古巣のゲーム番組『有吉ぃぃeeee!』などを手がけながら、自分のペースで番組作りをするつもりだった。しかし、独立後ほどなくして動画制作以外の仕事を模索する。
「独立すれば、働けば働くほど儲けが出る。最初は楽しくてがむしゃらに働きました。でも、すぐに気づいたんです。「あ、これ限界あるな」って。今思えば当たり前なんですけど(笑) そこで、自分が生み出したものが自動的に働いてくれるようなビジネスを作りたいと思うようになりました。当初は人工衛星のエンタメ利用なんていう事業にも取り組んだり、トライアンドエラーを繰り返す中で偶然「仮想通貨」というものを知ったんです」
テレ東退職後の山田さんに大きな影響を与えた人物がいる。後にDEA社の共同代表となる吉田直人氏。過去に会社を3社ほど上場に導いた経験を持つ吉田氏と出会い、人生は思わぬ方向へ転がり始める。
「ゴローさん(吉田氏の愛称)と新しいビジネスを考えようよと話していて、仮想通貨がおもしろいと。当時の僕は投資もしていないし、多くの人と同じく「どうなの?」と思っていたど素人でしたが、ちょうどニューヨークで仮想通貨のイベントがあると聞きつけて、思い切ってテレ東の退職金を使って行ってみたんです。当時はバブルが弾けたばかりにもかかわらず、外国人の起業家や投資家たちはとんでもなく豪華で面食らった。曲がりなりにもテレビ局にいたので華やかなパーティーのようなものも経験したつもりでしたが、規模が違う。「負けた」という気持ちで帰ったのを強烈に憶えています」
帰国して仮想通貨やブロックチェーンについて調べていくと、エンタメ領域ではほとんど利用されていないことがわかった。これはチャンスだと議論を重ねていった結果、ゲームとの融合にたどり着く。
「仮想通貨やブロックチェーンのすごさは、ネット上のデジタルデータに「価値」をもたらすことと、「国境」を無くしてしまえること。仮想通貨なら世界中の人と銀行を介さずに直接お金のやりとりができる。つまり、マーケットを世界に広げることができるんです。これはエンタメを生業にしてきた者にとっては革命的。この2つの利点を活かせるエンタメは何かと考えた結果、ゲームが最適でした。ゲーム上のデータに価値をつけられ、それを世界で売買できる。言語の壁も突破しやすいので尚更いい。調べたらブロックチェーンを利用したゲームはまだ世界にわずかしか無かった。パートナーの吉田が元々ゲーム会社を経営していた経験もあり、これしかない、これで行こうと」
コンセプトはすぐに決まった。「ゲームで遊んでお金を稼げる世界を作る」。ゲームの中で使用する仮想通貨を自社で発行。ユーザーはプレイして獲得した仮想通貨を売却すれば稼げるという仕組みだ。これを実現するためには仮想通貨の取引所への上場が重要になる。早速動いてみると、思わぬ壁にぶち当たった。
「税制上の問題で、日本の法人が仮想通貨を上場することは極めて難しいことがわかりました。でも、背に腹は変えられない。後ろ髪を引かれる思いはありましたが、日本法人を諦め、吉田が移住する形でシンガポール法人で新たな会社を設立し、勝負することにしました。日本の取引所に上場することを目標のひとつにして。そして、資金調達をし、1年後の2019年夏には自社の仮想通貨・DEAPcoinを発行。並行してゲームの開発を進めました」
最初に開発したのが、『職業図鑑』という本を原作にしたゲーム『JobTribes』。様々な「職業の神」が描かれたカードの特性を上く操り、敵が保有するコインをゼロにすれば勝利となるカードバトルゲームだ。ゲームの質には強いこだわりをもって制作を進めたという。
「失礼な言い方ですが、当時はまだブロックチェーンで遊べる”ゲームとしてちゃんとおもしろいゲーム”がほとんど無かった。ゲームを遊ぶだけで稼げるというコンセプトだけではすぐに廃れると思ったので、しっかりファンのつくゲームにしようと考えました。そこで、制作陣に『金田一少年の事件簿』など数々のヒット作を世に出した樹林伸氏にストーリーを作っていただいたり、キャラクターデザインも日本の人気漫画家さんたちにお願いしました。15年のテレビマン生活でエンタメの基礎はできていたので、ゲームを作るときに活きたと思います」
そして2020年4月、当時世界4大仮想通貨取引所の一つと言われていたOKEx(現在はOKX)でDEAPcoinが上場、ゲームもリリースされた。それから1年9ヶ月後の2022年1月、日本の取引所でも上場を果たす。Play to Earnに使用する仮想通貨の国内上場は史上初。番組企画を通せずにもがいていた元テレビ局員が、日本で誰もやったことのないプロジェクトをゼロから立ち上げ、成就させたのだ。
リリースしてみるとPlay to Earnゲームのポテンシャルに、改めて驚かされたという。
「ゲームで遊ぶという仕事が東南アジアでは現実のものになった。貧しい地域で仕事がなかった人々がこのゲームで稼げるようになり、新しい農地を買ったりしているんです。そんなツイートを見るたびに、自分が作ったゲームが人生を変えることもあるんだと新鮮な気持ちになりました」
このような国際的なお金のやりとりは仮想通貨ならではと言えるだろう。
■誰もがクリエイティブに関われる時代と新しい経済圏を作る
上場を成し遂げた今、次はどんなビジョンを描いているのだろうか?
「DEAPcoinは上場がゴールではないし、ゲームが全てではありません。僕らが思い描いているのは、新しい経済圏を作ること。DEAPcoinを使う人が増えれば当然価値も上がるので、新しいサービスをどんどんリリースしていきます。次のプロジェクトとして立ち上げたのが『PlayMiningVERSE』。メタバース(バーチャル空間)上に人気のクリエイターやタレントの”国”を作って、それをユーザーと一緒に運営し、新しい作品やプロジェクトを共創しようというサービスです。ユーザーはデジタルの”土地”を買うことで国民となり、コミュニティの活動やクリエイティブの意思決定などにも積極的に関わることができます。となれば、国の中で新たな仕事が生まれるかもしれない。例えば、新作を紹介する動画を作ったり、コミュニティのマネージャーをしたり。国の中で流通している通貨はもちろんDEAPcoinです。自分の好きな有名人と一緒にコンテンツを作れるなんて、楽しいと思いませんか?」
山田さんがテレビ東京に入社した20年前、コンテンツはプロじゃないと作れないものであり、発表の場もほとんどなかった。しかし、YouTubeやSNSの出現で今やプロとアマの境界線は曖昧になり、誰でもコンテンツを発信できる時代になった。そして次は、誰もがクリエイターや有名人と一緒にコンテンツを作れる時代が来るかもしれない。特別な才能は必要ない。貢献できる分野で自分のスキルを活かせばいい。真の意味で「国民総クリエイター時代」が到来するのだろうか。その最前線に立つのが元テレビマンというのもおもしろい。
「僕にとっては『ドリームクリエイター』の延長戦であり、リベンジマッチでもあるんです」
コンテンツ業界は激動している。山田さんは時代の変化をうまく捉え、先頭を切って楽しんでいるように見える。テレビ局員として強烈な実績を残したわけではないかもしれないが、だからこそ柔軟に自分を変えられたのかもしれない。局で培った経験を違ったジャンルの仕事で花開かせようとしている。ブロックチェーンやゲームの業界も栄枯盛衰のサイクルは早いだろうが、新たなカルチャーを育てるために今日も奮闘している。
最後に、テレビ局員時代の自分に、今ならどんな言葉をかけるのか聞いてみた。
「今の仕事に、過去のすべての経験と人脈がつながっているのを感じるんですよね。だから、テレビ局員時代の自分にはこう言ってあげたいです(笑)『つらいけど、がんばれ!そのまま遠くを見て働け!』」