性病は標準装備?寺をラブホテルがわりに性行為を楽しんだ庶民や坊…学校が教えない戦国時代の歴史とは
戦国時代の歴史背景を学ぶには、まず庶民や武将の暮らしを詳しく知る必要があるでしょう。しかし、学校が授業で教える「戦国時代の暮らし」というのはアッサリとした表面的な内容ばかりです。
それも仕方ないのかもしれません。
なぜなら、戦国時代は男性も女性も性欲に溺れる乱れた生活を送っていたからです。
今回は、学校が教えない戦国時代の一般的な常識や暮らしを紹介します。
□坊と尼
戦国時代のモテ職業のひとつ「坊」や「尼」は男性も女性もヤリ放題といわれるほど異性に人気でした。
理由のひとつとして挙げられるのが、仏教を説く寺院の財政力や武力です。
当時の仏教は信者も多く、かなりの力を保持していました。現代の大企業に勤めるエリート社員なみのステータスを持つ坊や尼は当時の優良物件だったのです。
さらに、当時の寺院は地元大名と癒着関係である場合も多く、その権力にあやかろうと肉体関係を結ぶものも少なくありませんでした。
このほか、当時の坊は無償で庶民の家に宿泊する権利を持っており、寺院の恩恵を受けようと宿泊に訪れた坊の夜伽相手として若い娘を差し出す村や家庭も存在したのです。
また、性欲を抑えられなくなった尼は男性を誘惑して自由に貪ることができました。なかには、尼から一方的に襲ったにもかかわず、既成事実を建前に金銭を要求することもあったようです。
□庶民の性事情
坊や尼だけでなく、庶民の性事情も狂っていました。
しかし、そこには当時ならではの納得の理由も存在します。
庶民男性は15歳になると、村の熟女や経験豊富な人妻、雇われた遊女などの手ほどきを受けて「筆下ろし(童貞喪失)」を体験します。庶民女性は初経を迎えると、村の長老やそれに匹敵する老人によって処女を奪われました。
処女は行為の際に出血することがあり、痛みを伴うケースが珍しくなかったためベテランが担当したのだといいます。また、月経や処女喪失に伴う出血は「呪い」の類だと当時は考えられており、若い男性が呪われることを防ぐ目的もあったようです。
その後、経験を積んだ男女は性欲の権化となります。
不倫は日常茶飯事で、避妊具が存在しなかった当時の性病は成人男女の標準装備。懐妊した女性でさえ、誰の子を妊娠したのか分からないケースも存在したようです。
ただ、医療技術の乏しい当時、めでたく産まれた子供は村全体で可愛がったといいます。
□寺はハッテンバ
ラブホテルが存在しない当時、性行為をする場所として人気を博したのが寺でした。
数多(あまた)もの男女が寺に宿泊し、愛を育んだと思われます。
ちなみに、当時は男性同士の恋愛や性行為も珍しいものではありませんでした。
もしかすると、現代人が想像する以上に多様性のある恋愛模様が寺で繰り広げらたのかもしれませんね。