囲碁・趙治勲名誉名人VS将棋・渡辺明名人 夢の二面勝負はどうして実現したか
囲碁界の頂上決戦「第45期名人戦」(主催・朝日新聞)が8月25日に開幕しました。
その会場の記者室に、将棋の渡辺明名人が遊びにやってきて趙治勲名誉名人と「囲碁と将棋の二面打ち・指し」が行われる一幕がありました。
素敵なハプニングの顛末をご紹介しましょう。
名人戦挑戦手合は2日制。第1局は「ホテル椿山荘東京」(東京・文京区)で打たれました。
1日目の8月25日、新聞解説担当の高尾紳路九段が「将棋の渡辺明さんが来たいというのですが、いいですよね?」と、朝日新聞の担当者に聞きました。高尾九段と渡辺名人は競馬仲間で親しくしているのは周知のこと。もちろん、快諾です。
翌26日、午前10時に渡辺名人が「遊びに来させていただきました」と、本当に記者室にやってきました。
日本棋院の記者室に、先崎学九段や高橋和女流三段がいらしていたことは見たことありますが、挑戦手合の会場までプライベートで足を運ばれた将棋棋士は珍しいと思います。
「今週は名人戦第7局が予定されていて(名人戦は第6局で決着)スケジュールが空いていたので、囲碁にお邪魔させていただけたらと。解説が高尾さんときいて、それなら是非にと思って」と渡辺名人。
囲碁も将棋も名人戦は朝日新聞社主催。将棋担当の記者も囲碁の取材に詰めていますので、渡辺名人も知った顔が多く、リラックスしている様子です。
渡辺名人に囲碁はどれくらいかときいてみますと、囲碁のルールは子どものころから知っていて、最近はアプリで楽しんだり、息子さんと打ったりしているといいます。「息子とは19路盤ですが、アプリは13路盤で打っています。アプリでは初段ということですが、ほぼ対人で打っていない状況です」。
立会人の趙治勲名誉名人は、過去、将棋の加藤一二三九段と2枚落ちで指した(そのときも二面打ち・指しで、先に趙名誉名人が投了したら、加藤九段も負けてくれたという)話、将棋の免状をもらったがそれは門外不出にするようにといわれた話などを、楽しそうに渡辺名人にしていました。
そのうち、「渡辺さんに将棋をお願いしたい」と言い出したのですが、将棋盤がありません。日本棋院の職員が午後、日本棋院まで取りに戻り、お膳立てができました。
渡辺名人は気さくなかたで、その間、日本棋院や朝日新聞のYoutubeチャンネルに出演して、囲碁と将棋の対局状況の違いなどを話されていました。
渡辺名人が「将棋だけでもいいですよ」とおっしゃったのですが、趙名誉名人が「いやいや、碁も。9子で」と声をかけて、夢の二面勝負が実現です。将棋は4枚落ちの手合いとなりました。
私は碁の記録を採っていたので、近くで観戦しました。
当然ですが、お互い本業ではないほうに集中している状況で進んでいきます。
先に投了したのが、渡辺名人。その瞬間、趙名誉名人は「やったー!」と両手を挙げて喜びます。「4枚落ちの手合いではありませんでしたね。加藤先生に2枚落ちで勝たれたのはよくわかります」と渡辺名人は評していました。
記者が「この棋譜を公開してもいいですか?」ときくと、趙名誉名人は「全世界に向けて公表して」と上機嫌。
趙名誉名人がずっと余韻に浸っているので、私が「先生、碁のほうを……」と声をかけますと、「あ、僕も投了します。僕が勝つまで投了しないようにしていたんだ」。渡辺名人がピンチの石を利きを使ってうまくしのいで生きた瞬間だったのです。隣にいた記録係の金子真季二段に見せると、「初段の手じゃないですよね」と絶賛していました。
夢の二面勝負の最中、井山棋聖は1時間5分の大長考をしていました。
一手も進まない間に、決着したのでした。
このあと、渡辺名人は「この手はどういう意味があるのですか」などと質問しながら、芝野虎丸名人対井山裕太棋聖の名人戦を終局まで熱心に見て楽しまれていました。