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「墨かけ女子事件」は中国民主化運動に発展するか?――広がる「習近平の写真に墨汁」

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
上海・ビル取り壊しに抗議 習近平のポスターで覆う(2016年)(写真:ロイター/アフロ)

 7月4日、29歳の女性が一党独裁反対を叫んで習近平の写真に墨汁をかけた。その日の内に拘束されたが、自撮りでネットにアップされた行動は連鎖反応を起こしている。民主活動家と中国共産党老幹部を取材した。

◆習近平の写真に墨汁をかけた女性

 7月4日午前6時40分過ぎ、上海の海航ビルの前で、壁に大きく貼られた習近平の写真(ポスター)に墨汁をかけた女性が、その様を自撮りしてネットにアップした。女性の名は董瑶けい(「けい」は王へんに「京」)で、湖南省出身の29歳。このときは上海の不動産業関係の会社に勤務していたらしい。

 彼女は概ね、以下のようなことを叫びながら、習近平の写真に墨汁をかけた。

●習近平の独裁的な暴政に反対する!

●中国共産党は私をマインドコントロールし、迫害している。

 (筆者注:このとき彼女は「洗脳」という言葉を使わず、「脳控」という言葉を使った。これは「操(あやつ)る」とか「支配する」の中国語である「操控」の「控」の文字を使ったもので、「脳控」は「マインドコントロール」と訳すのが適切だろう。中国で建国以前から長年使われてきた「洗脳」を使わず「脳控」を使った意味は大きい。)

●私は習近平を恨む!

●(墨汁を習近平の写真にかけながら)さあ、見て下さい!私が何をしたかを!

●習近平よ、私はここにいる。さあ、捕まえにいらっしゃい。私は逃げない!

●中共が私たちをマインドコントロールして迫害していることを国際組織が介入して調査してほしい!

 墨をかけられた習近平の顔の隣には「中国の夢」という政権スローガンが空しく呼び掛けている。

◆その日の内に消えてしまった董瑶けい

 自撮り動画がネット上にアップされると、それは一瞬で中国語圏の多くのネットユーザーの間に広がり、大きな衝撃を与えた。その中の一人である民主活動家の華涌(芸術家、男性)が、董瑶けいの動画をシェアした。中国政府はツイッターの使用を規制しているが、VPN(Virtual Private Network)などを通せば使えるので、多くの人がツイッターを使ったり、中国で許されているメッセージアプリWeChatを使ったりして、その動画は凄まじい勢いでシェアされたのである。

 午後になると董瑶けいは自宅から、ドアの覗き穴から見える私服や制服の公安局員の姿を発信した。それを見た華涌は董瑶けいに「ドアを開けるな!絶対に外に出るな!現場をそのままツイッターし続けろ!ネットユーザーが見続けている。それがあなたの身を守るのだ」と呼びかけ続けたが、やがて映像がプツリと消えた。そして彼女とは一切、連絡が取れなくなってしまった。

 拘束されてしまったのだろう。

 やがて董瑶けいのツイートがネットから全て削除され、アカウントも封印されてしまう。

 友人や家族が携帯に電話しても、すでにつながらない状態になっていた。

◆連鎖反応を起こした中国人民 

 ネットには多くの書き込みが溢れた。

 ●あなたは誰もがやりたいと思っていてもできないでいることを実行に移したのだ。

 ●誰もが、この息詰まりしそうな空気の中で沈黙し続けることに限界を覚えている。でも勇気が持てないでいる。あなたはわれわれに勇気を与えてくれた。あなたこそが英雄だ。

 ●この暗黒の中国大陸では、能力や学問がどんなにあっても役に立たない。独裁政治に抗議する勇気を持ってこそ、英雄になれる。 

 ●中国は人民のものだ!共産党は出ていけ!

 しかしそれらは次々に削除されていき、中国大陸以外の海外の中文ネットが動き始めた。

 たとえば「零点時刻」「明鏡TV」あるいは「中国公民抵抗運動」などが、「墨かけ女子」事件とともに、その後の連鎖反応を報道している。

 たとえば広東省の王文彬も7月6日に習近平の顔に泥を投げつけて拘束されている。北京市高級(上級)裁判所の門の壁には「腐敗」「暗黒」などの文字が墨で書かれ、看板はかけられた墨で文字が読めなくなっている。習近平の顔に牛の糞を投げつけた画像もある。

◆各地から撤去された習近平のポスターや肖像

 この動きが拡散して民主化運動に発展するのを恐れたのだろう。当局は各地で習近平の写真やポスター、あるいは持ち運びできる大きさの肖像を撤去する命令を出し始めた。

 たとえば北京市西城区にある不動産管理会社では、7月12日、「48時間以内に習近平の写真やポスター、肖像、記念品などを全て撤去して、業務完遂後、その結果を直ちに報告せよ」という特別通知を発布した。

 また湖南省長沙市でも中国の指導者のポスターなどが撤去され、代わりに「社会主義的価値観」を表す「富強、民主、文明、自由、平等、公正・・・・・」などの文字が大きく掲げられたが、それらの文字にも、やはり墨がかけられている

◆新華網が華国鋒元主席の「個人崇拝禁止」の記事を掲載

 同時に中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」が「華国鋒はまちがいを認めた」という見出しで、1978年に当時の華国鋒主席が個人崇拝を戒めた記事を掲載した。それはすぐに削除されたが、大陸以外の中文メディアが、その痕跡を報道している。

 たとえば「これ」をご覧いただくと、それが真実であったことがわかる。

◆大陸の民主活動家を取材

 これら一連の現象が中国の民主化運動につながるか否か、中国大陸にいる民主活動家を取材して聞いてみた。彼の回答は絶望的だった。

「考えてみてください。中国には200万人の軍隊がおり、数百万人の警察がいます。彼らは自国の人民を鎮圧するために存在しているのです。中国人民は少なくともあと20年間は不民主の中で生きていくしかないのです。中国人は考えることさえコントロールされています。微信(WeChat)も微博(ウェイボー)も全て監視されているのですから」

 そして続けた。

「しかも中国で何が起きているのかを知るために、特殊な方法を使って海外から情報を入手するしかないのです。人民が絶対に横につながらないように、政府は最大の工夫をしているのです。こんな環境下で民主化運動など、夢のまた夢。われわれに前途はない!」

 絶対に民主化運動には発展し得ないと、怒りをぶつけた。

◆中国共産党の元老幹部を取材

 すでに齢(よわい)90歳を越える、中国共産党の元老幹部を取材した。

 以下、Qは筆者、Aは元老幹部だ。

 Q:この「墨かけ女子事件」は中国の民主化運動に発展すると思うか?

 A:思わない。六四(天安門)事件のように怒りの規模が大きくないから。

 Q:しかし人民の怒りは潜在していることは確かだと思うが。

 A:それは確かだ。しかし民主化を達成するには、まず貧富の格差を解決し、教育の普及が不可欠だ。

 Q:教育の普及?

 A:そうだ。民主化というのは知的活動であって、人民の平均的な知的水準が高まれば、「民主」という、「金儲けではない理念」を求めるようになる。

 Q:あなたは民主化を望んでいるか?

 A:望んでいる。共産党政権が民主化すればいいが、それは望み薄だろう。党はまだまだ改革していかなければならないが、民主は脆弱だ。だから批判を怖がり、監視を強化している。中国に民主が訪れるには、まだ長――い時間がかかる。

◆董瑶けいの父親も華涌も拘束された

 元老幹部の言った通り、7月13日夜、董瑶けいの父親・董建彪と華涌が公安に拘束されたことが分かった。公安が家に入ってくる様を、華涌が生中継しながらツイッターで発信している

 

 これが中国の現実だ。

 国際調査機関でなくとも、全世界の人々が一人でも多く、この現実を拡散してほしいと強く望む。その力を習近平は無視することはできないだろう。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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