昔の先輩が自分の部下になってしまったらどうすればよいか〜年功序列逆転時代のマネジメント〜
■「長幼の序」は残っている
日本では儒教などの影響で「長幼の序」(年長者と年少者の間に存在する秩序。「孟子」より)が昔から大切にされてきました。
「年少者は年長者を敬い、年長者は年少者を慈しむ」というのが美しい人間関係の一つであるということです。そんな日本でも現在では年功序列もとっくに崩壊し、「年下の上司」「年上の部下」が珍しくありません。
しかし、「長幼の序」自体は今でも無くなっておらず、初対面の人とは毎度「学年」を確認し合うように、世の中は変わっていないように思います。
このために、全国津々浦々の会社の職場で、年齢にまつわるぎくしゃくした問題が起こっているようです。
■「成果主義」と「長幼の序」は矛盾しない
しかし私は、「成果主義」による社内の格付けと、「長幼の序」は矛盾しないと思っています。
というのも「長幼の序」は上述の通り、「年少者は年長者を敬い、年長者は年少者を慈しむ」ことですが、「年長者は年少者を蔑め」「年少者は年長者に隷属せよ」などとは言っていません。
ですから、「年長者も年少者を敬い、年少者も年長者を慈しむ」ことにしてはどうかと思うのです。
また、会社内での格付けは、「上」司、部「下」と、上下という言葉は残っていますが、別に身分の偉い偉くないではありません。単なる役割です。プロスポーツで監督よりトップ選手の年俸が高いことがあるのと似たようなものです。
■部下を無意識に「下」に見ていませんか
もしかしてですが、相談者は「年下の部下」を無意識的に下に見てはいないでしょうか。部下は上司よりも劣っている、部下は上司に従うべき、部下は上司に至っていない欠落した存在、などと思ってはいないでしょうか。
一面を見ればそういうこともあるかもしれませんが、体力やバイタリティ、基礎的な知力、記憶力などは若い人の方が優れていることも多いですし、場合によっては、仕事上の能力だって高いかもしれません(私もなんちゃって経理部長をしたことがありますが、部下だったマネジャーは公認会計士で、当然私よりも100倍能力が高い方でした)。
部下だから「下」などということはないのです。
■部下を見下すから「年上の部下」がやりにくい
「年上の部下」がやりにくいと感じるのは、そういう無意識の「部下を見下す心」と、長幼の序から来る「年上を敬う心」が葛藤するからでしょう。
精神科医のベイトソンは、このように二つの矛盾した考えに囚われる状態を「ダブルバインド」(二重拘束)と呼びました。
大変ストレスフルな状態であり、これが続くと、自分の矛盾した感情を抑圧して自由な意思決定ができなくなったり、自信が持てず判断力やパフォーマンスが低下したりして、その結果、心身に不調をきたすことがあるほどであるとされています。
ですから、「年上」と「部下」に対する矛盾した気持ちを解決する必要があるわけです。
■「年下の部下」に対する気持ちを改める
この「ダブルバインド」を脱するためには、矛盾した2つの気持ちの一方を捨てなくてはなりません。ひとつの選択肢は「年上を敬う心」を捨てることです。
しかし、「長幼の序」の文化で育った我々にはなかなか難しいでしょうし、「部下を見下し、年上も敬わない」という考え自体がそもそもよいこととは思いません(「ダブルバインド」は消えるでしょうが)。
そうであれば、もうひとつの「部下を見下す心」を捨てればよいのです。自分の胸に手を当ててみて、部下の顔を思い出し、それぞれに対する気持ちを振り返ってみてください。そこに少しでも見下す思いがあれば、そこを改める努力をするのです。
■気持ちを変えるにはまず「形」から
ただ、気持ちを変えるのは難しいことです。それなら、あまり本質的ではないですが「形」から入るのもよいかもしれません。
具体的には「部下も全員『さん』付けする」「誰に対しても同じような態度で振る舞う(挨拶等)」というようなことです。
「年上の部下」にだけ丁重に接し「年下の部下」にはぞんざいな態度では、「年上の部下」は「本当は馬鹿にしているのだが、形だけ丁重にしている」と思うかもしれません。
ですから、「年下の部下」を「年上の部下」と同じように丁重に接してみるのです。そうすれば、やりにくさを生み出す「ダブルバインド」はきっと消えていくはずですよ。
※OCEANSにて若手のマネジメントに関する連載をしています。こちらも是非ご覧ください。