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中国、台湾への個人旅行を暫時停止――かまえる中国軍

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
台湾の蔡英文総統(写真:ロイター/アフロ)

 中国政府は8月1日から中国の47都市における台湾への個人渡航を暫時停止した。蔡英文総統が香港デモを利用し台湾独立を煽っているからだという。注目すべきは国防部が発した不穏なメッセージだ。

◆47都市で台湾への個人旅行を暫時停止

 2019年7月31日付で、中国大陸側の台湾向け旅行などを担当する「海峡両岸旅游交流協会」は「8月1日から中国の47大都市に居住する者の、台湾への個人旅行を暫時停止する」という通知を発布した。その通知は中国の中央行政の一つである「中華人民共和国文化と旅游部」のウェブサイトに掲載されている。つまり、この決定は、中国政府による決定であるということだ。

 中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」電子版「環球網」など、多くの中国政府と党の関係メディアが報じた。このページに47都市名が列挙してある。

 大陸(北京政府)と台湾は、ビジネス以外の、観光などによる往来を厳しく制限してきたが、2008年から団体旅行が解禁され、2011年6月28日からは、北京、天津、上海などの大都市から始まって、徐々に対象都市を広げていき、今では47都市に対して個人による台湾旅行を認めるようになっていた。

 中国大陸では一般に「台湾自由行」と言われているが、正式の呼称は「赴台個人游」。つまり「旅行社などを経由した団体旅行ではなく個人旅行」のことを指す。

 とは言ってもビザなしで行けるわけではなく、大陸側は審査の上で「大陸居民往来台湾通行証」という許可証を発行し、台湾側は旅行ビザを発行する。この両方があって、初めて渡航が許される。

 今回は中国大陸の方の審査が一時中止になるという意味である。審査をしないということは旅行を禁止したことになる。

 香港と同じく、台湾も大陸からの旅行客が落としていく金の効果は大きい。

 だから北京政府は香港や台湾に旅行する観光客の人数を増減させることによって政治的圧力を調整してきた。

 大陸から台湾への観光客は、馬英九が率いる国民党政権の時には「92コンセンサス」に基づいて平和統一の方向に動いたため、418万人に達していたが、蔡英文率いる民進党が政権を奪ってからは、この個人旅行の許可人数を調整することによって、台湾の独立傾向に対して圧力を加えていた。中国政府側の発表によれば、昨年は269万人にまで減少していたという。

◆なぜなのか?

 では、このたび、なぜこのような措置を決定したのか。

 もちろん理由としては、アメリカの台湾への武器売却や、香港デモに対する蔡英文政権の声明などが考えられる。両方の要素ともあるだろう。

 7月8日、アメリカは戦車や地対空ミサイルなど総額22億ドル(約2400億円)の台湾への武器売却を約束した。

 一方、たしかに蔡英文ら政権与党(民進党)側は「もし習近平が台湾に対して要求している一国二制度を容認すれば、香港のようなことになる。香港デモは他人ごとではない。香港デモは台湾の未来像、いや明日だ」として、香港デモの現実を認識せよと警戒感を強めている。

 目の前で展開されている香港市民のデモとそれを強権的に鎮圧しようとする香港政府。政府の側には北京政府が、そして中国人民解放軍が構えていることは誰でもが知っている。台湾も明日はこうなるかもしれないという危機感は、ひまわり運動で立ち上がった若者たちを再び奮い立たせた。

 その結果、15%まで落ち込んでいた蔡英文の支持率は、一挙に36%にまで上昇している。

 北京政府にしてみれば、中国大陸内における人民の声が怖いと同時に、香港市民の声が怖い、そして台湾の若者たちの声が怖い。

 今般の措置の主たる原因は後者(香港デモの影響)だろうと思いながら、それでも念のため、中国政府の元高官に「なぜか」を聞いてみた。

 すると、即答で、次のような厳しい言葉が返ってきた。

  ――蔡英文は香港のデモを利用している。大陸との平和統一の実態は、こういう結果を招くのだとして、香港のデモを盛んに来年の総裁選の材料に使って大衆を煽っている。特に習近平が台湾に関して「一国二制度」を適用するスピーチをしたので、それを良いことに「一国二制度」が実施されたら、台湾でも同じことが起きると言い立てて、台湾独立分子を引き付けようとしている。そのようなことだけは絶対に許さないということを思い知らせなければならない。先月出たばかりの国防部白書を見るといい。

◆国防部のメッセージと「新時代の中国国防」白書

 中華人民共和国国防部(中国の中央行政省庁の一つ国防部)は7月24日「新時代の中国国防」白書なるものを発布した。1998年以来発布されてきたが、このたびの白書は第10回目であり、また習近平政権になってからは最初の総合的な国防白書だ。

 この国防白書に基づいて7月31日の国防部ウェブサイトには「祖国の完全統一を実現することは、絶対に阻止してはならない歴史的大勢である」という論評が掲載された。概ね、以下のような内容が書いてある。

 ●第十九回党大会は、「台湾問題を解決して祖国の完全統一を実現することは、中華民族すべての願望であり、根本的な利益である」と指摘している。先般発布した「新時代の中国国防」白書もまた、中国は必ず統一されなければならないと指摘している。中国は如何なる人によっても、いかなる政党によっても、いついかなる時でも、いかなる形式においても中国の領土を一寸たりとも分裂させることは絶対に許さない。

 ●「平和統一、一国二制度」は国家統一を実現するための最も良い方法だ。

 ●台独(台湾独立)分裂活動と外部勢力による干渉は必ず失敗する。

 ●中国の軍隊は、絶対に祖国統一を守るためなら、いかなる犠牲をも惜しまない。台湾問題は中国の主権と領土保全に関わる問題だ。もし外部勢力が台湾を中国から分裂させようとするならば、あるいは台独分裂分子が猛り狂った行動に出るならば、中国の軍隊は国家安全と国家統一と領土の保全を断固守るために、全ての準備を整え、戦略的支援をする覚悟ができている。

 ●白書は、「われわれは武力を使用することを放棄することを認めない」と強調している。台湾同胞を台独分裂分子から守るために、すべての選択肢を残していることを忘れてはならない。中国の軍隊は座視することはなく、如何なる犠牲も恐れずに、断固として国家統一を守る。(以上)

 すなわち、中国はいざとなったら武力を行使するということだ。

 その第一歩が、この台湾への個人旅行暫時停止令なのである。

 軍靴の足音は、既に目の前まで迫っている。

 台湾が飲み込まれれば、次に狙われるのは第一列島線だ。

 安倍首相は習近平国家主席に「一つの中国」を守ることを何度も誓っている。すなわち、「台湾の独立を絶対に認めず、台湾は北京政府のものだ」ということを誓っていることに相当するのだ。

 再び問う。日本はこのままでいいのか。

 香港や台湾の若者たちの必死の叫びを座視していていいのか――。

 経済界は目前の利益を追うだろうが、それが果たして真の日本の国益に適うのか否かに関する長期的戦略と展望を練っていくのが国家であり政権なのではないだろうか。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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