子どもがこぼれにくく学力も高い そんな学校と地域をつくるには 三鷹市のコミュニティスクール
突っ伏している子は、なぜ突っ伏しているのか
東京・三鷹市の教育長、高部明夫さんは、ある中学校で授業中に突っ伏している子を見た。数学の授業だった。
「寝ているわけじゃないんですね。先生がかまうと、手で払いましたから。
要はついていけなくなってる。
そのままでは教室にいるのが苦痛になり、ついには不登校になってしまうかもしれない、と思いました。
でも、学年単位での補習をやってもダメでしょう。
つまずきはもっと前、もしかしたら小学校の算数にあったかもしれないからです」
学習系統図をつくる
そこで高部さんは、教員で検討チームを立ち上げ、小中学校を貫く学習系統図(「単元系統配列一覧表」)を作成した。
どの学習が、次にどこにつながっていくかがわかる系統図。
三鷹市のオリジナルだった。
先生たちは、学力でつまずいた子どもが出たとき、どこにさかのぼればいいか、それを見ればわかる。
「ふりかえり学習」「あと戻り学習」の先鞭をつけるような試みだった。
高部さんが、そのような取り組みに意欲的になったのは、三鷹市が小中一貫教育校への移行を検討していたから。
2006年度から始まり、09年度に市内の全学校が小中一貫教育校に移行した。
三鷹市の「コミュニティスクール」の試みも、同時にスタートした。
高い学力と低い不登校率をもたらすもの
それから10年。
三鷹市は現在、全国や東京都平均よりも高い学力と、低い不登校率を実現している。
高い学力も、低い不登校率も、それ自体が「目的」なのではない。
それ自体を目的にしてしまうと、学校が嫌いな子どもを無理やり学校に来させるようなこととなり、子どもの成長がゆがむ。
子どもたちの成長を支えた「結果」として、そのような状況を実現することが重要だ。
その点、高部教育長の目線はゆるぎない。
学習系統図の作成のような学校での取り組みがベースにありつつ、子どもたちが、就学前も卒業後もつながれるような地域がある。
衣食住の確保や生活習慣の獲得が下支えとなり、それに学校・地域とのコミュニケーションが加わって初めて、子どもたちの学力は伸びていく。
やっぱり生身の人間ですからね
生身の人間としての子ども、生活者としての子どもを、その生活環境から抜き出して、生活環境を無視して、情報だけをいくら詰め込んでも、結果的に学力は上がらない。
生活者としての子どもの生育環境をトータルに整えるための学校と地域の連携がコミュニティスクールだ、と高部教育長は示す。
コミュニティスクールとは何か。
地域住民が校庭の芝刈りなどを手伝ってくれればコミュニティスクール、ではない。
文科省は、コミュニティスクール(学校運営協議会制度)を次のように定義している。
「支援」と「協議」の両立が大事
高部教育長は「大事なのは『支援』と『協議』の両立」と言う。
地域住民に学校の行事や整備をお手伝いいただく「支援」だけではない。
また、テーブルを囲んで、それぞれが言いたいことを言い合う「協議」だけでもない。
学校運営に口も出してもらいつつ、実際にいろいろとお手伝いもしてもらう。
「手も口も動かしてもらう」ということだろう。
仕組みはこうだ。
小中学校でつくる学園の長や有識者らでつくる「コミュニティスクール委員会」がある。
三鷹中央学園では、その実行組織として「みたかスクールコミュニティ・サポートネット(以下サポートネット)」があり、コミュニティスクール委員会と連携・協働する。
コミュニティスクール委員会とともに、サポートネットが、住民が学校運営に参加する際の窓口となり、学園単位で学校と地域の接点をコーディネートする。
外部からの介入を避けるのが学校のDNA?
しかし、手も動かすが口も出すとなれば、学校にとっては「攪乱(かくらん)要因」が増えることにならないか。
学校は「学級王国」の集積地。
それぞれのクラスを受け持つ担任の先生がいて「うちのクラス」を作る。
学級運営に関しては、外部から口を差しはさみにくい雰囲気が(とりわけベテランの先生に対しては)強く、その集合体が「学校」。
良くも悪くも、外部からの介入を避けたがるのが「学校という場所」ではないのか。
たしかにそういう傾向はある、と三鷹中央学園長の佐伯孝司さんは認める。
佐伯さんも、教員として、都内のさまざまな学校で教えてきた。
「コミュニティスクール」や「学校と地域の連携」は、近年ひんぱんに言われているが、うまくいってない事例もたくさん見てきた。
同じ方向をむけない……
それは結局、学校と地域の「やりたいこと」がかみ合っていないからだと、佐伯さんは指摘する。
「地域の方がせっかく来てくれても、具体的にやることがなかったり、こんなはずじゃなかったという期待外れな思いをしたり。
逆に、地域の方の思いで走ってしまって、学校がやりたい事業に正面から取り組めなくなったり……。
どちらも『同じ方向をむいている』という感覚が持てずにいることは、結構多いです」
「同じ方向をむく」ための3要素
その佐伯さんが、今いる三鷹中央学園では、学校と地域が「同じ方向をむいている」という感覚を持てている、という。
なぜなのか。
豊富なメニュー、スキルアップ、コーディネートという3つの要素が機能して、相互にかみ合っていることが重要だ、と佐伯学園長は指摘する。
〇豊富なメニュー
地域の人が学校に関わるといっても、程度感、レベル感はまちまちだ。
その場にいてくれればいいというときもあれば、課題のある子どもに関わる難しい役割もある。
子どもと直接関わるボランティアもあれば、芝刈りや花壇の手入れのような環境整備のボランティアもある。
まだ慣れない人に難しい役割を押し付けても引いてしまうし、その逆もある。
関わりの濃淡に応じた多様なメニューがあること、まずはそれが重要だ。
実際、三鷹中央学園には、地域の人を招いての職業体験・伝統文化体験や、地域の人も参加する放課後バレーボールクラブなどの比較的一般的なものから、
地域の人たちが担当する防災の授業、
授業に参加して子どもたちの学習のつまずきを支援する学習ボランティア、
学校と地域が目標を共有して目線を合わせる「学校・地域100人熟議」など、
実に多彩な参加メニューが用意されている。
〇スキルアップ
そして地域の人たちが、個々の実情に合わせてメニュー間を昇ったり降りたりできる柔軟性がある。
子どもが小学校にあがったばかりの保護者は、学校の文化にもなじみがない。いきなり難しい役割は頼めないが、できることを頼んで、実際にできたという体験があって、徐々にステップアップしていってもらえる。
逆に、新たに子どもが産まれたり、親の介護が始まったり、家庭の事情に変化が生じたときには、関与の度合いを下げることもできる。
地域の人たちそれぞれの個別事情に配慮しつつ、それでも参加感と達成感は維持される。
〇コーディネート
それら全体をコーディネートするのがサポートネットだ。
コミュニティスクール委員会の執行部隊として、学校と地域の間に立ち、両者が同じ方向をむくように調整する。
やる気のあるボランティアに対して、徐々に大きな役割を任していく一方で、
課題のあるボランティア希望者や親については、その人たちがどのような役割を担いたがっているかを知り、そこに対応できるメンバーを同じ場所に配置する工夫をしたりしながら、全体を調整している。
この3要素がかみ合って、結果として「地域の人たちが全員、何かに『はまる』ようなシステムができている」と佐伯学園長は評価する。
実際、学校に関わってくれるボランティアの参加人数は毎年伸び続け、2016年度は延べ2万人を突破した。
学校と地域の調整役
要となるのが、サポートネットだ。
「サポートネットの役割が大きい」と、佐伯学園長の評価も高い。
多様なメニューに参加する多様な地域住民を学校が直接受け止めるのは、先生たちの負担が大きすぎる。
他方、地域の人たちの中には、適切なガイドがなければ、学校という仕組みの中で道に迷ってしまうこともある。
地域の人たちに対して「参加の窓口」の役割を果たしながら、学校にとってはフィルタリングとコーディネートの役割も果たしている。
現在、そのサポートネットを仕切るのが代表の師橋(もろはし)千晴さんだ。
今22歳になる息子が小学校にあがったときから、学校に関わり続けている。
読み聞かせボランティアからコーディネーターへ
師橋さん自身の最初の関りは、読み聞かせだった。
読み聞かせから始まって、子どもの卒業後も学校に関わり続けた。
今ではサポートネット代表を務めつつ、本体のコミュニティスクール委員会のコーディネーターも務め、学校と地域全体を見渡す立場にある。
豊富なメニューがあることの大切さ、スキルアップしていける楽しさや充実感、そしてそれらをコーディネートすることの重要性を、師橋さん自身が、自らの体験として持っている。
「三鷹中央学園ができてから、かつての三小、七小、四中でやってきたことが、3倍にスケールアップすればいいねという発想で関わってきました。
どういうことが学校にとっていいんだろう、子どもにとっていいんだろう、自分たちに何ができるんだろう、学校はこうしたい、自分たちはこれができる、じゃあどうしたらいいか、こういうことが実現できたら最高だよね、と話しながら走ってきました。
いいと思えばすぐに実行して、やってみて反省して、そして学校や地域と熟議する。
よりよくするために、たくさん話し合いをして、これはないほうがいいねというメニューはどんどん落としていって、今の形に至ります」
三鷹市が小中一貫教育校体制になってコミュニティスクールが発足したとき、かつての青少対(青少年対策地区委員会)などが「自分たちの役割は終わった」と温度の下がったときがあった。
そのとき、師橋さんは自ら青少対の役員となり、青少対にも依然として変わらぬ役割のあることを説いて回った。
「3年かかりましたけど、理解していただけました」と師橋さんは笑う。そういう人だ。
同じ方向をむく、ということ
私が感心したのは、こうした学校と地域の関わりが、子どもがこぼれにくく、かつ学力も高い学校と地域づくりにどう影響しているのかと聞いたときの、3人の答えだった。
高部教育長が「生身の人間としての子ども」に言及したことはすでに述べたが、この人たちは、見事に同じものを見て、意義を共有している。
佐伯学園長
国語や算数がわからない、クラスに参加できないというときでも、バレーボールや地域での学習など、いろんな場所で自分が活躍できる切り口が子どもたちにはあります。
自分にとって興味のある学習をすることが、教科学習にも返ってきます。
保護者や地域の人たちがどんどん学校に関わってきてくれることで、家庭や地域での学習全般に対する関心が高まり、それが子どもたちにも影響する。
それが学力につながっていくという面もあるのかな、と思いますね。
授業に課題のある子どもたちには、学習ボランティアが入ってくれる。
先生一人だとしんどくなることもありますが、ボランティアがそばで対応してくれる。
そうすれば下位層がぐっと減ります。全体の平均値は上がりますよね。
師橋さん
学習ボランティアについては、クラス全員に対して先生一人よりも、寄り添ってくれる人がいるのが大きいと感じています。
そういう子は手が上がりません。クラス全体の中では、どうしても埋没しがち。
その仕草を察知できるのが大事です。先生一人では無理だと思います。
私たちはすべてのことは教えられません。でも、気づいてもらえた、認めてもらえる、知ってもらえた、というところから、子どもは変わっていくように感じています。
「同じ方向をむく」とは、こういうことを言うのだろう。
三鷹市だから?
しかし、聞きながら、私は少々困ってもいた。
子どもたちにメリットのあるよい仕組みと機能なのだが、これを「三鷹市だから、できた」「師橋さんみたいな人がいたから、できた」で終わらせないためには、どうしたらいいだろうか、と。
そこで、再び高部教育長に水を向けた。
教育長、どうして三鷹市は、今の三鷹市になったんですか。
教育長からは意外な言葉が返ってきた。
恵まれなかったからですかね。
市民の力を生かして
高度経済成長期、東京にある三鷹市にはたくさんの人たちが流入してきた。
多いときは、人口の2割が毎年入れ替わった。
そうした中、いかにコミュニティを作っていくかが大きな課題だった。
近隣自治体は、豊かな財政力と高い知名度を生かして、著名な学者を呼び、立派なまちづくり計画をつくっていった。
三鷹市には、そこまでの力はない。
しかし隣接している以上、市民サービスのレベルが見劣りすることは許されない。
どうするか。
三鷹市は、三鷹市民の力を発揮してもらうことにした。
最初は、大沢という地区のコミュニティセンターの管理運営を住民に委ねた。
徐々に、それを市全域に広げた。
市の基本計画づくりでも市民に委ねる領域を増やした。
市役所が検討材料を提供しつつも、基本計画のたたき台までは、市民の方たちに作ってもらうようにした。
DIYのまちづくり
こうした取組は、現在の清原慶子市長になってからさらに「民学産公」の連携・協働へと進み、現在では、市のすべての委員会に2名の市民公募枠を設けている。
無作為抽出で市民に依頼を出し、受けてくれた人が委員となる「まちづくりディスカッション」も行っている。
地元の「名士」が回り持ちのように委員を歴任していくようなことはない。
こうして「立派な建物ではないかもしれないが、市民による手作りのDIYのまちづくり」(高部教育長)をやってきたのが、三鷹市だ。
そもそも、現・清原市長自身が、市民プランの策定委員から市長になった人だ。
開いても安心
結果として、「市民に開いても安心」な自治体運営が可能になった。
それを教育に応用したのが、コミュニティスクールだった。
「ないからこそ、できた」と高部教育長は言う。
「ないものねだりより、あるものさがし」という地元学の提唱者・結城富美雄さんの言葉を思い出させる一言だ。
財政力も知名度も隣接自治体より劣っていたからこそ、三鷹市民という「いま、ここ」にあるものの力を集めてきた。
その蓄積が、子どもがこぼれにくく、学力も高い学校と地域を実現させている。
三鷹市の経験は、今「地方創生」と格闘する全国の自治体に示唆を与えるだろう。
師橋さんのような「人」がいない、と嘆く自治体関係者は多い。
しかし、師橋さんは最初から今の師橋さんだったわけではない。
必要なのは「できあがった今の師橋さん」を探して、「いない、いない、うちには人材がいない」と嘆くことではなく、
よい人材が生み出されるような土壌づくりを行うことだろう。
『ヒーローを待っていても世界は変わらない』――拙著のタイトルだ(笑)。
この構えで、全国の自治体が子どもがこぼれにくく、学力も高い学校と地域づくりに励まれることを願いたい。