現在の円安は歴史的な転換点となる可能性
ドル円は15日のニューヨーク市場で154円45銭まで上昇し、1990年6月以来、約34年ぶりの高値を更新した。つまり1990年6月以来の円安水準となった。これはもしや歴史的な転換点となる可能性がある。
1971年8月15日に当時のニクソン米国大統領は、米国の国際収支の赤字を削減してドルの流出を防ぐ目的により、外国の通貨当局に対してドルと金との交換停止を通告した。いわゆるニクソン・ショックである。これによって、戦後続いてきたドルを基軸通貨とする固定相場制(ブレトンウッズ体制という)は終了し、1ドル360円の固定相場制から変動相場制に移行した。
ニクソン・ショックの同年12月に、ワシントンのスミソニアン博物館で開かれた10か国蔵相会議では、ニクソン大統領が発表した米国の新経済政策をうけて、通貨に関するいくつかの措置が合意された。これがスミソニアン合意である。ドルを切り下げ、為替の変動幅を従来の上下1%から暫定的に2.25%に拡大した。円レートは16.88%切り上げられて308円に変更された
アメリカやイギリスの国際収支は改善されず、イギリスをはじめ各国がスミソニアン体制を放棄したことにより、1973年に主要先進国は「変動相場制」に移行した。
1973年には第4次中東戦争の勃発による原油価格の急騰によるいわゆるオイル・ショックを受けて300円近辺までドル円は戻したものの、その後は再びドルが売られ、1978年末には180円近辺にドル円は下落した。
1985年9月ニューヨークのプラザホテルで秘密裏に開かれた、G5と呼ばれた国(日本、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ)の蔵相会議において、米国の貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」問題による対外不均衡を、先進各国は為替相場の調整で是正することとし、ドルを引き下げる方向で合意した。いわゆるプラザ合意である。
プラザ合意前の為替市場においては、1ドルは242円近辺であったが、プラザ合意後の11月末には202円近辺まで円高ドル安が進行した。
1986年末には160円へ。その後も円高ドル安が進む。プラザ合意後、ドル安はさらに進みドル円は1987年2月にはドル円は140円に到達した。1987年2月にパリのルーブル宮殿で先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)が開催され、今度はプラザ合意後の行き過ぎたドル安にストップをかけることが検討された。
しかし、ルーブル合意によるドル安の歯止めも効かず、1988年には当時の史上最安値となる120円を付けてきた。
日本では円高不況の対策として、日銀は低金利政策を推進しバブルが発生。1990年には160円近辺まで円安が進行していた。そこから再び円高ドル安が進み、1995年4月には一時79円70銭台の史上最安値を更新した。
つまり、1990年6月以来の円安ドル高というのは、長めのチャートをみると、1990年以降の円高局面から脱した格好となる。これがいったい何を示しているのか。一時的な円安ドル高ともいえなくなってきたように思う。