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「カズ、大久保嘉人、内田篤人、もう一人の田中達也への思い」。田中達也インタビュー

元川悦子スポーツジャーナリスト
今年38歳になる現在地を語る田中達也(筆者撮影)

 プロサッカー選手の引き際は人それぞれだ。8月に32歳の若さで現役引退を決断した内田篤人や中田英寿のように「理想のプレーができない」という理由でピッチを去った者もいるが、53歳のカズ(三浦知良=横浜FC)は「体が動く限りは現役を続けたい」とプレーヤーにこだわり続ける。全ては本人の考え方次第ということになる。

 37歳の田中達也(新潟)はカズのように「自分の情熱が冷めることはない。選手としてやり切ったって思わない」と言い切る。20代の絶頂期に相次ぐケガで華やかな舞台を逃してきた過去もあり「このままでは納得できない」という思いは誰よりも強いのだ。

 なぜ現役への執念を燃やすのか。大きなエネルギーの源になっているのが、これまで刺激を与えられた仲間たちの存在だ。同い年の大久保嘉人(東京V)を筆頭に、田中達也には大きな出会いがいくつもあった。その1つ1つが血となり肉となり、「ワンダーボーイ」の今を作り上げている。

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プロの矜持を授けてくれた福田正博、井原正巳ら先人たち

 浦和レッズに入団した2001年。最初にプロの矜持を授けてくれたのが、クラブの偉大な先輩たちだった。「ミスターレッズ」の異名を取る福田正博(解説者)、98年フランスワールドカップ初参戦時の日本代表キャプテン・井原正巳(柏コーチ)らの一挙手一投足を目の当たりにしつつ、サッカー選手としてあるべき姿を自分なりに描いた。

「福田さんや井原さんは『背中で見せる』タイプの選手。僕もそうなりたいなと思って、今までやってきました。新潟では最年長なんですが、仲間を統率するとかはしてないですし、自分がしっかり練習することが若手にもいい影響を与えるかなと。岡野(雅行=鳥取GM)さんや伸二(小野=琉球)さん、ヒラさん(平川忠亮=浦和コーチ)もそうですけど、つねに自分にベクトルを向けていた。僕もそういうスタイルを目指してこれからもやっていくつもりです」

ライバルとして切磋琢磨してきた大久保嘉人

 年代別代表でも熾烈な戦いがあった。アテネ世代のアタッカーには石川直宏(FC東京クラブコミュニケーター)、松井大輔(横浜FC)ら数多くのタレントがいたが、大久保嘉人は田中達也にとって最大の好敵手だった。高校時代も帝京と国見の両エースであり、プロ入り後も同じポジションを争っていただけに、無視できない存在だったはずだ。

「嘉人とは10代の頃からつねにポジション争いをしながら、ライバルとしていい関係でやってきました。アテネ五輪もA代表も嘉人がスタメンで出て、僕が途中から交代するみたいなパターンがずっと続いていましたね。あいつは生粋の点取屋。自分とはちょっとタイプが違うんですけど、あれだけ活躍しているのを見れば『俺ももっとやんなきゃ』って刺激を受けるのも当然。今は同じJ2の舞台で戦っていますし、ずっと刺激し合えたらいいなと思ってます」

日本代表時代の田中達也(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
日本代表時代の田中達也(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

引退した内田篤人への思い

 その大久保が日本代表として2度のワールドカップに赴いていた頃、圧倒的な輝きを放っていたのが、内田篤人だった。岡田武史監督(FC今治代表)時代の2008~2010年に何度も同じピッチに立った田中達也も5学年下の右サイドバックのすごさをひしひしと感じていたという。

「僕は当時の代表では左FWが多かったんで、後ろに佑都(長友=マルセイユ)がいて、篤人のクロスに突っ込んでいく形でした。代表デビューした頃はまだ10代だったのに、うまいし、1対1も強かった。あれだけ細いのに足が速くて、自分の間合いを持ってて、本当に相手にやらせないタフさもあった。それは同じチームメートとして心強かったですね。オフ・ザ・ピッチではとにかく人懐こかった。僕みたいな人見知りな人間に対しても懐に入ってくるのがうまいし、みんなに愛される選手でしたよ。

 引退に関しては篤人自身が判断したことだから尊重したいし、本当にお疲れさまでしたと言いたいですね。あいつの場合は海外でもかなり活躍しましたし、自分をしっかり持ってプレーしていたから『やり切った』と思えたんだと思います」

”もう1人”の田中達也への期待

 内田のみならず、ともに日の丸をつけて戦った川口能活(U-23GKコーチ)や楢崎正剛(名古屋クラブスペシャルフェロー)、中澤佑二、田中マルクス闘莉王といった面々もすでにユニフォームを脱いでいる。彼らの闘争心や向上心を肌で感じた田中達也はこれから先もそれを引き継ぎ、ピッチ上で表現していく役割を担っている。日頃からシャイで口数の多くない彼はそれを改めて言葉にすることはないだろうが、日々、脳裏に刻みながらボールを蹴り続けている。その思いを若い世代が汲み取ってくれれば理想的だ。

 とりわけ、同姓同名の田中達也(大分)には”元祖のスピリット”を継承してほしいところ。今の若い世代のサッカーファンにとって「田中達也」と言えば、大分で活躍する28歳のアタッカーの方をイメージするかもしれない。”本家”もそれを認識したうえで「彼の活躍には大いに注目しています」とうれしそうに語っている。

「彼がロアッソ熊本に所属していた3年くらい前、熊本のコーチだった北嶋(秀朗=大宮コーチ)さんに呼ばれて『写真を撮ってほしい』と紹介されたのが、もう1人の田中達也君でした。メチャメチャいい人でしたし、あれを機に友達になりましたね。

 プレーヤーとしては足が速くて、ポジション的にはフォワードというよりウイング的な選手。その頃は右ウイングをやっていましたけど、あの速さにやられました。僕は左をやることが多いし、あんなに足は速くない。どちらかというとキレで勝負するタイプなんで、微妙にプレースタイルは違いますね。それも含めてホントに活躍が楽しみ。映像を見ていて『田中達也』って出てくるとドキッとしちゃう(笑)。彼ともライバルですし、刺激を受けながら頑張っていきます」

若い田中達也のことは特に嬉しそうに話した(筆者撮影)
若い田中達也のことは特に嬉しそうに話した(筆者撮影)

「カズさんと比べるなんて失礼極まりないですよ(苦笑)」

 歳を重ねても、厳しい状況に立たされても、サッカーがうまくなるために努力するというメンタリティは三浦知良に通じるところがある。日本スポーツ界を代表するキングに対して「カズさんと比べるなんて本当に失礼極まりないですよ」と苦笑する田中達也だが、貪欲に理想を追い続ける姿は間違いなくキングと重なる。

 本家・ワンダーボーイのマイケル・オーウェン(元イングランド代表)は33歳の若さでピッチに別れを告げたが、11月で38歳を迎える田中達也は40代になってもボールを蹴り続ける気でいる。

「18の時からやることもほとんど変わってないですし、ただ年取っただけかな。今は早くゴールがほしいですね。メッチャ頑張ります」

 アルビの背番号14は爽やかな笑みをのぞかせた。

■田中達也(たなか・たつや)

1982年11月27日、山口県生まれ。帝京高から2001年に浦和入り。同年4月29日の鹿島戦でJリーグデビュー、同年5月6日の東京V戦でJリーグ初得点を決めた。2003、2004年Jリーグ優秀選手賞。2004年アテネ五輪出場。2005年に日本代表に初招集され、国際Aマッチ2戦目の同年8月3日の東アジア選手権・中国戦で初得点。2006年、浦和のリーグ初優勝、2007年にはアジアチャンピオンズリーグ(ACL)初制覇に大きく貢献。2012年に戦力外通告を受け、浦和退団。2013年アルビレックス新潟へ移籍。2019年にはシーズン終了後に契約満了に伴い退団が発表されたが、2020年1月10日、新潟と再契約、現役生活20年目のシーズンを戦っている。

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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