現場取材でわかった、センチュリーロイヤルホテル(札幌)の閉館決定後に初めてスタッフが知ったこと
2024年5月にセンチュリーロイヤルホテルが閉館
JR札幌駅前から望めるてっぺんに回転レストランのあるホテルが「センチュリーロイヤルホテル」。駅至近にして地下道にも直結、地下鉄へのアクセスも良く長年に渡り市民をはじめ旅行者にも愛されてきたホテルです。
ホテルの入るビルは住友生命札幌ビルで一部報道によると老朽化による建て替えのため、入居する全テナントへ2024年春ごろまでの退去が要請されたといいます。センチュリーロイヤルホテルも2024年5月の閉館が決まり大きなニュースとなりました。
1973年の開業ということで、ちょうど50周年を迎えるセンチュリーロイヤルホテル。長きに渡るホテルの歴史においては様々な出来事がありました。中でも釧路市に本拠を置くマルセンクリーニングによる2010年のセンチュリーロイヤルホテルの営業権取得はトピックでした。
札幌市街には新しいホテル開業が続き、センチュリーロイヤルホテルの運営も厳しい状況下にして、従前には民事再生や休館といった事態に直面していた状況下での営業権の取得でした。
朝食がきっかけとなりホテル再起
新たな運営体制でスタッフも一新され、まず着手したのが朝食の改革。特に当時の業界の常識では考えられない原価率で提供したことはゲストにフックし、宿泊予約サイトのランキングで1位を獲得するなど注目を浴び、全国メディアから取材も殺到しました。“あの民事再生のホテルが全国区に!?”と札幌のホテル業界でも話題になりました。
いまとなっては人気朝食ホテルの常識となりつつある発想ですが「朝食単体で利益を出す考えでは無く朝食の原価率は広告宣伝費である」-メディアからのインタビューに応じた当時の社長の言葉がいまでも忘れられないと営業企画室の蝦名訓さんは話します。
蝦名さんと共に取材に応じてくれた宿泊販売部の工藤琢矢さんは、センチュリーロイヤルホテルに入社する前は市内の別のホテルに勤めていました。当時のセンチュリーロイヤルホテルのイメージは“旧いホテルだなぁ”という印象でしたが、運営が変わってから朝食が注目され、みるみる変化していったホテルには驚いたと振り返ります。
閉館が決まってからスタッフが知ったこと
ところで、ホテルが閉館というようなニュースでは、長年勤めたスタッフのホテル愛といった感動的な話がニュースになることも間々ありますが、センチュリーロイヤルホテルの場合はちょっと違います。
一度ホテルの運営が厳しい状況になり現在の会社が2010年に営業権を取得したことを先述しましたが、たとえば工藤さんは2017年入社、蝦名さんは2014年の入社であり、2010年の運営体制が変わってからのセンチュリーロイヤルホテルのスタッフです。
同様に現在のホテルスタッフの多くは、2010年以降のセンチュリーロイヤルホテル入社であり、すなわちスタッフのほとんどは“新生”センチュリーロイヤルホテルを知る人々。そんな蝦名さん、工藤さんをはじめ多くのホテルスタッフが、日々働いてきたセンチュリーロイヤルホテルの存在感を強く植え付けられていったのが、実は閉館が決定した後、すなわち最近だといいます。
閉館がニュースになると多くの人々が訪れる、いわゆる閉店バブルはよくあること。ホテルに限らず鉄道でも廃線などが決まると多くのファンが訪れるように、長年愛されてきたホテルを懐かしむようにファンが押し寄せます。
「おかげさまで多くの方々から問い合わせや来館の連絡などいただいております」と蝦名さん。特に回転レストラン(スカイレストラン ロンド)については予約が殺到しているといい、当然ネットからも予約はできるものの、年齢層も高めなオールドファンからは電話予約が多いとのこと。
そんな予約電話で「ホテルの思い出といった昔話をして下さる方がたくさんいらっしゃるのです」とレストランスタッフもビックリ、50周年の記念メニューも販売しているところ、用意されているプレゼントキャンペーンのコメント記入欄にもホテルとの思い出や人生を変えてくれたホテルといった愛情たっぷりの感想が記されているといいます。
紆余曲折を経てきたホテルだったが、閉館が決まったからこそスタッフが知ったゲストの思い-こんなにも市民に愛されていたホテルだったとは…いま多くのスタッフが実感しているといいます。
閉館したらスタッフは…
ところで、気になるのはそんなスタッフの今後。運営会社として就職のあっせんなどはもちろん対応されるといいますが、センチュリーロイヤルホテルのスタッフさんだったら是非!というホテルや関連事業者からの申し出も少なくないといいます。紡いできた伝統や信用、そして再起の物語という波瀾万丈な時代を渡ってきた“ホテルの矜持”のようなものを感じずにはいられません。
ホテルは人といわれつつ、斬新なホテルが次々と誕生する中にも人手不足が喫緊の課題となっているホテル業界のいま。だからこそ際立つセンチュリーロイヤルホテル50年の時間軸であり、確かにそこには“人”がいました。