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良心ある記者は権力にこうして抹消される ジャーナリスト2人にノーベル平和賞

木村正人在英国際ジャーナリスト
ノーベル平和賞に選ばれたマリア・レッサさん(左)とドミトリー・ムラトフ氏(写真:ロイター/アフロ)

ジャーナリストの殺害相次ぐフィリピンとロシア

[ロンドン発]今年のノーベル平和賞にフィリピンの女性ジャーナリスト、マリア・レッサさんとロシアの独立系新聞ノーバヤ・ガゼータのドミトリー・ムラトフ氏の2人が選ばれました。ノルウェーのノーベル賞委員会は授賞理由について「民主主義と恒久平和の前提である表現の自由を守るため活動を行っている」ことを挙げました。

報復を恐れずにジャーナリストが報道する権利を守る非営利団体(NPO)「ジャーナリストを守る委員会(CPJ)」によると、1992~2021年にジャーナリストやメディアワーカーの計2103人が殺されました。動機が判明しているだけでも殺害されたジャーナリストはフィリピンで87人、ロシアで58人にのぼっています。

マリアさんとムラトフ氏は今も、ますます強権的になるフィリピンとロシアで表現の自由を守るため勇気ある闘いを続けています。「民主主義と報道の自由がますます不利な状況に直面している世界において、2人は理想のために立ち上がるジャーナリストの代表だ」とノーベル賞委員会は指摘しています。

ムラトフ氏は1993年、ノーバヤ・ガゼータ紙を創刊した1人で、95年から24年間にわたって編集長を務めました。同紙は創刊以来、汚職、警察の暴力、不法逮捕、選挙違反、フェイクニュースを撒き散らす「トロール工場」、ロシア国内外でのロシア軍の暗躍に至るまで、さまざまなテーマで体制を批判する記事を報道してきました。

ノーバヤ・ガゼータ紙の記者に対する嫌がらせ、脅迫、暴力、殺人は後を絶たず、チェチェン紛争やウラジーミル・プーチン露大統領を批判したアンナ・ポリトコフスカヤさんを含む6人のジャーナリストが殺害されています。殺害や脅迫にもかかわらず、ムラトフ氏は独立した編集方針を貫き、ジャーナリストが好きなことを好きなように書く権利を守ってきました。

フェイクニュースの拡散や世論操作に悪用されるSNS

フィリピンのマリアさんも権力の乱用や暴力、拡大する強権主義を告発してきました。米CNN放送のマニラ、ジャカルタの支局長、アジアの調査報道担当を経て、2012年に調査報道のためのデジタルメディア「ラップラー」を共同設立し、代表に就任。自国民に対する戦争の様相を呈するドゥテルテ政権の殺人的な麻薬撲滅キャンペーンを追及しています。

ソーシャルメディアはマリアさん攻撃のためフェイクニュースの拡散、嫌がらせ、世論操作に悪用されています。

マリアさんは、12年にラップラーに掲載した最高裁長官と実業家の癒着を問う記事が実業家の名誉を毀損したとしてサイバー犯罪法違反の罪で有罪判決を言い渡されました。実業家の告訴を受け、19年に国家捜査局がマリアさんを逮捕しました。しかしサイバー犯罪法が施行されたのは記事掲載の4カ月後で、過去にさかのぼって新法が適用されました。

18年に米誌タイムの「今年の人」に選ばれたマリアさんはロドリゴ・ドゥテルテ大統領に「詐欺師」とののしられ、目の敵にされてきました。世界中のジャーナリストの専門知識とスキルを高める国際ネットワーク「ジャーナリストのための国際センター(ICFJ)」がマリアさんへの数十万件のネット攻撃(16~21年)を分析しました。

ドゥテルテ大統領「ジャーナリストも暗殺から逃れられない」

16年6月、ドゥテルテ次期大統領が「ジャーナリストも暗殺から逃れることはできない」と宣言したのを皮切りに、17年5月には親ドゥテルテ派のブロガーが「マリア・レッサを逮捕せよ」というハッシュタグを使用したあと、ドゥテルテ大統領も「ラップラーはCIA(米中央情報局)から資金提供を受けている」と攻撃を始めます。

18年1月にはドゥテルテ政権はラップラーの免許を取り消します。同年3月には国税当局がマリアさんとラップラーを脱税で告発。19年2月にサイバー犯罪法違反容疑で逮捕されるなど、これまでに9回にわたって逮捕状が発布されています。ICFJの報告書は「当局はマリアさんに100年の懲役を科そうとしている」と指摘しています。

フェイスブックとツイッターを使ったマリアさんへの攻撃の約6割はジャーナリトとしての信用を損なうことを目的としており、「フェイクニュースの女王」や「嘘つき」というあたかもマリアさんが発信するニュースは「フェイク」と印象付ける罵詈雑言が頻繁に用いられていました。また攻撃の4割以上はマリアさん個人に向けられたものでした。

すべての虐待の14%、マリアさんへの個人攻撃の34%は女性蔑視的で性差別的な内容でした。マリアさんへの攻撃の一部は組織的に行われていました。虐待や脅迫の多くはドゥテルテ大統領がマリアさんとラップラーを悪者扱いする発言をしたことが引き金になっていました。

フェイスブックが、オンライン暴力の主な媒体となっていました。フェイスブックとツイッターはマリアさんの攻撃に対処することを約束しましたが、フェイスブックはヘイトを効果的に止めることができませんでした。フェイスブックページのコメント欄はマリアさん支持1件につき約14件の誹謗中傷で埋められました。

ネット攻撃が弾圧の環境をつくる

「これらの攻撃がフィリピンでのマリアさんの迫害と起訴を可能にする環境を作り出している。現在、マリアさんは命の危険にさらされており、ネット上の暴力はバーチャルにとどまらないことを証明している。攻撃の激しさと獰猛(どうもう)さはジャーナリズム自体の信用を落とし、事実に対する国民の信頼を打ち砕くために設計されている」(ICFJの報告書)

「フェイスブックには1時間に90件以上の嫌悪メッセージが書き込まれた。マリアさんはまさに21世紀の嵐のど真ん中で生きている。信頼できるジャーナリストがネット上の偽情報と攻撃にさらされ、事実が朽ち果て民主主義が揺らいでいる」(同)

「マリアさんは女性ジャーナリストに対するネット上の暴力という世界的な惨劇を象徴するケーススタディだ。この暴力は偽情報、女性蔑視、報道の自由の侵害、現代のポピュリスト政治が交錯する場所で展開されている」(同)

「政府が何をしようとしているのかを知りたければソーシャルメディアを見るだけでよかった。私を逮捕してラップラーを停止させようとする攻撃は17年にメタ・ナラティブ(SNSのデータ分析から浮き彫りになる世論操作の方向性)として明らかになっていた」とマリアさんは言います。

良心あるジャーナリストやメディアの信用性を損なうネット攻撃を止める唯一の方法はフェイスブックやツイッターのようなプラットフォームが責任を持って有害コンテンツを削除することです。このような攻撃を放置したままでは自由と民主主義は守れません。

ジャーナリストがノーベル平和賞に選ばれたということは、そこまで自由と民主主義が脅かされているということです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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