人生100年時代に自助努力を、と国が示して怒っている人は、「一部」と「全部」の大違いが分かっていない
人生100年時代、自分で備えよと言われて怒る人が続出
金融庁の金融審議会「市場ワーキンググループ」は23回目の議論を行い「高齢社会における資産形成・管理」報告書案について議論を行いました。報告書案は次回開催で確定させるようです。
リンク)金融庁金融審議会「市場ワーキング・グループ」(第23回)
議論自体は高齢社会の進展とそのための備えをどのように国民が考えていくかを議論し、またそのために金融機関がどう関わっていくべきかを、けっこうまじめに議論しているものです(疑うなら、23回の資料と議事録を読んでいただきたい)。しかし、最終報告書案の新聞の取り上げられ方が良くなかったのか、ネットではちょっとした炎上模様です。
「今の年寄りのための年金保険料を払えというが、若者には払えないから自分で備えろというのか、バカなの?」
「死ぬまで働けというんだろ、知ってる」
のような意見が見かけられます。たぶん、朝日新聞の下記記事のヘッドラインだけを見てコメントをしているのでしょう。
5/23 朝日新聞人生100年時代の蓄えは? 年代別心構え、国が指針案
ネットの動向についてはYahoo!ニュース個人内でも下記の記事が紹介しています。
「人生100年の蓄え」国の指針案が炎上 「自助に期待するなら年金徴収やめろ」批判殺到
老後資産形成のあり方について執筆や講演をするファイナンシャルプランナーの立場としてこの記事を見た感想は「当たり前のことを言っているだけ」です。
今回はちょっとミスリードを正すような記事を書いてみたいと思います。「自分で備えよ」の読み方が肝心だと思います。
自分で老後に「一部備えろ」と「全部備えろ」はまったく意味合いが違う
まず、怒っている人の多くは「全部自分で備えろ」と言われたと、記事のタイトルだけ見て、反射的に怒っていないでしょうか。金融庁のホームページを検索して報告書案についてチェックしたでしょうか。
公的年金給付はこれからも終身で死ぬまで支払い続けることをやめません。破たんもしません。そんなことは一言も言っていません。
公的年金に破たんリスクのほとんどないことは5年前の財政検証結果でも明らかですし、今年も同様の結果が出るはずです。(簡単に言うと、保険料収入と年金給付はバランスさせる仕組みなので破たんしたくてもしようがない。その代わり10~15%程度の給付水準を引き下げる見込み)
そして、現在でも標準的な夫婦なら月22万円くらい、大卒新人の初任給レベルを何十年長生きしてももらい続けることができます。
65歳女性の平均余命約24年で考えれば累積受け取り額はなんと6336万円です。夫婦ともプラス10年長生きすれば8976万円にもなります。これは、あなたが納めた保険料額を上回ろうともらうことができます。老後の一番の収入源が公的年金であることはこれからも変わりません。
先ほど、年金水準が下がるといいましたが、「もらう年数」が伸びるとその分くらいは取り戻すことになります。1980年と2017年では平均寿命は男性で7.7年、女性で8.5年伸びています。これからも伸びは生じると予想されています。
今まさに年金を受け取っている世代と、今は保険料を納めている世代とのあいだに5~6年の寿命の伸びがあれば受取期間が25%増えます。毎月の年金水準が減った分くらいは取り戻すことになるでしょう。長寿化というのはそれくらい老後の収支を変動させる要因なのです。
さらに、健康保険制度、そして介護保険も金銭換算すると大きな助けです。保険料を負担することばかり目につきますが、人生でかかる医療費の半分は年金生活時期に生じると言われるほどで、これを全額負担しなくてすむようになっています。介護保険もそうです。
「全部備える」ということは先ほど触れた「公的年金24年分、6336万円」も準備しろということになりますが誰もそんなことは言っていません。
言っているのは「6336万円を国が払い、健保や介護保険が役割を果たしてもなお足りない部分」つまり「一部を備える」ということです。
足らないのは「生活費」ではない 「生きがい予算」と考える
現実問題として家計調査年報(総務省 2017年)で示される年金生活夫婦の生活コストは月26.4万円で、先ほどと同じ24年をかけ算すると7603万円となります。年金が6336万円しかもらえないとすればマイナスです。
「ほらやっぱり、お金が足らないではないか」とツッコミが入りそうですが、国の年金があれば7603万円備えるわけではなく、1267万円に減ります。これが「一部を備える」の意味です。
そしてこの1267万円のマイナスも「メシが食えない」レベルの話ではありません。
年金生活者の家計をちゃんと見てみると、足らないお金は「食事代」や「服代」ではありません。それでは何が足らないか、というと
・教養・娯楽費 25077円
・交際費 27388円
です。この費目を合計すると、毎月52465円くらいの支出が高齢者にもあります。家計調査年報では毎月54519円の不足があり、これを取り崩し等で穴埋めしているとされますが、おもしろいことにちょうど同じくらいの金額です。
これはつまり、
「月に1回くらいは友達と映画を見に行き(もちろんシニアデーで)、お茶をして帰ってきたい」
「月に1回くらいは美術展を見に上野に行って、ご飯をしてきたい」
「健康維持もかねて週イチで公営プールでウォーキングしてきたい」
「年に1回くらいは夫婦で2泊3日の旅行に出かけたい」
といった出費が国の年金では不足している、ということなのです。
あなたが現役世代の側であれば、自分の保険料が「年金生活者の食費」を支えるのはいいとしても「年金生活者の映画代」までは支えるのはちょっと、と思いませんか? 公的年金は高齢者のそうしたレジャー予算まで払うわけではなく、かといってまったく生活できないほどの低い額ではない、絶妙な水準のところにぴったり納まっているのです。
「一部を自分で備える」というメッセージは、「自分のセカンドライフの豊かさは自分でカバーする」ということなのです。
==自分でも自分の老後に備えなければいけないのは、政府の失策でもムダづかいでもない 「長生きになったこと」のせい
==
ところで、こうした「自分で備える」部分、かつては退職金がカバーしてきた部分でもあります。しかしそれがうまくいかなくなっている現実もあります。
私が講演などでよく説明するのは、「団塊世代が得をして、若い世代が損をしているわけではない」し、「政府の失策やムダづかいのせいでもない」ということです。むしろ時代の変化による影響が大きいのです。
最大の理由は老後が長くなった、ということです。1970年代から80年代にかけて引退した世代の「老後」はおおむね10年です。1000万円の退職金をもらっておけば、毎月8万円くらい使えるのでほとんど老後の準備はなくてもよかったものです。退職金の水準が高い会社であったり、手元に500~1000万円くらい貯金があれば老後の不安はほとんどありませんでした。これは「10年」しか老後がなかったからです。
今では65歳の男性で19年、女性24年くらいが平均的な「老後」です。これはおおむね2人に1人がまだ生きている年齢なのですが、4人に1人はプラス5年くらいさらに長生きします。女性ならほぼ30年になります。
仮に1000万円の退職金をもらっても、30年で分割すれば、毎月使えるのは2.7万円くらいです(利息はインフレで相殺されると考えて考慮しない)。
つまり「退職金の水準は以前も今も同水準でも、老後が長すぎるために足らない」という問題に私たちは直面することになったのです。そう考えてみると、公的年金は支払期間が倍増したにもかかわらず破たんさせずに舵取りをしている、ともいえます。
だからこそ「国の年金は保険料を納めてしっかりもらう」ことは前提です。そして「会社の退職金はローンの返済に回さずしっかりもらう」だけではなく「自助努力で将来に備える」という意識が必要になってきているわけです。
「一部は自分で備える」と考えると、貯めれば貯めるほど老後が楽しくなる
「全部」を自力で貯めると考えれば確かに絶望的です。先ほどの例でいえば、6336万円(24年分)の年金受取分を貯め、かつそこから1267万円の趣味や娯楽予算を確保しようと思えば、8500万円の貯金になり、ほとんど不可能でしょう。
もし「全部」自助努力せよ、しかも今の保険料は払い続けて将来はもらえない、というのなら怒るのも分かります。
しかし「一部」なら違います。平均的な会社の退職金水準に加えて、iDeCo(個人型確定拠出年金)やつみたてNISA(少額投資非課税制度)を活用すれば、趣味や娯楽予算を確保し、長生きや万が一に備えるお金を確保できるはずです。
厚生労働省はiDeCoを、金融庁はNISAをそれぞれ税制優遇のある資産形成の枠組みとして用意しています。これは納税額が減ったとしても、個人が自助努力で老後資産形成をするならそれを優先する、という政策的表明に他なりません。
そうすると、反射的に怒鳴り散らすだけではなく、あなたがするべきことはなんでしょうか。あなたにできることはシンプルです。つまり、
・できるだけ早く「一部」は備えたほうがいいことに気がつくこと(「全部」貯めようと思うと思考停止する)
・それは老後に生きていけないからではなく、老後を楽しむための予算確保であること(そうでないと貯める意欲がわかない)
・できるだけ早く口座開設して積み立てをスタートすること(少額でもいい)
・そして、可能であれば投資を行いインフレに負けない利回りを目指すこと
です。あるいは長く働くことで「貯める期間を伸ばし」「老後を短くする」ことでも人生の収支は一気に改善しますが、これは60歳代になってから考えればいいことです。今は「増やし始める」ことを考えてください。
――大人なら、そろそろ「全部」という極論から卒業しましょう。「年金保険料すら払いたくない」という「全部」の発想は捨ててください。「一部」を「現実」として備える方法を考えてみてください。
そしてそれは、あなたががんばればきっと実現が可能なことであるはずなのです。