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オバマ大統領広島訪問に対する中国の反応

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
オバマ大統領広島訪問 現職大統領として初(写真:ロイター/アフロ)

交戦国同士が友好関係を継続し、戦勝国が敗戦国の犠牲者に祈りを捧げられるのは大きなことだ。そこには戦争への反省と平和への願いがある。しかし中国はひたすら非難の大合唱に終始している。その現状を見てみよう。

◆環球網:「安倍とオバマの政治パフォーマンス」

中国共産党の機関紙「人民日報」の姉妹版、「環球時報」の電子版である「環球網」が「安倍とオバマの政治パフォーマンス」と題した記事を発信したことを、東方網など、数多くのウェブサイトが大々的に伝えている。

最初に伝えたのは大陸系の香港メディア『大公報』(5月26日付け)のようだが、それを27日に環球網が転載したことから、大陸の多くのウェブサイトが「許可が出た」とばかりに、一斉に報じた形だ。

それによれば「安倍は実に温厚でない。アメリカをしっかりと日本の右翼の戦車の上に縛りつけるために、まもなく下野するオバマから最後に奪い取れるものをいただき、オバマに残っているわずかな利用価値を搾り取っている」とのこと。

さらに以下のような批判が続く(原文には敬称はないので、そのママ転載。中国語では一般に呼び捨てだ)。

●G7サミットは安倍とオバマが主人公で、他の首脳はわき役だ。ようやく日本でG7サミットを開くことができた安倍は、この機を逃さず、喜び勇んで政治的パフォーマンスを演じ続けた。

●では、どうやってオバマの利用価値を使いこなすか?それはオバマに広島を訪れさせることだ。オバマは単純だから、「核のない世界」という自分の主張を唱えるために、まんまと安倍の深慮遠謀の計算に乗っかってしまった。安倍は日本が「正常な国家」になることに腐心している。

●しかし、安倍がどんなに演技してみたところで、所詮はアメリカの弟分にすぎない。オバマの目から見れば、安倍は「死を恐れない兵隊」の一人で、「お先棒かつぎ」にすぎないのである。

●たとえば、南海(南シナ海)問題で、アメリカは当事者ではないのに、どの関係国よりも最も高く跳ね上がり、(中国に)挑戦している。そのアメリカに協力するために安倍はただおとなしくアメリカの指示に従うしかない。オバマが必要とするときには、安倍は真っ先に突撃して敵陣(中国)に突入するしかない。

●しかしオバマが安倍を必要としない時には、安倍にはいかなる自由もないのだ。たとえば、ロシア総統のプーチンとの会見。プーチンが訪日したいと言ってもアメリカが喜ばなければ訪日させることもできない。自分からモスクワに行くしかないのだ。いったいどこの国に、二度も続けて一方的に片方の首脳が相手国を連続して訪問することなどあろうか?国際社会では不平等で礼を失することとされている。安倍はオバマとの関係において、傀儡でしかなく、人格を喪失し、国家としての格を失ってしまっているのだ。

◆新華網:「来たよ、でも謝罪しない。それで満足なのかい?」

中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」は5月29日、オバマ大統領の広島訪問に関して「来たよ、でも謝罪はしないよ。日本はそれで満足なのかい?」という(趣旨の)見出しで報道した。

この報道でまず投げかけているのは、「オバマの任期末期における政治的パフォーマンスは、安倍が望んでいる“日本の侵略者としての犯罪性を薄めること”を叶えることができるのか?」という問いである。

そして韓国側の不満などを例にとって、「まるで自分が戦争の被害者の国であるように装い、日本が起こした侵略戦争の責任と他国に与えた損害から、目をそむけさせるためのパフォーマンスに過ぎない」と書き立てている。

5月27日に王毅外相が言った「広島は関心を寄せる価値はあるが、南京(事件)はもっと忘れてはならない。被害者には同情するが、しかし加害者は永遠に自分の責任から逃れることはできない」という言葉を、ここでもまたくり返している。

新華網は最後に、「オバマはこのたびの広島行きによって日米関係を強化し、それによってさらに一段と日本を丸め込んで、アジアのリバランスというアメリカの戦略のために働かせるつもりだ」で結んでいる。

◆哀しき国

なんという品格のなさだろうか。

なぜ中国と日本が、日米のようにできないのか、考えてみたことがあるのだろうか?

ひたすら日本を責めまくることに没頭し、日中国交正常化後に日本人が中国に対して注いだ誠意や厚意(そして金銭まで)を、すべて無にしてしまったのは誰なのか?

もちろん戦争をしたのは良くない。そのため少なからぬ日本軍関係者は戦犯として処刑され、日本は関係国から処罰を受けている。サンフランシスコ平和条約で戦後の講話条約も成立した。そのときに「中華民国」も「中華人民共和国」も締結国として署名できなかったのは、中国に原因がある。日本敗戦後、中国内において国民党と共産党の国共内戦が起きていたからであり、「中華民国」が国連に加盟していたからだ。おまけに1950年には北朝鮮の金日成(キムイルソン)と当時のソ連のスターリンの陰謀があったとはいえ、中国は中国人民志願軍を北朝鮮に派兵して、アメリカと対峙した。だからアメリカの占領下にあった日本は、アメリカと共に中国と対峙せざるを得ないところに追い込まれていた。

戦後の国際関係のバランスを崩したのは、中国自身の国内事情があったからだ。

それでも毛沢東時代は、南京事件(中国で言うところの南京大虐殺)さえ、教科書に載せることを許さず、教えようとしなかったし、ましていわんや抗日戦争勝利記念日など祝賀したことは一度たりともない。南京事件の時に日本軍と戦ったのは国民党軍であることを毛沢東は知っていたし、抗日戦争勝利は、国民党の蒋介石が率いる「中華民国」がもたらしたものであることを最もよく知っていたのは毛沢東自身だからである。

だから、毛沢東は歴史カードをただの一度も日本に突きつけたことがない。

なぜ中国がいま歴史カードを必要とするかと言えば、それは天安門事件とソ連崩壊によって、一党支配体制が揺るぎ始めたからであり、中国共産党幹部が腐敗によって特権をむさぼり、社会主義国家としての体をなさなくなったからである。

「加害者は、その責任から永遠に逃れることはできない」というのなら、建国の父、毛沢東が殺戮した数千万人におよぶ自国民に対する責任からは目をそむけていいのか? 毛沢東が日中戦争中、日本軍と共謀して、同じ中華民族である国民党軍を弱体化させたことは許されるのか? 国共合作を良いことに、簡単に入手できる国民党軍の軍事情報を日本軍に高値で売り、民族を裏切ったことは、直視しなくていいのか? その責任から逃れることは、許され続けていいのか?

一党支配を維持するために強化している思想弾圧は、これらの事実から目をそむけさせることと表裏一体を成している。その思想弾圧が中国人民の尊厳を傷つけていることと、歴史カードを高く掲げて「社会主義的核心価値観」を人民に押し付けていることは、実は一つの根っこに根差しているのである。

なにもオバマ大統領が広島で言ったことを全面的に讃えるつもりはない。彼もプラハ演説でノーベル平和賞などもらってしまったために、その締め括りに、何としても広島を訪問したかったのだろうことは否定しない。核なき世界を主張しただけでノーベル平和賞をもらい、実際には世界一多くの核兵器を所有しながら削減していないのも事実だ。しかし自国に反対者もいる中、広島訪問を決行した勇気には敬意を表したい。またこのタイミングで思い切って米国の現役大統領に広島訪問を決意させた安倍首相の決断も評価したい。それは双方のタイミングがようやく合い、これを逃したら、この人類的現象は実現できなかっただろうからだ。

人類はいつまでたっても戦争をやめようとしていないし、また戦争の手段は精鋭化するばかりだ。それでも戦争を押しとどめようという思いは、誰の胸にもあるだろう。

その思いのためには、他の要素が混在していたとしてもなお、原爆を落とすという前代未聞の戦争行為をした国が、それによって空前絶後の犠牲を受けた人々が息づいている場所を訪れた意義は大きい。

そこに共通しているのは、二度と戦争を起こしてはならないという人類の思いであり、絶対に核兵器を使ってはならないという祈りだ。オバマ大統領の広島訪問は、その祈りに、わずかではあっても寄与したはずだ。北朝鮮が核兵器使用で威嚇している現在にあっては、隣国における「平和への祈り」が、いくばくかの抑止力になることもあり得るだろう。

それをこのような形で非難することしかできない中国という国を思うと、その品格が哀しい。

もっと大きな人類的視点に立てるようになるためにも、中国が真実を見つめる勇気を持つ国になれることを願う。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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