G7サミットの警戒中ポスターが“アレ”に似ていた!? 込められた「鉄道会社ならではのこだわり」とは
G7ポスターの文字が“アレ”に似ていた!
2023年5月、日本でG7サミットが開催された。各国の首脳陣が日本に集結することから、開催地となった広島はもちろん、首都圏や京阪神などの大都市でもテロや犯罪に対する警戒警備を強化。街中のコインロッカーやゴミ箱が封鎖され、不便を感じた人も多かったことだろう。
そんななか、JR西日本が駅構内などに掲出していたポスター類が、SNSなどで話題となった。理由は、そのデザインが“あるもの”に似ている、というもの。下の写真がそのポスターだ。
京阪神に住み、JRを良く利用する人はピンときたかもしれない。実はこの「特別警戒実施中」という文字が、JR西日本の快速列車などで使われている文字(以下「快速フォント」)とよく似ているのである。
比べてみれば、確かにそっくりだ。ただし、実はこの文字は車両に表示するため特別にデザインされたもので、こうしたフォント(書体)が存在するわけではない。つまり、「特別警戒実施中」を同じデザインにしようと思った場合は、わざわざイチから文字を作る必要がある。
そこまでするとは、JR西日本もなかなか手の込んだことを……と思っていたところ、このポスターは同社のグループ会社が手掛けたものであることが分かった。そこでその会社、関西工機整備にお邪魔し、デザインの経緯について話を伺った。
ステッカーなどを手掛ける会社が製作
取材に応対してくれたのは、同社印刷事業部の大森正樹さん。この方、実はかなりすごい方なのだが、それは後ほど紹介するとして、まずはポスター製作の経緯について教えていただいた。
「当社の印刷事業部はもともと、鉄道車両に掲出される標記類のステッカーを手掛けていました。車両には、形式番号や検査時期を表す文字や『弱冷房車』などの表示など、様々な文字やイラストが描かれています。国鉄末期にこうした標記類が手書きからステッカーになった際、多くの工場では外注するようになったのですが、神戸市にある鷹取工場は自前の印刷部門を立ち上げました。1995年にその業務を当社が運営するようになり、他社車両や駅の標記類にも進出しました」
車両に貼られているステッカーは、同社のものが首都圏の私鉄などでも広く採用されているそうで、「具体的な会社名は挙げられませんが、新製車両の6割くらいは当社のものを使っていただいています」とのこと。また、駅の時刻表は文字を一つずつ貼り付けて作成していたが、これを当時まだ珍しかった超大型プリンターで印刷することにより、手間を激減させたのも同社だという。最近では、ホームの足下に貼られている乗車位置案内や、ホーム通行時の注意喚起表示も手掛けている。そういえば、筆者が住む近くの駅には、立体的に見える注意喚起イラストが最近設置されたが、これも乗務員からの意見を基に同社が提案したそうだ。
話を戻そう。「特別警戒実施中」の文字に「快速フォント」が使われるようになったのは、どういういきさつなのだろうか。
「G7サミット開催に当たり、JR西日本からゴミ箱やコインロッカーに貼るステッカーやポスター、デジタルサイネージなどの製作を依頼されたのがきっかけです。同様の掲示物はこれまでにも作ったことがありましたが、その際はいわゆる“普通のデザイン”でした。今回、『鉄道会社からのメッセージである』ということを明確にするにはどうすればよいかと考え、JR西日本をご利用の皆様になじみのある書体を使おう、と思い至りました」
確かに、この文字であればJR西日本からのお願いであることが明確に伝わるに違いない。ただし、先述したとおりこの「快速フォント」は既製のものではないため、新たに作らなければならない。
「『快速フォント』に決められた作り方はありません。これまでに作った文字を参考にしながら、ヒゲの位置や長さを調整し、それっぽく仕上げていきます」と大森さんはさらっと言うが、実際にはそんなに簡単なことではない。こうした文字は、遠くからでも一目で読め、理解できる必要がある。たとえば「別」や「戒」のように斜めの線がある文字は、線を太くした時にバランス良くなるような調整が、何度も繰り返された。
「調整は難しかったですが、一貫性はもたせられたと思っています。SNSを見ていると、鉄道ファン以外にも気づいてくれた方がいたようで、うれしいですね」
ところで、この「快速フォント」は現在、東海道・山陽本線などを走る快速や新快速をはじめ、大和路快速や関空・紀州路快速など様々な列車で使われている。先ほど大森さんのことを「かなりすごい方」と紹介したが、実は大森さんはJR西日本の社員であり(現在は出向中)、JR在籍時代にこの「快速フォント」のデザインアレンジを手掛けていたのだ。
「たとえば、JR奈良線の『みやこ路快速』は『新快速』と同じスペースに6文字を収めなくてはなりません。線の太さや文字を傾ける角度を変える必要があり、こちらも何度も調整しました」
ちなみに、大森さんは「快速フォント」を使っていた223系や225系、さらには681系から287系にいたる特急用車両など、JR西日本で活躍する数多くの車両の設計を手掛けてきた、いわば「JR西日本の車両デザインの父」のような方。さらに、路線図のような線画「路線図アート」も数多く手掛けている。マルチに活躍されており、様々なエピソードをお持ちなのだが、それは機会を改めて紹介するとしよう。
用途や環境に応じて2つの印刷方法を使い分け
大森さんが現在勤める、関西工機整備の印刷事業部は、神戸市のポートアイランドに事業所がある。
「当社では、主にシルクスクリーン印刷とインクジェット印刷の2つを使っています。シルクスクリーン印刷は、文字や図柄に合わせて極小の穴を開けた版を作り、インクをその穴からヘラで押し出して下の紙や布などに印刷する方法です。1色ごとに印刷するため、4色を使った印刷の場合は版も4つ必要となるのですが、白色や蛍光色、メタリックなどインクジェットプリンターでは不可能な色が出せます。直射日光や風雨に強く、インクを厚く盛ることで耐久性を上げることも可能です。一方、インクジェット印刷は多色刷りが得意であり、版が必要ないため小ロットの印刷にも向いています」
シルクスクリーンの作業場には、印刷に使った版がいくつか保管されていた。印刷後一定期間が経った後も、再利用する可能性があるものなどは保管しておくのだという。JR西日本の車両や駅など、どこかで見たことのあるものが多数あった。ちなみに、同社では非常用設備の設置場所などを知らせるための蓄光ステッカーも作っているが、蓄光インクの印刷はとても難しく、その技術を持っている会社はとても少ないそうだ。
別の作業場には、大型のインクジェットプリンターが何台も並んでいた。家庭用プリンターとは違い、8色のインクを使うことで微妙な色合いなども再現できる。こちらも、鉄道ファンならず関西に住んでいる人なら一度は見たことがあるであろう“製品”が置いてあった。
その横で何人かのスタッフが行っていたのは、パソコンでのデザイン作業である。
「当社では、様々な印刷物の提案からデザインの制作、実際に印刷して納品するまでをトータルで請け負っています。他社の事例を見て『うちでもこんな表示をしたい』という相談も多く、会社ごとの特徴や要望を取り入れながら自社で作業することで、スピーディーに対応できるのが強みです」
ここでは、駅のコンビニなどで販売されているオリジナルグッズの製作も手掛けていた。独特のテイストで描かれた車両イラストは大森さんが得意とするところ。そのコツを、他のスタッフにも受け継いでいる最中だという。詳細は明かせないが、今ここでデザインされているイラストが、数か月後には商品となって販売されていることだろう。
駅の何気ない掲示物にも、実はこんな思いとこだわりが詰まっている……という今回のお話。ちょっとした違いを見つけると、そこから意外な発展につながるかもしれない。皆さんもぜひ、探してみてはいかがだろうか。