女性用の宇宙服がない? 史上初の女性ペア船外活動を中止してもNASAが守らなければならなかったもの
2019年3月26日、NASAはアン・マクレイン宇宙飛行士、クリスティーナ・コック宇宙飛行士による史上初の女性ペアによる船外活動(EVA)の予定を変更すると発表した。3月29日に実施されるEVAは、クリスティーナ・コック宇宙飛行士、ニック・ヘイグ宇宙飛行士の男女ペアで行われることになった。
「史上初、女性のみの船外活動」と期待されていただけに、この変更は失望を与えた。変更理由としてミディアムサイズの宇宙服が1着しかないため、と報じられたこともあり、「NASAは女性クルーによるEVAを計画していたのに、宇宙服のサイズもわかっていなかったのか?」との不名誉な印象を与えることにもなった。
歴史を振り返ると、NASAは確かに女性の宇宙飛行士に対して偏見の表れといえる態度をとった事実がある。ソ連のワレンチナ・V・テレシコワ宇宙飛行士に遅れること20年、アメリカ初の女性宇宙飛行士としてスペースシャトルSTS-7/チャレンジャー号に搭乗したサリー・ライド宇宙飛行士に対しあるエンジニアが「1週間のミッションで、用意するタンポンの数は100個で適当ですか?」と尋ね、「適当ではありません」と叱られた。タンポンの交換頻度という添付の文書に書いてある程度のことも読まずに、女性宇宙飛行士のミッションを設計しようとしたといわれても仕方ないエピソードだ。
それからさらに36年、NASAはまだ女性の宇宙服のサイズすらわかっていないのだろうか。現在活動中のNASAの宇宙飛行士は、34パーセントが女性だ。1984年から女性宇宙飛行士によるEVAが行われており、2005年には女性のスペースシャトルコマンダーにアイリーン・コリンズ宇宙飛行士が、2008年には国際宇宙ステーション(ISS)コマンダーにペギー・ウィットソン宇宙飛行士が就任している。それでもその程度のことがわかっていないとすれば、NASAはずいぶん非効率な組織ということになる。
今回のEVA計画変更に際して、NASAのコメントをよく読むと、「女性のことがわかっていない」不名誉を背負ってでもNASAが守らなければならなかったものが見えてくる。宇宙飛行士の安全だ。
NASAの発表文には「前回のEVAでマクレイン宇宙飛行士には、ミディアムサイズのハード・アッパー・トルソのほうがフィットすることが判明した」とある。ハード・アッパー・トルソとは、船外活動用の宇宙服「EMU」を構成する上半身用の部品だ。鎧のような形状で、グラスファイバーでできている。首、両腕、胴を通さなければならないため着脱が難しく、訓練と他のクルーによる介助を必要とする。
2017年にNASAが発表した報告書によると、スペースシャトル時代に設計されたEMUは、ハード・アッパー・トルソのサイズとしてミディアム、ラージ、エクストララージの3種類しか用意されていなかった。だが、宇宙飛行士の体型の多様性が増すにつれて、よりきめ細かなフィッティングが必要になってきた。さらにISS時代になって、スペースシャトル時代に比べて宇宙飛行士の家であるISSの保守のためにEVAの機会が増えている。40年前の設計のサイズ展開では間に合わなくなってきているのだ。
たとえば、EMUの温度を調整するダイヤルは胴体の前側に取り付けられている。宇宙飛行士が大きめのトルソを着用すると、前側が見にくくダイヤルを操作しにくい問題が生じるという。そのため、タイトフィット気味のトルソを好む宇宙飛行士もいる。一方で、あまりタイトにしてしまうと着脱の際に無理がかかって肩を損傷する危険も指摘されており、フィッティングには慎重な判断を要する。
アン・マクレイン宇宙飛行士は、ミディアムとラージサイズ、両方のトルソで訓練を受け、当初はラージサイズを着用することが想定されていた。クリスティーナ・コック宇宙飛行士がミディアムを着用し、これでペアが成立する予定だった。ところが3月22日に行われた前回のEVAで、マクレイン宇宙飛行士にはミディアムサイズのほうが適しているとわかった。
NASAの有人宇宙飛行の広報官が明らかにしたところでは、そもそもISSにMサイズのトルソの予備はある。だが使用の前には調整が必要で、そこに時間をかけるよりは、準備のできているトルソを使って宇宙飛行士が交代するほうがよいと判断されたという。
今回、EVAで行う作業は2018年に日本のISS補給機「こうのとり(HTV)」7号機が運んだバッテリーだ。当初は2018年に予定されていたバッテリーの交換作業だが、ソユーズ宇宙船の打ち上げ失敗のため、作業が延期されていた。新しいバッテリーでISSという「家」を守るため、宇宙飛行士が体に合った宇宙服を着用し、安全に作業することの方が大切。NASAが史上初の女性EVAという記録に残るイベントの機会を見送ったのは、こうした背景があっての判断だった。