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【石橋凌ライブルポ】戦後70年と震災を結ぶ、仙台ライブでの叫び

ふくりゅう音楽コンシェルジュ
石巻市立大川小学校

2011年の12月に発売された、石橋凌の1stソロアルバム『表現者』に収録されたナンバー「我がプレッジ」は、東日本大震災の前に作られたナンバーだ。もともとは石橋が自分自身と、そして同世代を鼓舞するために生み出された応援歌だったが、震災後にこそ広いリスナーへと響く、優しくも前向きな楽曲としてファンの間で口ずさまれている名曲だ。

<試聴「我がプレッジ」>https://itun.es/i6LF9L9

震災後の春、アルバム『表現者』発表後に、石橋凌オフィシャル・ホームページに『半沢君への手紙』というタイトルで一文がアップされたことが今も忘れられない。それは、仙台市で『JOHNNYSPADE』というロックテイストなブランド・ショップを経営している半沢氏へ向けて石橋凌がしたためたテキストだった。物理的に、ファン全員をそれぞれ励ますことは難しいが、石橋による独白のような語り口調は、多くの人を力づけるエネルギー、そして大きな優しさが伝わってきた。

<参考ブログ>http://josp.jugem.jp/?eid=387

アルバム『表現者』では、ARB時代の人気ナンバー「AFTER’45」をセルフカバーしている。戦後社会の心の復興をメッセージに描いた楽曲だったが、震災後にあらためてレコーディングし直している。今年の1月末に発売されたミニアルバム『Neo Retro Music』には海外に向けたメッセージとして、英語ヴァージョンが収録されていた。ソロデビュー後の石橋が、最も大切にしているナンバーだ。

<試聴『Neo Retro Music』>https://itun.es/i6LF8JR

今年は戦後70年。戦争の悲惨な経験を直接伝え聞く機会は減ってきている。「AFTER'45」は、人との繋がりの大切さを訴えるナンバーだ。現在進行形である戦後を、いっしょに手を取り前を向いて歩いていく歌。戦後を戦前に戻さない為の決意表明。それが「AFTER’45」だ。

2015年3月28日(土)、石橋は蔦屋書店 仙台泉店でインストアライブを行った。遠方ではあったが、3月20日(金)に東京Zepp DiverCityで開催された3時間に渡って繰り広げられたワンマンライブ『Neo Retro Music 2015』に感銘を受けたこともあり、仙台で目撃することを決めたのだ。

宮城県へは前日入りした。石巻市立大川小学校や、閖上の復興商店街等を訪れたかったからだ。

東日本大震災に伴い津波が、河口から約5kmの距離にある同校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が亡くなった。学校の裏山へ逃げれば助かったかもしれないという。しかし、山は急で、低学年の子や、登れないであろう老人も現地にいたことから、裏山を登るという判断を教員は下さなかった。結果、被害は最悪な状況となった。犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し損害賠償を求め訴訟を起こしたことが、全国的なニュースとなった。

訪れた学校は、津波によって崩された、美しいであったであろう面影を残すコンクリートの校舎の跡が痛々しかった。学校の廻りには何も残されていなかった。そして実際に見る裏山は急だった。究極の決断……。やり場のい思い……。忘れられない光景、忘れてはいけない光景だと思った。

宿泊地へ向かう途中の車から見えたのは、まだ当分完成しないであろう建設途中のマンション、手が入れられていない荒れた畑、子供たちがサッカーをして遊んでいた仮設住宅の数々。震災から4年。埼玉で暮らしている自分ではわからなかった、まだ何も変わっていない現状がそこにあった。頭を使って想像すべきだと思った。もし、自分だったらどう思うだろう。自分だったらどうして欲しいだろう。生きるとは? そんなことを痛切に思い知らされた一日だった。

翌日、蔦屋書店 仙台泉店に石橋凌が、ザ・グルーヴァーズのギタリスト、藤井一彦とともにあらわれた。石橋は、2012年の夏に、震災で被害がありながらも、あまりマスコミが訪れることのなかったという宮城県亘理郡山元町に歌いに訪れている。そんな縁もあり、会場から離れた山元町からも石橋のファンやボランティアの方が訪れていた。

<参考ブログ>http://josp.jugem.jp/?eid=537

先日NHKで特集されていた、福島県南相馬市にある『モリタミュージック』というCDショップの店長の森田氏、前出の『JOHNNYSPADE』のディレクター半沢氏も会場に訪れていた。

東京から出向いたファンの顔も見えながら、250名以上集まったインストアライブ会場では、普通だったら出会わなかった人々が、石橋が奏でる音楽でつながり、短い時間ではあったが同じ空間を共にしたのだ。

ライブは「乾いた花」、「HEAVY DAYS」、「形見のフォト」、「ヨロコビノウタを!」、「ダディーズ・ジューズ」、「Route 66」など、ARB時代のナンバーから、カバー曲、新曲まで惜しげもなく全力で歌われた。

藤井のギターは、リズムとメロディーを同時に奏でるかのような、これまで聴いたことのないようなアグレッシヴなアコースティック・ギター・サウンドで会場を扇情した。ラストナンバー「AFTER’45」の前には、当日は参加出来なかった石橋凌バンドのメンバー名を一人一人紹介し、仙台のオーディエンスへ、フルバンドでのまたの再会を誓った。

石橋凌のMCはこうだ。

どうもありがとう! 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。最後の曲です。

最後の曲は『AFTER’45』と申しまして、1985年に作った曲です。この歌が出来て30年が過ぎました。今年は戦後70年です。日本は1945年に戦後を迎えて、復旧、復興を頑張って高度経済成長、オリンピック、バブルまできました。

モノが溢れかえる世の中になりました。世界からは経済大国とか先進国とか言われましたが、それとは逆行して、人にとって大事な心をどこかに日本人は置き忘れてしまったんじゃないかなと、この歌を作りました。

そして、今回はじめて英語ヴァージョンでレコーディングして、YouTubeにリリックビデオをアップして英語圏へ向けても配信しています。モノは豊かになりましたが一番大事なモノ、心を取り戻さなければならないと思うんです。

自分も含めてですが、何か喪失感というか、ガランドウというか、バラバラのような気がします。今年、戦後70年。……ここ最近、きな臭い風が強くなっています。何かもう一回戦争をやりたがっているような、匂いさえします。

絶対ダメです。絶対戦争はダメです。

そんな想いを込めてこれからもこの歌を歌っていきたいと思います。仙台にはライブで戻ってきたいと思います。出来ればフルメンバーで戻ってきたいと思います。今日はどうもありがとう! これからも心豊かなモノを発信していきます。最後『AFTER’45』!」。

英語ヴァージョンで始まった「AFTER’45」は、途中日本語ヴァージョンへと切り替わった。その瞬間に会場の空気感が溶け合えるかのように変わったように思えた。そして歌われる、2011年以降に歌詞が改変された「試される2015 瓦礫を乗り越え 手を伸ばしてみる夜明けに」の力強い一節が心に響く。かけ声とともに“気”を投げかけるように送る石橋の姿。せつなく響き渡る、力強い藤井のギターが解き放つパワー。会場は割れんばかりの拍手に包まれていく。

「復旧、復興大変だと思いますが、お互い前向きに進んでいきたいと思います。どうもありがとう!」というMCでラストは締めくくられた。石橋が歌う魂の叫び。音楽に出来ることは限られているかもしれないが、音楽にしか出来ないことを力強く感じられたライブだった。そして、会場にはBGMとして新曲の人間賛歌「ヨロコビノウタを!」が鳴り響いていく。

<石橋凌 WEBリンク>

石橋凌 オフィシャルサイト

http://avex.jp/ishibashiryo/

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石橋凌 Twitter

https://twitter.com/ryostaff

音楽コンシェルジュ

happy dragon.LLC 代表 / Yahoo!ニュース、Spotify、fm yokohama、J-WAVE、ビルボードジャパン、ROCKIN’ON JAPANなどで、書いたり喋ったり考えたり。……WEBサービスのスタートアップ、アーティストのプロデュースやプランニングなども。著書『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』(ダイヤモンド社)布袋寅泰、DREAMS COME TRUE、TM NETWORKのツアーパンフ執筆。SMAP公式タブロイド風新聞、『別冊カドカワ 布袋寅泰』、『小室哲哉ぴあ TM編&TK編、globe編』、『氷室京介ぴあ』、『ケツメイシぴあ』など

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