日本に未来を見ていたジョブズ〜iPhone誕生物語(4)
■Appleに停滞脱出のヒントを与えた日本
1998年、ジョブズの創出した産業は黄昏の時代に入りつつあった。値引きとスペック競争だけとなったパーソナルコンピュータは、もはや時代を熱狂させるポジションを失いつつあった。
PC、インターネットの普及。その次に世界を変えるのは何か。それを見つけなければ、Appleは時代遅れとなって衰退してゆかざるをえないのだった。昨今の日本も似た状況かもしれない。
シリコンバレーでは、未来の本命はビル・ゲイツの提唱する「通信と放送の融合」だという意見が強かったが、ジョブズは懐疑的だった。
「みんな情報家電とか『ポストPC』(パソコンの次に来るもの)とか騒いでいるけど、ほんとうに上手くいってるのは2、3かな。Palm(個人情報端末)とPlayStation、それと携帯電話ぐらいだ」
2000年のインタビューだ(※1)。Pixarのオーナーとなり、コンピュータグラフィックでエンタメ産業を変えようとした彼には、廉価なのにCGを自在に操ってみせるSonyのPlayStationの登場は革命的だった。iMacでPlayStationのシミュレーターを動かすデモをやり、Sonyに公認を熱心に持ちかけてもいる。
が、とりわけ彼が注目したのは日本の携帯電話だった。
通話とショートメッセージに終始していた欧米の携帯電話と異なり、日本の携帯電話はメール、ブラウジング、PDA機能までも有し、カメラ、決済機能すら備えようとしていた。
「電話はずいぶん前からある技術だけど、最近の携帯電話は革命的じゃないか(※2)」
当の日本人は忘れつつあるがアメリカでは、"ガラケー"は初期スマートフォンにしばしば分類されている。ジョブズは、通話のために生まれた電話というものが、日本で急激にパソコンのように進化していく様に勇気づけられていた。
「コンピュータ業界も実は初期段階で、新しいこと、ワクワクすることは十分できると思っているんだ」
日本の携帯電話をヒントにすれば、コンピュータに全く新しい進化をもたらすことができるのではないか。
日本に未来を感じつつあった一方で、誇り高いジョブズは『外国で流行っているから自分も模倣してみる』という凡庸な感覚を持ち合わせていなかった。後追いでは、Appleは停滞から抜け出せない。やるなら日本の携帯電話を超えるものを創りたかった。
「もしやるとしたら、1年たっても古くならなくて、フルでインターネットを体験できるデバイス。そういうものなら買ってくれると僕は確信できるだろう。インターネットJr.はやりたくないな」
iモードを意識した言葉だった。iPodの開発を裏で進めていたこの時期、ジョブズは携帯電話に新たなユーザー体験をもたらそうとイメージを練りつつあった。
iPodでSonyのWalkmanを超えるだけでなく、その新しい何かで日本の携帯電話を超えようと模索していたことになる。好敵手を超えたい。それは彼にとって創造意欲の源泉でもあった。
ジョブズの眼光に、日本はロックオンされた。
■携帯電話をあきらめ、タブレット計画を始動
2003年。iTunes Music Storeが立ち上がり、世界が音楽配信の時代に突入した一方で、もうひとつの新たな未来が始まろうとしていた。
この年、Appleの元社員アンディ・ルービンがAndroid社を創業。後にGoogleが買収することになる。一方でジョブズ自身も、携帯電話事業の検討を始めていたのである。
iPodの生まれて間もなく、「iPodの携帯電話を作ってほしい」 という声々があがるようになったのは自然なことだった。
iPod、Palm、携帯電話にデジカメにゲームボーイ。デジタルガジェットのブームで、人びとのポケットは限界に達していたからだ。
その検討は、ビジネス的にも自然だった。その前年、iPodの累計販売がようやく100万台に届くかという一方で、世界ではすでに10億人が携帯電話を使っていたのだった(※3)。 iPodが携帯電話の世界に進出できれば、Appleはやがて宙まで飛翔できるはずだった。
だが携帯電話の世界について偵察報告を集めるにつれ、暗澹たるムードがAppleの会議室を覆った。
そこは通信キャリアたちが絶対王政を敷く世界だった。Appleに類するハードウェア・メーカーたちは、キャリアの命じる仕様を恭しく拝受して携帯電話を作っていた。
「端末メーカーは実際、キャリアから、分厚い巨大な本を与えられ、『これが、あなたがたが次に作る電話です』と言われているだけだ」
ジョブズはインタビューでそう答えている(※3)。
「ノキアとモトローラが彼らの言うことを聞かなくなれば、韓国サムスンとLGが代わりに聞くだろう」
まったくクリエイティブでないと思った。ジョブズはやる気を削がれてしまい、携帯電話の世界にはいっさい関わりたくないとまで思うようになった(※4)。
かわりに創作意欲を刺激したのは、積年の好敵手だった。
その日、ジョブズ夫妻とゲイツ夫妻は、マイクロソフトに勤める共通の友人の誕生パーティにいた。
「あの夕食会ですか。スティーブは私に相当フレンドリーでしたよ」
ゲイツは、伝記を書いたアイザックソンに語った(※5)。Pixar、iMac、OS XにiPod。ゲイツにできない革新をいくつもやりとげたジョブズから、かつての屈辱感は薄らいでいたのだろう。週末にはダブルデートを楽しんでいた20代の頃の友情が、ゲイツとジョブズのあいだに戻りつつあった。
「ただし、パーティの主役にはいささか好意的でなかったですね」
共通の友人は、マイクロソフトでタブレットPCを開発し、自分の作品を世に送り出したばかりだった。Windows XP タブレット・エディションだ。
「マイクロソフトはタブレットで世界を変えるんだ。ノートPCなんて全部消える」
友人がそう興奮ぎみに喋ってきたのも自然なことだろう。それを聞かされたジョブズはみるみる不機嫌になっていった。俺を差し置いて、マイクロソフトがポストPCを語るか...。つい先ごろ、マイクロソフトは「パワードスマートフォン2002」もリリースしていた。スマートフォンの語源のひとつとみてよい製品だ。
「Appleもマイクロソフトのライセンスを受けて、この革命に参加すべきだよ」
共通する友人の饒舌がそこまで達した時、ジョブズの脳中でプツリと糸が切れた。 ゲイツは少し離れたところから、冷や冷やして見ていたらしいのだが、案の定、ジョブズは帰ってしまった。
「ムカついて家に帰って叫んだよ。『クソが!タブレットってものがどんなものか、眼に物を見せてやる』ってね」
翌日、出社すると彼は、最も信頼する人材で固めたエリート・チームを招集して言った。
「タブレットを創ると決めた。キーボードもスタイラスも無いやつだ」
■ジョブズのアイデアを匿ったアイブ
かつてジョブズはAppleに戻った際、アメリオに携帯情報端末の先駆け、ニュートン事業の廃止を強く求めた。アメリオは驚いて反対した。ハンドヘルドは成長分野だったし、それよりもっと成長している携帯電話とニュートンがいずれ融合するのは目に見えていたからだ。
「償却して身軽になるんだ。あの事業を廃止すれば君は喝采を浴びるよ」
当時、ジョブズはそう言ってアメリオを説得したが、腹心の部下には別のことを語っていた。NeXTから連れてきたルビンシュタインたちに、両手をかざして言ったという(※6)。
「神は我々に10本のスタイラスを与え給うた。もう一本、発明するのは無しにしよう」と。
この少し前にジョブズはWired誌にこう語っている(※7)。
「デザインを見た目のことだと思っている人がいるけど、深く考えてない。デザインとは機能そのものなんだ」
GUIの大家、ジョブズの至言だ。ポストPCは、パソコンとは形状も用途も違う。人間と機械の関わりが異なれば、ユーザー・インターフェースを根本的に再構築する必要があった。
だが、ゲイツたちはWindows XPとスタイラスの組み合わせで、パソコンのUIをそのままタブレットに持ってきている。それではガラクタができるだけだ…。出来損ないに触ると創作意欲に火がつくのは、いつものジョブズだった。
今でも、あまり出来の良くないアプリ開発では、画面遷移表を読んだデザイナーが「見た目」を作って、エンジニアがそれを切り貼りしてなんとなくUIが出来る。これだとユーザー体験を練り上げるプロセスがデザインの作業から欠落してしまう。
「人類の体験を広く理解した者のみが、デザインを導くことができるんだ」
同じインタビューの発言である。GUIでは、デザインはユーザー体験の設計そのものだ。ジョブズは密かに練っていたタブレットのアイデアを開発陣に渡した。
「ガラス製のディスプレイで、マルチタッチで、ソフトウェア・キーボードを表現できる。これが僕のアイデアだった」
開発陣の中心はマイクロソフトからAppleに転職してきたティム・ブッチャーと、MITでマルチタッチを研究していたジョシュ・スコットリンだった。ジョブズは振り返る(※8)。
「開発に指示して6ヶ月後には、すごいディスプレイができたよ」
だが、そこで開発は止まってしまった。2003年のARMプロセッサーは、まだモノトーンCUIのiPodを動かすだけで精一杯だったのだ。そのパワーでGUIを動かしても、使いものにならないことが再確認された。
Appleのタブレット計画は中止された。
ジョブズはWindows版iTunesミュージックストアを実現し、大好きな音楽を事業の柱にすべく邁進することになった。
しかしタブレットのアイデアを惜しみ、匿った男がいた。Appleのチーフデザイナーにしてジョブズの親友、ジョナサン・アイブだ。こわれやすい卵にそっと羽をかぶせるように、アイブはじぶんのチームにマルチタッチのUXデザインを続けさせた(※9)。
アイブの温める卵には、音楽産業だけでなく、やがてコンテンツ産業すべてに広がる希望が宿されていた(続く)。
■本稿は「音楽が未来を連れてくる(DU BOOKS刊)」の一部をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。
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※1 『Fortune』 2000年1月24日号
※2 『Fortune』 1998年11月8日号
※3 http://www.theguardian.com/technology/2009/mar/03/mobile-phones1
※4 Fred Vogelstein (2013), "Dogfight: How Apple and Google Went to War and Started a Revolution", Macmillan, pp.24
※5 Walter Isaacson (2011), "Steve Jobs", Simon and Schuster, pp.467
※6 Idem., pp.309
※7 Wired Feb 1996, "Steve Jobs: The Next Insanely Great Thing" By Gary Wolf
※8 Vogelstein, "Dogfight", pp.157
※9 http://www.engadget.com/2010/06/01/steve-jobs-live-from-d8/