【東名高速・飲酒炎上事故】2女児死亡から23年 危険運転撲滅に奔走した両親の足跡と願い
11月28日午後3時30分―――。
1999年のこの日、この時刻に、1歳と3歳の幼い姉妹の大切な命が、飲酒運転のトラックによって失われました。
『東名高速飲酒運転事故』。旅行帰りの家族4人が乗っていた乗用車が東名高速道路の用賀インター手前で追突され、大きな炎に包まれて炎上。運転席の窓からかろうじて脱出した身重の母親が、燃えさかる後部座席を指さし、「子供がいるのー!」と叫ぶ姿は、偶然、対向車線を通りかかったテレビクルーのカメラに収められました。
その映像は、ニュースや特集番組でこれまでに繰り返し放映され、鮮明に記憶されている方も多いことでしょう。
あの痛ましい事故から今日で23年になります。
昨日(11月27日)は、この事故で亡くなった井上奏子(かなこ)ちゃん(当時3歳)と周子(ちかこ)ちゃん(同1歳)を『偲ぶ会』が、3年ぶりに開催されました。
千葉県幕張本郷の会場には、井上さん一家と交流のある知人や犯罪被害者遺族、メディア関係者などが集まり、私もその一人として参加させていただきました。会場のスクリーンには、かなちゃんとちかちゃんのスライドショーが映し出され、二人にちなんだクイズなど、在りし日の元気な姉妹の様子が生き生きと伝わるプログラムが用意されていました。
さわやかな秋晴れの空の下、恒例の「風船飛ばし」も行われました。
当時のかなちゃん、ちかちゃんをよく知る保育園の先生は、懐かしそうに微笑みながら、けれどとても辛そうに、私にこう話してくださいました。
「ニュースで事故を知ったときの衝撃は今も忘れられません。23年前もとてもいいお天気でした。こうしてここにいると、一瞬にしてあの日に戻るんです……」
■飲酒運転が常習化していたトラック運転手
井上さんの車にノーブレーキで追突した加害者は、トラック運転手というプロドライバーでありながら、飲酒運転の常習者でした。
事故当日も、昼食休憩で立ち寄った海老名サービスエリアで缶入り焼酎(250ml)を飲み、さらにフェリー内で飲み残していたというウィスキー(約280ml)を飲み干し、1時間の仮眠をとった直後に運転を再開したのです。
当然、酔いはさめておらず、その後、約30分もの間、3車線をまたぎながら大きく蛇行運転を繰り返していました。
このとき、11人ものドライバーから「危険な車がいる!」という通報がなされていたといいます。
それでも暴走は続きました。異常を察知した料金所の職員から「ふらついているので休んだ方がいい」と忠告を受けたものの、運転手は「風邪をひいているが、薬を飲んだから大丈夫」と答え、そのまま発進。結果的にその地点から約5キロ先で、取り返しのつかない事故を起こしたのです。
事故当時、3番目の子供を妊娠中だった井上郁美さんは、追突された車の運転席から自力でなんとか脱出し、助手席の夫の保孝さんは、全身に大やけどを負いながらもかろうじて救出されました。
しかし、後部座席のチャイルドシートに乗っていた奏子ちゃんと周子ちゃんは、猛火の中、救出することができないまま亡くなったのです。
まさに、酩酊運転の末、起こるべくして起こった悪質な事故でした。
■飲酒運転を「事故」と呼んでいいのか…。両親の闘い
ルールを守るべき大人がそれを無視し、規則を守ってチャイルドシートをきちんと着用していた幼い子どもたちが犠牲になる……。
あの日、事故のニュースを見て言いようのない怒りがこみ上げてきたことを鮮明に覚えています。
しかし、当時の法律は、たとえこのような酩酊運転であっても「交通事故」という犯罪に対して寛容でした。
事故の翌年、加害者に言い渡された刑は 4年の実刑でした。判決文には、「3歳と1歳という幼さで突然の炎に命を奪われた苦痛の大きさは計り知れない。この種の事件としてはことのほか悪質で刑事責任は重大」と明記されながらも、5年の求刑から1年減刑されたのです。
その後、検察が控訴したものの、東京高裁は棄却し、懲役4年という実刑判決が確定しました。
判決に納得できなかった井上さん夫妻は、同じ悔しさを抱く飲酒事故の遺族たちと共に刑法改正に向けて活動を開始します。
「酒酔い運転による事故は、出会い頭やわき見運転などのいわゆる過失による偶然の事故とは明らかに違う。運転手は、自分の意志で『酒を飲む』という行為をし、なおかつ『車を運転する』という2つの選択をしている」
そのことが許せなかったからです。
この活動は世論の大きな後押しを受け、国会を動かしました。そして、2001年6月には道路交通法改正法案が、同年11月には刑法改正法案が国会を通過。そしてついに「危険運転致死傷罪」が刑法に新設されたのです。
これによって、悪質・危険な運転行為は「過失」ではなく、「故意犯」であることが法律的に認められ、人に傷害を負わせた場合は10年以下の懲役、人を死亡させた場合は1年以上15年以下の懲役という、これまでの業務上過失致死傷罪(最高で懲役5年)の3倍の刑を科すことができるようになりました。
この法律が成立したのは、2001年11月28日のことです。
この日は奇しくも、奏子ちゃんと周子ちゃんの二度目の命日でした。
■今も危険運転の被害者を支援し続ける日々
可愛い盛りの2人の我が子を目の前で失うという過酷な体験をされた井上さん夫妻は、今も危険運転によって発生した数多くの交通事故の被害者遺族を支援する活動を続けておられます。
しかし、それでも悲惨な飲酒運転による事故は起こり続けています。
2021年には、千葉県八街市で飲酒運転のトラックが下校途中の小学生の列に突っ込み、小学生が死傷するという痛ましい事故が発生しました。加害者は運転中に酒を飲み、居眠りの状態でした。心を痛めた井上さん夫妻は現場へ駆けつけ、この事故の刑事裁判を傍聴し、支援してきました。
また、現在注目を集めている、大分県で起こった「一般道で時速194キロ死亡事故」についても、井上さん夫妻は大分市の現場に足を運び、署名活動に協力するなど、遺族への協力を行っています。
『偲ぶ会』の締めくくりに、井上保孝さんはこう語りました。
「危険運転致死傷罪が成立してから、飲酒運転についてはかなり抑止につながってきていると思います。しかし、それ以外については、危険運転が適用されない事案が多く見られます。例えば今、一般道で時速194キロ出して死亡事故を起こした大分の件が話題になっており、私たちもこの事故のご遺族を支援しています。こんな危険運転はないだろうと思うのですが、これほどの速度を出しているにもかかわらず、危険運転で起訴されていません。さらに、危険運転が抑止力につながるよう頑張っていきたいと思います。今日は年に一度、奏子、周子のことを思い切り語る機会を与えていただき、ありがとうございました」
あの事故がなければ、奏子ちゃんは今年26歳、周子ちゃんは24歳の素敵な女性に成長していたはずです。
一人のドライバーによる法を無視した運転によって引き起こされた一瞬の事故……。理不尽な被害を受けた遺族やその関係者が心に受けた深い傷は、どれほど長い時間を経ても決して癒されることはないのだということを、改めて感じた一日でした。