平安京さんぽシリーズ⑥ 新旧の多彩な魅力「三条通」を歩く(後編)
三条通の後半は、烏丸通から西へと向かい、室町通との交差点に出る。この付近は祇園祭の後祭の山が集中しているところで、北には役行者山、南には黒主山が建ち、西へ進むと衣棚通との間には昨年巡行に復帰して話題となった鷹山が建つ。鷹山は今年、7月10日の「お迎え提灯」でも祇園囃子で先導を務めた。さらに山鉾巡行のメインストリートといっていい新町通との交差点に来ると、南には八幡山が建つ。これらは後祭宵山期間(7/21~23)に見られるのでぜひ足を運んで欲しい。
次の通りである釜座通は三条通で突き当たっているが、ここには現在も茶釜を造る家で、千家十職のひとつ大西家があり、大西清右衛門美術館にてその作品を鑑賞することができる。
堀川通から再び商店街となる。こちらもアーケード付きの京都三条会商店街で、長さは約900メートル。京都でも有数の規模を誇っている。アテネオリンピックの女子マラソン金メダリストである野口みずきさんが、かつて雨天時に練習場所にしていたのは地元では有名な話だ。
また途中にある八坂神社御供社は、八坂神社の御旅所であり、祇園祭が66本の鉾を立てて商店街北側にある神泉苑に送った逸話から、この地に鎮座するようになった。そのため今でも7月24日の祇園祭還幸祭では、八坂神社の神輿が三基ともこの御旅所に立ち寄る。
商店街を抜けると千本通と交差する。この北側の三条通と二条通との間には、佛教大学や立命館大学の新しい校舎が立ち並び、このあたりが新しく開発されたエリアであることを実感できる。そして西大路通からは嵐電の線路が三条通に乗り入れてくる。京都唯一の路面電車区間となるので、しばらくは嵐電と並行して進んでいこう。
西大路通から右手には広大な島津製作所が見えてくる。すると道路中央に細長い駅が出現する。油断していると見落としてしまうくらいの小さな駅だ。名前が山ノ内駅。山ノ内という地名は、比叡山延暦寺の飛び地境内であったことからつけられたと伝えられている。
同地域には、比叡山の守護神でもあった大津市坂本の日吉大社の日吉山王大神を勧請した山王神社も鎮座している。
さらに西へ進むといよいよ平安京の西のはずれに差し掛かる。目安は天神川と天神川通だ。その手前に鎮座するのが猿田彦神社で、平安時代に最澄が座禅のために霊窟を求めて探して歩いていたところ、猿田彦神が現れてこの地を示したため、座禅石の傍らに猿田彦神を祀ったことに由来する。その後、嵯峨天皇が行幸の際には猿田彦が道案内をしたため、天皇によって社殿が造営された。
天神川を越えて洛外に出ると嵐電の新しい嵐電天神川駅が出てくる。地下鉄東西線が伸びて太秦天神川駅ができたことに合わせてできた新駅だ。よって次の蚕ノ社駅までは至近距離となっている。
さらに進むと通りの北側に、大きな広隆寺の仁王門が出現。広隆寺は国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像で知られる京都きっての古刹だ。
門前には映画の街太秦ならではの大映通り商店街も繋がっている。嵐電の嵐山本線と北野線の乗換駅となる帷子ノ辻駅を過ぎると、鎌倉初期に後嵯峨天皇が社前で牛車の轅(ながえ)が折れたことから命名された車折(くるまざき)神社が出てくる。境内にある芸能神社には多くの芸能人が赤い玉垣を寄進し、それらがずらりと並ぶことから観光客の人気を集めている。
こちらを過ぎると三条通は桂川へ合流。いよいよ嵐山へ到着で、渡月橋がゴールとなる。
京都の横の通りでは最も距離が長く、そして近代建築、商店街、嵐電、寺社、大学、大企業が次々と現れる最も変化の多い三条通、平安時代の貴族たちもこぞって通ったこの道を、ぜひ歩いてみて欲しい。