【御殿場市】命をなげうって戦った4名の義民を祀る『萩原神社』報徳謝恩の念でお参りしてきました
御殿場市民会館のすぐ南に鎮座する、『萩原神社』
明治18年村内にあった『大原浅間神社』、『小原子之神社』を合祀、大正4年に『神神宮』、『愛宕神社』を合祀、現在の社殿は萩原神社合祀100周年記念事業として平成5年に造営されました。
山の神、火の神である『木花開耶姫命(このはなさくやひめ)』
国造りの神、農業の神、商売の神である『大己高命(おおなむちのみこと)』
あらゆる神徳を持つ万能の神『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』
学問の神『菅原道真(すがわらのみちざね)』
農業の神『瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)』
火難除け、郷土守護の神『加具突知神(かぐつちのかみ)』
五穀豊穣の神『倉稲魂命(うかのみたまのみこと)』
山の神『大山積大神(おおやまづみのおおかみ)』
をご祭神とし、萩原区の文化財にもなっています。
鳥居前の手水舎の力強い龍は、今にも動き出しそうです。
そしてこちらの神社は、『天明の御厨一揆』を先導し、小田原藩より処罰を受けた4名の義民を『四相権現』として祀っています。
『天明の御厨一揆』とは…
天明地震(1782)と翌年の大飢饉による被害が甚大だった相模国小田原藩御厨領(御殿場市・小山町・裾野市)の28か村の農民約500名が、天明3年(1783)11月17日に蓑笠、鍬鎌を手に年貢減免を要求して箱根宿まで押し寄せましたが、箱根宿小田原町で説得され城下に入ることなく引き返すこととなった農民たちの反乱のことです。
この一揆で減免されたのはわずか1割。
翌年天明4年責任者の追及が始まり、野木久右衛門は首謀者として死刑、多くの方が責任者として処罰を課される結果となりました。
萩原神社では、萩原村出身の野木久右衛門(死刑)、野木常右衛門永牢(終身刑)、野木浅右衛門、野木又右衛門処払い(追放)の霊を慰め報恩のために神格をもって合祀しているのだそうです。
人々のために命をなげうって戦った義民を祀る『萩原神社』。
とても風の強い日でしたが神殿に手を合わせると、私が立っていた左側だけ風がふとやんだような感覚があり、今もなお私たちを守っていてくれている優しさを感じずにはいられませんでした。
まるで空高く登る龍のようなご神木。
ウロの中には新しく生を受けたような木が、守られながら同じように空へと伸びていました。
先人への謝恩の念を抱き、萩原神社境内を離れると、なぜかもう少し萩原地区のことが知りたくなり萩原公民館に向かって歩き出していました。
萩原神社:御殿場市萩原大原163